伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【熊野詣】⑥御師から考える熊野と伊勢の接点

数日前、当ブログ記事 【熊野詣】③伊勢路と紀伊路 - 伊勢河崎ときどき古民家 でも触れましたが、 近世(江戸時代頃)には、伊勢の御師と熊野の御師は共闘状態にあったのでは? と勝手に推測しております。 私的に考える根拠としては 伊勢路(伊勢神宮出発)…

【熊野詣】⑤伊勢路コースとは?

熊野へ参るには紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し広大慈悲の道なれば紀路も伊勢路も遠からず と平安末期、後白河上皇の勅撰集の中でも謡われたように、 古くから紀伊路と並んで参拝道とされていた伊勢路。 江戸時代から、お伊勢参りの後に伊勢路を通って熊野…

【熊野詣】④王子信仰と紀伊路

12世紀から13世紀にかけて 先達をつとめた熊野修験の山伏たちは 皇族・貴人の熊野詣に際し、参詣者の守護祈願のために 熊野古道沿いに在する神社急速に組織しました。 それが「九十九王子」と呼ばれる王子社です。 (↑熊野古道紀伊路 | 和歌山県観光情報より…

【熊野詣】③伊勢路と紀伊路

昨日、一昨日とさらっと説明に組み込んでしまいましたが、 熊野詣のルートには、大きく2つ 伊勢神宮界隈からのルートである伊勢路と 京都・大阪方面からのルートである紀伊路があります。 伊勢路はその名の通り、伊勢の国(三重県)を通るコースで 紀伊路は…

【熊野詣】②熊野参拝の"先達”とは?~熊野の御師と伊勢の御師~

平安後期に上皇の熊野参拝が盛んになったことが、 「蟻の熊野詣」と言われる熊野ブームの火付け役となった… というお話を昨日しました。 熊野への参拝ルートには紀伊路と伊勢路の二つがありました。 いずれも難路ですが、より険しい紀伊路がメインルートとさ…

【熊野詣】①熊野詣ってよく聞くけど何なの?

ブログタイトルの河崎、そして伊勢国とは少々離れますが、 伊勢信仰とも実は因縁の深い「熊野詣」。 その熊野詣について見ていこう!という今日から新シリーズです。 まずは… 「熊野詣」ってそもそも何? というところから始めましょう! 「熊野詣」を調べる…

【伊勢の味をお取り寄せ】 河崎に本店の伊勢銘菓 

さて、伊勢のお取り寄せを色々と探してみておりますが、 皆様、お好みや気になるものはりましたか? 今日は実は河崎に本店のある伊勢銘菓のお店を二軒ご案内です! どちらもお土産としても人気があるので ご存知の方も多いのでは? まず1軒目は「絲印煎餅」…

【伊勢の味をお取り寄せ】 塩羊羹 ~五十鈴勢語庵~

ここ数日は伊勢のオススメの美味しいモノを お取り寄せできるかな~?と調査し、 その結果をお知らせするようなカタチになっております。 さて、今日は 私が伊勢河崎で営んでおりました「いと志や」のカフェで 「塩ようかんセット」として、ほうじ茶(昨日ご…

【伊勢の味をお取り寄せ】 伊勢茶 ~濱田園さん~

伊勢入り出来ずに、 伊勢の味が恋しい日々…。 その中でも最も恋しいもののひとつが「伊勢茶」です。 河崎の「濱田園」さんは神宮にもお茶を納入している茶園で 私のお店「いと志やの奥座敷JOY*CAFE」でも ほうじ茶をつかわせていただいていました。 東京(…

【伊勢の味をお取り寄せ】 伊勢うどん~みなみ製麺~

伊勢うどんは好みが分かれるところだと思いますが、 私は好きです。 伊勢や福岡のやわらかいうどんから、吉田や武蔵野のバリカタ系うどんまで 何でも美味しくいただけるのは、節操なしの東京生まれ故でしょうか?(笑) 伊勢での私の常用食が、みなみ製麺さ…

【伊勢の味をお取り寄せ】 お福アイスマック

毎日暑い日が続きますね…。暑さ、コロナ、台風と、気の休まらない日々… ほっと一息つきたいものですよね。 というわけで、義両親に御中元代わりに ほっとできる伊勢の味を送ってみました♪ 以前、当ブログでも紹介しました 「お福アイスマック」です。 【ご当…

【禁殺生石の謎】 御狩場との関係の可能性を推理する

はい。 まだまだ「禁殺生」の謎は追っていきたいと思っていますので こうして時折、【謎】シリーズを登板させますので よろしくおつきあいいただければ…と思います。 今日は、先日辿り付いたこちらのサイトを拝読して 思いついたことを勝手に想像→推理したい…

【古市街道】 自転車走破の道程⑧ ~ついにゴール!牛谷坂~

大きな常夜灯(↓地図の富樫公園)を経て (常夜灯を奉納した富樫文治さんに因むのかと?) 古市街道を進むと、急坂に出会います。 下りなので爽快ですが(ブレーキかけないと怖いくらいですが) 上りだと壮絶です。 この常夜灯から、坂の下の惣門跡までを 「…

【古市街道】 自転車走破の道程⑦ ~両宮常夜灯・富樫文治さんって誰だろう?~

さぁ、いよいよ古市街道の旅もラストスパートです!!! 桜木地蔵から古市街道に戻ると、 目の前にお寿司屋サンのある場所に出ます。 そこが古市街道です。 そのまま内宮方面に進みました。 しばらく進むと、常夜灯が見えてきます。 ただの常夜灯ではありま…

【古市街道】 自転車走破の道程⑥ ~桜木地蔵~

古市街道を資料館と県道が交わる地点で 県道沿いに右手に進み、 また若干街道の方向に入った辺りに ここ桜木地蔵があります。 正直、やや迷いました。 県道入って少し行きますと大きな「桜木地蔵」の看板があり、 「地図で見るともう少し先のようだけど?」 …

【古市街道】 自転車走破の道程⑤ ~古市参道街道資料館~

自転車で行く古市参道の旅もここでようやく中間点です。 まさに「街道」という住宅街を行く道と 鳥羽と松阪を結ぶ県道37号線の交わるところにあり、 一気に視界が開けます。 広い駐車場もありますので、 疲れた足腰を伸ばす休憩タイムにももってこいです。…

【古市街道】 自転車走破の道程④ ~麻吉旅館~

長峯神社の少し先… 路地を右折したところにあるのが 「麻吉」です。 参宮客をもてなし、隆盛を極めた古市で 現在唯一その佇まいを残し、 現在も旅館として営業しています。 、『古市街並図』(天明2(1782)年)や 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(文化3…

【古市街道】 自転車走破の道程③ ~長峰神社~

間の山の坂を上り、ほっとしたところで見え来るのが ここ、長峰神社です。 古市の芸妓さんも通ったといわれる産土の神社です。 それもそのはず…御祭神は芸の神様・踊り上手のアマノウズメ命です。 アマノウズメは別名を「於須女」(おすめ)ということから、…

【古市街道】 自転車走破の道程② ~小田の橋→油屋跡~

さぁ、いよいよ出発です! 昨日も書きましたが、小田の橋からは上り坂です。 まずは急坂が現れ、その後もテニスコートの辺りまでは ゆるやかながらも上りが続きます。 街道沿いには、っ現代風の住宅に混ざって古民家もまだまだ残っています。 造りは河崎の古…

【古市街道】 自転車走破の道程① ~はじめに~

昨年、桜の咲き始めた頃、 かねてよりやってみたかった 「古市街道自転車走破」をいたしました。 古市は、伊勢参宮の面影を残す町で、 最盛期の天明(1781 - 1789年)頃には 妓楼70軒、遊女1000人、浄瑠璃小屋も数軒、というにぎやかさで 「伊勢参り 大神宮…

【伊勢の味をお取り寄せ】 伊勢かまぼこ若松屋さん 伊勢ひりょうず

河崎に本店のある「若松屋」さん。 外宮参道やおはらい町の食べ歩きが出来る店舗も人気ですが、 なんと、本店ではかまぼこ作り体験も出来ます!(要予約) 外宮参道店前の顔抜き看板にも「河崎」の文字。 糸印煎餅の播田屋サンといい、 河崎には実は伊勢の名…

【禁殺生石の謎】 享保甲辰の謎はまだまだ解けない…

今回のシリーズも長くなりました。 「禁殺生」の石柱というとってもニッチでコアなテーマでしたが、 いかがでsたでしょうか? 未だ「享保年間になぜ多く建てられたのか」という 明確な理由は解き明かされていません。 多分、この時期に寺社統制のための政策…

【禁殺生石の謎】 和歌の浦について追記

昨日の記事中で、和歌(の)浦について述べましたが、 資料がありましたので、追記です。 和歌浦は奈良・平安期には貴族にも愛された名勝で、 特に聖武天皇は即位後に和歌の浦に行幸した際にその景観に感動し、 この地の風致を守るため守戸を置き、 玉津嶋と…

【禁殺生石の謎】 特別保護神社ってどういう意味かという個人的考察

昨日の記事で、ついに 「禁殺生」石の立つ神社は 紀州藩に「特別保護神社」と認定されていた神社ではないか という私なりのアンサーが導き出されました。 では、「特別保護神社」とは何を保護したのでしょうか? それは、神社そのものは勿論のこと 境内の鎮…

【禁殺生石の謎】 ついに紐解かれる「禁殺生」社の意味!?

享保甲辰と刻まれた「禁殺生」の石柱を数多く目にし、 「これは何だろう?」と単純に疑問を抱き調べてきております、 【禁殺生石】シリーズ。 ついに、その意味がわかったかもしれません! (*本日の写真は google mapより拝借しています) その謎を解く鍵…

【禁殺生石の謎】 これまでのまとめ

「禁殺生」の石碑という、 めちゃくちゃマニアックなことを探求していっておりますが(笑)、 少々謎が細い糸で部分部分繋がって来た感じがします。 紀州藩が領土内の寺社に複数の「禁殺生」の石碑を立てている。 「禁殺生」石は、田丸・松阪城下の神社に多…

【禁殺生石の謎】 李梅渓の「父母状」とは?

数日前、 【禁殺生石の謎】 初代紀州藩主の禁殺生 - 伊勢河崎ときどき古民家 で触れましたが、 紀州藩最古と確認がとれている禁殺生の石碑は、 初代藩主頼宣が立てたもので、李梅渓の手蹟によるものです。 「李梅渓は元和3年(1617)に李真栄の子として紀州…

【禁殺生石の謎】 お寺の石碑は大きい説

お寺に見られる「禁殺生」の石碑ですが、 伊勢国側にもありました。 鈴鹿市の悟真寺です。 こちらは、 「1582年本能寺の変後、堺に居た徳川家康は 伊賀越えで鈴鹿白子に逃れ来て、 ここから船で常滑へ渡り岡崎へと逃れたといわれている。 この白子で悟真…

【禁殺生石の謎】 田殿丹生神社の石碑

和歌山エリア、有田川の流れる場所にもう一社、 由来不明の「禁殺生」の石碑を見つけました。 巨大サイズです。 無量光寺のものと似た大きさでしょうか。 ここは、田殿丹生神社。 その名の通り、水銀と関係が深い神社です。 御祭神は、丹生都比売神と大名草…

【禁殺生石の謎】 初代紀州藩主の禁殺生

和歌山城下に、吉宗が紀州藩主だった頃に建てた 岡山の時鐘堂という鐘楼があります。 藩政時代にわたって時刻および非常事態を城下に知らせていた施設で、 明治維新後も1921年(大正10年)3月末まで時報として鳴らされていたと言います。 鐘楼は2階建ての堂…