伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【読書感想】「これであなたも歴史探偵!歴史資料調査入門」風煤社

この本を一文で言い表すとしたら…

歴史好きが歴史マニアにステップアップするためのバイブル

編者であり著者の一人である友人千枝先生が「マニアック」との某書評に頭を抱えておられたのだが、それは褒め言葉であると私は思った。
そして、いざ拝読してみて同じ感に至った。

 

「なるほど、コレはマニアックだ!」


1ページ目をめくるなりそう唸らずにはいられなかった。
新聞のコラム調に配分されたレイアウトに、新聞のコラム調に進む話題。

これは、「ちょっと歴史に興味があるんです」というライト層に向けての、ライトな歴史入門ではない。
「歴史好きで、時々史跡や神社仏閣を巡るけど、もっと歴史を感じるにはどうすれば良いのか」と、歴史の沼にはまりたい層への導入書である。

 

その沼へのハマり方を「私はこうして沼に入ってしまっています」という水先案内の玄人たちが、自らの経験を披露してくれている。

例えば、古書。
例えば、町歩き。
例えば、絵葉書。
そのきっかけは身近にもあるもの。

 

私は元々洋骨董を仕事にしていて、絵葉書も欧州…主に英国で買い付けている。
その時には、消印、切手、印刷の技術、洋服の流行りなどから年代を特定するのだが、それとほぼ同じ手順がもっとプロ目線で細かく丁寧に紹介されている。
日本の郵便は英国を手本にしているので同じ方法で良いのだと改めて気付かさせられる。

 

また、身近になったスマートフォンでの撮影を通しての石碑などすり減った文字の解読の仕方なども興味深い。
自分もスマートフォンアプリを用いて時々行ってはいたが、プロはそれを「ひかり拓本」という技に昇華している。

 

身近なことをプロ中のプロが手取り足取り、更に深みへと誘ってくれる…そんな一冊なのだ。

 

初めての水泳教室で、手を引いてもらい水に浮かび、新たな世界に踏み入れるような…未知の大海原への第一歩となるわくわくと少しのドキドキがないまぜになった気分が味わえよう。

 

最近は、歴史町歩きツアーや、くずし文字の読み方講座などもあり、タイムマシンに乗る気分を味わいたい層が増えていると感じる。
まずはその初めの一歩としてオススメしたい一冊であることは間違いないと思う。
 
個人的には、仲良くしていただいている友人知人が複数名寄稿しているので、そこも楽しめた一冊。
全部に触れたいところではあるけれど…そこは皆様に手に取って実際に読んで感じて欲しい。

 

「週末、歴史探偵はじめました」という方がこの本から増えていると予想中…。

能楽「三輪」にみる伊勢

唐突ですが、能鑑賞に行って参りました。

 

実は私の英語の恩師(御師でなくw)の友人が能楽師でして、
そのご縁で時々能楽堂で能を鑑賞しております。

 

国文学科卒とはいえ、専攻は上代~中古(古代~平安時代)なので
中世に興った能については門外漢でして、最初の頃は「???」ということも多々あったのですが、
最近ようやくストーリーの仕立てや舞や謡、そしてお衣装などの装束についても興味深く拝見するゆとりが出てきました。

 

数ある能のお話のなかでも、ずっと気になっていた演目が「三輪」です。

このお話についてだけは、以前から調べものなどをしていて時々ぶつかっておりまして

ストーリーなども知っていたのですが、
能楽堂に足を運ぶようになってから「観てみたいな」と思っていたのです。

 

その理由は…伊勢の神が登場するのです!

 

他にも伊勢に纏わる能の演目はあるのですが、残念ながら現代は上演されないものもあるとか…。

三輪は現在も上演される機会の多い有名な演目です。

 

 

惜しむらくは、知人は「三輪」ではなく「女郎花」のシテ(主役)でしたが。

 

さて、三輪の演目はどういったストーリーかと申しますと…

 

奈良の三輪の里に住む僧侶の元に毎日閼伽水と榊を供えに来る女がおります。

その素性が気にかかっていたところ、女に着物を所望されます。

その着物が大神神社の御神木の杉にかかっていることを知らされ、

僧侶が確かめに行ったところ…

女が実は三輪の神であることがわかるのです。

 

「ん?伊勢の神は出て来ないじゃないか?」と思われますよね。

実は登場しているのです。

それが謡の中に出て来るこの言葉です。

 

思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。今更、なんと、いわくらや

 

そして三輪の神は僧侶の前でアマノウズメが躍った岩戸開きのための踊りを舞って見せるのです。

 

 

上記はパンフレットの説明文です。

この「三輪」という演目の大きなポイントは

この「三輪の神と伊勢の神って同じ神様なんだよね、まぁ今更言うまでもないけど」という伊勢神宮のネタバラシである…という点だと思われるのです。

そして中世の頃にはこのことは知る人ぞ知る事実だったのではないでしょうか?
もしくは忘れられつつある真実だったのでは?
そこで作者はそのことを伝えようとしたのではないでしょうか?

「いわくらや」という掛詞からは「隠された秘密」だというニュアンスも感じますが…。

作者は未詳ですが、世阿弥か?という説もあるようです。

能・演目事典:三輪:詳細データ

 

 

もうひとつ気になるのは、この演目の中でも三輪の神が蛇の姿で妻の元に通った話が出てきます。

 

神話の中では夫は自らが三輪の神であることを妻に明かしていません。

毎晩通って来ては朝には姿を消してしまうことを不思議に思った妻が、

夫の正体を知ろうと夜のうちにその衣の裾に糸をつけておきます。

翌朝、妻がその糸を辿ると三輪山に辿り着き、

そこで妻は夫の正体を知るのです。

 

そうです、本来は三輪の神は男神なのです。

妻はイクタマヨリヒメであると大神神社古事記では語られますが、

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)とも言われます。

夫はオオモノヌシとだと伝わります。

そうです、三輪の神はオオモノヌシであり、男性なのです。
ですが、能「三輪」の中では女神として現れ、伊勢の神と同神だと語られるのです。

 

このことは「伊勢の神も元々男神であったが、今は女神のふりをしてる」ことが示唆されているとしか思えないですよね。

また、能の中で衣がかけられている様は、丹波等に伝わる天女の伝札を彷彿とさせます。

丹波の国では、かけておいた衣を奪われ天に帰れなくなった神こそがトヨウケヒメである…と述べています。

 

そして今や伊勢の外宮に祀られているトヨウケヒメの元には毎晩、ツキヨミの命が通うという伝説もあります。

 

これらの伝説の類似性や、伊勢神宮の成り立ちの腑に落ちない点などがこの「三輪」には組み込まれているように思えてならないのです。

 

そして、なぜ三輪の女神はアマノウズメの舞を踊ったのか?

元々内宮はサルタヒコの領地であったと言われています。

その妻がアマノウヅケことサルメです。

 

そして、能へと系統が繋がっている田楽・猿楽の祖こそがサルメなのです。

 

能楽ポータルサイトにはこのように書かれています。

「この能(三輪)の舞台となったのは、奈良県の三輪の里です。

 古代神話の故郷であり、また現在の能楽の諸流儀の母体となった大和猿楽の諸座も、

 この里の近隣を発祥の源としています。」

能・演目事典:三輪:あらすじ・みどころ

 

能楽を大成した観阿弥の出身地は三重の名張だと言われます。

名張…まさに伊勢と三輪のほぼ中間点です。

もし、その息子の世阿弥が本当に「三輪」の作者であれば、

三輪の神にも伊勢の神にも造詣が深く、思う所があっても不思議ではありません。

 

 

ところでこの「三輪」、伊勢神宮でも奉納公演されていたりもしています。

…どういう気持ちで観ればいいのか?と穿ってしまいたくもなりますが…。

 

このように「能」の世界には、中世の神秘が息衝いています。

そして、テレビや映像で観るのと生で鑑賞するのでは全く違います。
自分が中世や近世にタイムスリップした気分になれますよ。

是非皆様も能楽堂に足を運ばれてはいかがでしょうか?

【NEW】伊勢土産の新定番!?【萬金丹】

皆さん伊勢の「萬金丹」をご存知ですか?
富山の「反魂丹」など「〇〇丹」という名に聴きなじみはある方は多くいらっしゃるかと思います。

だれもが一度は飲んだことがあるであろう「正露丸」のお仲間のようなお薬です。
正露丸征露丸)はその名の通り製造は日露戦争の120年前。

伊勢の萬金丹の歴史はなんと600年前の江戸時代!

当時からお伊勢参りのお土産にも人気を博したと伝わっています。

その萬金丹が令和の今、クラフトコーラになっちゃったんです!


その名も「萬金コーラ」。

このレトロなボトルとラベルもたまりませんね♪

お味の方は・・・?

早速味わってみました。

 

うん!これはコーラだ!!!

「もしかして薬っぽさのある味なのかな?」と

危惧されるかもしれませんが純然たるコーラの味です。

 

実はうちの旦那氏がコーラ中毒で、コーラを家に箱買いするくらいなのです。

その旦那氏にも飲ませてあげたところ(偉そう(笑))

「うん。これはコーラだ。クラフトコーラの味がする」

という小学生のような感想。

ですが、そのくらいにコーラの味そのものです。

 

よくよく考えれば、コカ・コーラも元々は薬なんですよね。

昔は薬局で売っていて、その場でシロップを水で薄めて飲んでいたとか…。

それを間違えて炭酸水で割ってしまったところ…

「なんだ!?これは!??美味しいじゃないか!!!」と。

こうして現在のコーラが誕生したとのことです。
(小学生の頃社会科見学でコカ・コーラ工場見学で聞きました。

 妙にインパクトがあって覚えています。)

そう考えるとこのシロップタイプのコーラ原液はまさに「元祖コーラ」のスタイルなんですよね。

 

私は甘い飲み物がちょっと苦手なので炭酸多めで、

旦那氏はシロップ多めで…と好みを調節できるのも嬉しい♪

コーラフロートにしてもいいし、レモンを添えてもさっぱりして美味しそう!

 

萬金丹の社員のKさんに教えていただきましたが

強炭酸で」というのが割る時の唯一のポイントですね。

後はお好みで…♪

 

他にも飲み方が色々…とご案内下さいました。

 

アイスコーヒーやコークハイも美味しそうだな~と思いつつ、

次にトライしたのは…

 

 

豆乳チャイです。

萬金コーラがしっかり甘いので、豆乳は加糖でない無調整にしました。

豆乳100~150ccに萬金コーラ大匙1で充分ですね。

 

豆乳をレンジでチンと温めてからコーラシロップを入れて…

ん?既に香りがチャイです。

わくわくしながら飲んでみると…

 

「チャイだ・・・!!!チャイだぞーーーー!!!!!」

 

思わず大声で叫びたくなったほどに、想像以上にチャイです!

しかもものすごく美味しい!

 

そうか、チャイも香辛料だからだ…!

チャイのスパイスといえば…シナモン、カーダモン、クローブなど。
萬金丹の成分は、阿仙薬、桂皮、丁子、木香、千振、甘草とのこと。

クローブ=丁子、シナモン=桂皮です!これはそのまんまチャイです。
ここにシナモンスティックを添えたら更にオシャレ&チャイ感UPだったと後に気付きました。

(注;厳密には桂皮とシナモンは木の種類が少々違うようです)

そして、私は閃いたのです…!

 

ホットワイングリューワインが出来ると…!!!

ロンドンのクリスマスシーズンに暖をとるために飲んでいたあの味。
(注;発祥はドイツ)

チャイを飲んであの味が過ったのです。

 

大急ぎでワインを買いにスーパーに。

ざっくりした味わいのドイツのワイン(しかも安いのがいい!)がなかったので

似た風合いを考えて…チリのワインにしました。

勿論シナモンスティックも購入。

 

ワイン(100cc)をレンジでチンして、萬金コーラ大匙1を。

シナモンスティックをマドラーにして混ぜて、一口。

これは・・・!ロンドンの味だ!!!海原雄山が衝撃を受けた時くらいの気持ち)」

 

これからのシーズンにピッタリなグリューワインの味です!

手軽に、しかも好みの濃さでグリューワインを飲めるなんて・・・!

 

家で作ろうとすると、カルディーなどで出来あいの瓶入りのものを買うか、

グリューワインの素のスパイスを入れて煮出すしかありません。

(今、グリューの素も売ってはいますが)

飲み切るには一人ではちょっとつらい…。

萬金コーラならば、好きなときにちょこっと一杯だけグリューにして飲むことが可能です!

 

しかも萬金丹の成分で体がぽかぽか…。

これは大人が風邪をひいたときに玉子酒代わりになりそうですよ。

 

チャイも充分なぽかぽか効果があったので、寒い日にこちらもオススメ。

 

そして室内がぽかぽかして乾燥してくると…アイスが食べたくなりますよね。

アイスかけも試してみました(写真はないのですが)。

 

バニラアイス(今回はMOWのバニラ使用)半分に小さじ1くらい。

これは…どこかで・・・?

あ。黒蜜をかけた和風パフェの味!!!

 

もしかしたら、甘さ抑えめの抹茶アイスの方が良かったかもしれません。

甘めのバニラにしてしまったので、激甘になってしまった感が(笑)。

バニラなら爽などのさっぱり系が良かったかも?

いっそのこと、抹茶アイスベースのパフェにかけてしまうのがベストかもしれません。
生クリームは甘くてもさっぱりでもどっちでも良いかな?(パフェ妄想中)

飾りには絲印煎餅を使えば…伊勢パフェですね♪
アイスは伊勢茶や和紅茶、ほうじ茶味でもいいかも?
(商品開発脳発動中。ご興味のあるかたご一報を。笑)

 

以上、萬金コーラの食レポでしたが、いかがでしたでしょうか?

一言でまとめるとすれば…

萬金コーラ…恐ろしい子・・・!!!ガラスの仮面月影先生風に)」

汎用性が高いうえに、和漢の薬草効果があるなんて…嬉しいお品です!

 

1瓶でコーラが5杯作れる量が入っています。

お値段も1500円とナイスお土産価格!

 

これから伊勢土産と言えば「萬金コーラ」でいきましょう!

 

日持ちも1年OKとのことなので、

「伊勢土産って日持ちしない…(御餅など)」という悩みから解放されます!

 

内宮の近くのこちらの店舗ではコーラとしてその場でいただくこともできますよ。

www.google.com

OPENが午後1時からだそうですので、お気をつけて☆
(先日は午前中に内宮にいたので、写真だけ…)

「伊勢に行けないな~」という方は、ネット販売もありますね。

www.isekusuri.co.jp

 

関東に在住の皆様は、日本橋の三重テラスでも販売しているそうです。
(昨年、私も再三お世話になった三重テラスさんです)
【三重テラス】伊勢御師ウェブセミナー配信【お手伝いしてます♪】 - 伊勢河崎ときどき古民家)

ちなみに、これからの季節には飴ちゃんもオススメです。

お土産としては定番人気ですが、自分用にも是非に。
お味は黒糖ベースなので、お仕事中にほっと一息用にも良いですよね♪

 

こちらも三重テラスにもありますよ~(去年確認済!)

 

www.isekusuri.co.jp

 

日本の昔からの薬が見直されている昨今…。

萬金丹で元気に冬を乗り越えましょう♪

アシハラ考②

前回は、「アシハラ」という言葉から「葦原神」について考察をしてみました。

今回はご祭神としての観点から考察してみたいと思います。

 

葭原神社(あしはらじんじゃ)の御祭神は

佐佐津比古命(ささつひこのみこと)

宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)

伊加利比賣命(いかりひめのみこと)

の三柱とされていることは、前々回の葭原神社の回にも述べさせていただきました。

 

それぞれ、川の神(港の神)

市場や人の集まるところの神

田の神井戸の神

と考えることができます。

【125社めぐり】内宮 末社 葭原神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

ここに神社の名前を冠した神は祀られていません。

それぞれの神を総合して「ここが昔葦原(湿地)であった」と神宮会館のHPには書かれています。

葭原神社(あしはらじんじゃ)

 

ところが「葦原神」をご祭神としている神宮摂末社が存在するのです。

それは外宮末社大津神社です。

ここでは葦原神はその名の通りの河口・港の神だとされています。

大津神社(おおつじんじゃ)

 

ただし、大津神社の古来の建立地はわかっていません。

【125社めぐり】 外宮 末社 大津神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

もしかすると、宮川もしくは勢田川の河口(港)の神で、特に社は設けられずに

川そのものが祀られていたのかもしれません。

 

内宮の「取次の神」とされる滝祭神も古代は五十鈴川そのものを祀っていたとも考えられていますから…。

後になって、橋姫神社のような川港の神が出来たもの…と私は思います。

【125社めぐり】 所管社 饗土橋姫神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

勢田川と宮川の間に建つ外宮の界隈は古くは湿地であったそうです。

今も「吹上」などの地名にその名残がありますし、

現在の地図を見ていても勢田川と宮川を繋ぐ支流の小川がいくつかあったであろうことは想像できますね。

そうです、まさに「葦原」だったのです。

 

そして川と川の間に外宮と現・大津神社が鎮座していることも興味深いです。

 

 

このように改めて見てみると、外宮は川に挟まれていること、そしてその川の注ぐ海からも近いことがわかりますね。

 

外宮界隈に電車で来てしまうと、海を感じるよりは神宮の森や山に抱かれてる感じが強いのですが、

元々伊勢の国は海辺の国なのです。

 

昔は船での「舟参宮」もありましたし、徒歩での参宮も最後には宮川を渡りました。
(その渡しの名残が「桜の渡し」と「柳の渡し」で、ここが宿泊する御師との待ち合わせ場所でもありました)

 

古来の感覚に視点を切り替えると、伊勢は海と川と切っても切れない関係なのです。

 

そしてまた、川を境界のようにしている様子も地図からは見てとれます。

川は古来から異界と異界を隔てる境界であったことは前回もお話しましたが、

この伊勢の地はそのような古代の世界観とぴったり合致する土地なのです。

 

根の国が西方にあり、

常世の波の打ち寄せる場所」とアマテラスが寿ぎした二見の浦が東にあります。

 

二見の興玉神社の境内には天の岩屋もあります。

夫婦岩からは夏至には岩の間から日が昇ります。

(余談;当時には内宮宇治橋から日が昇りますね)

夫婦岩からの日の出|イベント|観光三重

 

根の国は黄泉の国とされています。

そして根の国を通った先の紀伊国にはイザナギイザナミが坐し、「甦り」がキーワードです。

 

その中間に「葦原中つ国」があるのです。

 

もしかすると「葦原の中」は「葦原中」で、

」は助詞「の」ではなく、そのまま「(港)」を指すのかもしれません。

 

そう考えて見てみると…

外宮の摂末社のほとんどは川の近くに坐し、

川や港の神との繋がりがとても深いのです。

 


上記は外宮の摂末社の位置です。

 

外宮は元々、伊勢の豪族・度会氏の支配する領域でした。

度会氏は海を占める海部氏(伊勢では磯部氏とも)と関わり合いが深かった…または同族であったとも考えられています。

ですので、海(天)、そしてその境界である川を守る神を祀っていたのではないでしょうか。

 

その信仰に大和の朝廷の要素が加わって現在の外宮に変化したのだと思います。

 

私は内宮は外宮よりも創始が新しいと思います。

なぜなら、上述の2D(平面)での世界観から突き抜け、内宮は3D(高さのある)世界観になっているのです。

 

海抜の低い、外宮界隈(山田)と比べて内宮界隈(宇治)は山の方にあります。

これは仏教やキリスト教に見られる「天(空)」「地上(現世)」「地下(黄泉)」の世界観に通じていると思いませんか?

仙人は山の上に住んでいる…とか、天国は空の上にある…といった宗教観です。

 

元々日本の古来の宗教観は2D(平面的)で、「あの世」や「神の国」は「海の向こう」と考えられてきたのだと思うのです。

これは島国独特の要素でしょう。

 

子供の頃、家族や知人が亡くなったことを「遠くに行った」「海の向こうに行った」と言われたことはありませんか?

これは日本人独特の感性ではないでしょうか?

もちろん「お空の上にいった」「お星さまになった」とも言われますが、これは万国共通のように思われます。

 

つまり、伊勢の外宮界隈は日本独特の世界観が確立した特別な土地とみなされ、

だからこそ皇祖伸であるアマテラスの鎮座地と定められたのではないでしょうか?

 

その際に度会氏の宮であり度会氏の神を祀った外宮は避けられ、

同じように川で隔てられた土地である五十鈴川の三角州に社が建てられたのだと思います。

(度会氏の神とアマテラスがイコールでは困りますからね)

 

同時に元々は度会氏の支配下の豪族であった荒木田氏がアマテラスを祀る担当…とされたのではないでしょうか。

ですから、内宮の摂社末社荒木田氏の本拠地と言われる外城田川の流域に多いのでしょう。

(下図の左上の集団「玉城エリア」がそれです)

 

 

このように考えてみると「なぜ内宮の摂末社がその周辺だけではなく、玉城に多いのか?」という疑問もすっきりしますね。

 

また、宮川流域にも摂末社が点在しているのは、上述の「川=境界」による「川への信仰」の現れだと思われます。

 

伊勢の斎宮はその名の通り通常は神宮からは離れた斎宮に住んでいました。

外宮・内宮に参るときには、宮川の流域にあった離宮に滞在してから宮川を渡ったといいます。

古くはそのときに禊もおこなわれたのでは?とされています。

 

通常は人の国にいる斎宮が川で禊をして境界を越えて神の国へと入る…というイメージがあったためではないでしょうか?

だから名前も「川」とされたのでしょう。

斎宮でも、神宮でもありますよね。

 

宮川は禊を行う聖なる川なので、川自体を祀ることは至極自然なことですよね。

また宮川はよく氾濫したので、宮川へ祈りを捧げた…という現実的な理由もあると思います。

 

五十鈴川も禊も行う聖なる川です。

(現在も時々行われています)

その川の神が滝祭神です。

 



葦原神もまた川を守る神で、その津(港)を守る神であるので、

根の国高天原(海)をつなぐ港である葦原中津国の神でもあったのでしょう。

 

そう考えると、外宮で祀られた葦原神が内宮を創始した際に必要な紙だとして

その領地内に葭原神社として祀られたのだと想像出来ます。

 

 

ここでまた地図を見てみてください。

実は葦原神の坐す大津神社月夜見宮は近いのです。

 

現代と違い、昔は大津神社のある方向の北御門が外宮の正面入り口でした。

入り口の方に川の神…内宮の滝祭神を彷彿とさせますね。

 

もうひとつ注目したいのが、神路通りです。

伊勢ではこの道を通って毎夜、ツキヨミが外宮の神の元に通う…と言われています。

(ですので、伊勢っ子は神路通りを夜に通っていけないとか、真ん中を通ってはいけないと言われるそうです。)

 

ツキヨミ黄泉の神ととらえると…その通り道の近くに川の神=境界の神が坐すという構図は上記の世界観にぴったりとあてはまる感覚だと思いませんか?

 

黄泉の国を支配するツキヨミのそばの境界の神=葦原神=川の神

なのではないでしょうか?

これで「なぜツキノミのそばに川の神がいるのか?」が解決した感があります。

 

それともうひとつ、外宮内宮ともにツキヨミ宮のまわりに堀のような川があることも

黄泉の神を川と言う境界で隔てて、そこを異界だとしたためではないでしょうか。

つまりは黄泉を封印しているのでは?

 

月読宮(内宮)にはイザナギイザナミも祀られ、黄泉の国感がありますし、

更にそのそばに川の神の葭原神社があるのです。

月夜見宮(外宮)にも同境内に川の神高河原神社が祀られています。

 

こうして見て来てみると、内宮外宮ともに、

黄泉の神月読月夜見)~川の神葭原神社高河原神社)~境界の神滝祭神大津神社

という構成を意識した感も出てきます。

 

そもそも外宮・内宮にそれぞれツキヨミ宮があることも、

それぞれがかつては別の氏族の祭祀があった証とも言えるのではないでしょうか?

字を変えたことも、同じ神を外宮内宮でそれぞれ祀ることで、外宮と内宮が本来無関係であることへの配慮かもしれません。

 

更に「なぜ川の神は港の神と混同されることが多いのか」について追記したいと思います。

川を上がる場所が港です。

ですから川の神=港の神とされ、境界の見張り役ともされたのではないでしょうか。

関所のようなものですね。

だから、滝祭神取次役というわけです。

 

そして港は人が集まる場所でもあることから、葭原神社にはウガノミタマの御祖神大市比売市場の神(人の多いところに祀られる神)が祀られたのでしょう。

 

神大市比売湯田神社では大歳神の御祖と表記されていますが、同神です。

大歳神の御祖ではなく、ウガノミタマの御祖とされたのは

周囲に水田が多いため、稲を守る神の信仰の要素が入ってきたためかもしれませんが、確証はありません…。
また機会を設けて考察したいです。

 

私の考える外宮・内宮のそれぞれの創始についても、また改めて書きたいと思います。

 

 

アシハラ考①

前回、葭原神社への参拝記事を書きました。

この「アシハラ」…日本古代史好きにとっては何とも興味深い言葉ですよね。

今回は「アシハラ」について考察してみたいと思います。

 

 

「アシハラ」と聞くと真っ先に思い浮かぶのは「葦原の中つ国」です。

この世界…この日本を指し示す日本神話に必出のワードですよね。

私は大学の授業では、この世界を高さで表現した時にこうなる…と習いました。

 

 

天の国(高天原)は空に、

黄泉の国は地下に、

その中間、すなわち我々の住む地上が葦原の中つ国である、と。

 

これは、古事記にこの考え方が顕著ですね。

天孫降臨」の話では天からアマテラスの皇孫が降臨する設定です。

 

また、アシハラシコオこと大国主命が迫害にあった時、

木の又を通って根の国へと赴きます。

これは地下の国…黄泉の国とも言えますね。

 

このようないわば「天国・この世・地獄」のような世界観は

キリスト教や仏教の教えなどともリンクしますので

私たちにとって一番理解がしやすいように思います。

 

ですが、この空間を平面上でも捉えることが出来ます。

 

「あま」とは「天」であり「海」であるという考え方です。

この説を唱える学者さんも多くいらっしゃいますよね。

 

初心に戻ってピュアな気持ちで考えてみると

「【天】も【海】もなぜ同じ【あま】と読むんだろう?」

と思います。

 

「あまざかる」という言葉もありますので、遠く離れた場所を空(3D空間)であろうと海(平面的空間)としても「あま」としたのだとは思います。

 

ですが、古事記においてアマテラスは「天」をスサノオは「海」をツキヨミは「星(または夜)」を治めるように父のイザナギに命じられます。

 

古事記の書かれた7~8世紀には、3D空間として「天」と「海」は別のものとたらえられていたのでしょう。

 

ですが、神話の時代はどうでしょうか?

実は平面的にとらえられていたのではないかと私は思うのです。

「海」=「天」であったと考えると、「あしはらのなかつくに」という言葉がひどくしっくりくるのです。

 

葦は水辺や湿地帯に生える植物です。

つまり、水→海の近くが葦原なのです。

 

その海との境界になるのが川です。

 

川は堀のように人工的なものを含め境界線となることが多いです。

現在でも県境や市の境目が川だということはよくありますし、

何より神宮も「火除橋の先は聖地」としています。

また下宮のお膝元の山田でも苦界堀が聖と俗との境界線になっています。

 

伊勢斎宮も普段は斎宮に住み、宮川を渡って神宮に詣でます。

その渡川は禊であるといいます。

五十鈴川でも現代でも禊が行われますし、二見浦でも行われるのです。

 

葭原神社は五十鈴川の近くに位置しています。

その御由緒として、神宮会館のHPには

「その昔、この辺りが五十鈴川の葭(葦)原であったことが、社名からうかがえる」

とあります。

 

そもそも伊勢は宮川と五十鈴川、勢田川、外城田川櫛田川など河川が多く、

そのために湿地帯が多いのです。

つまり、伊勢はまさに「あしはらのなかつくに」なのです。

 

それらの河川は伊勢湾に注ぎます。

湾岸の大湊にも神宮の摂社末社があります。

そして勢田川の河口そばの地名が「神社(みやしろ)」です。

「はい、ここから神の国ですよ」という分岐のようですよね。

 

アマテラスはヤマトヒメとの旅路の終着点として伊勢を選んだ際に

「神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪帰する国なり。

 傍国の可怜国なり。」

と言っています。

日の神のはずが「常世の国の波」つまり海を基準にしているのです。

天が基準ではないのは「天=海」の思考からでしょうか。

 

常世の国」についても諸々の考察がなされています。

ここでは(長くなるので)触れずにおきますが…。

感覚的には「天つ国」とも近いものに感じますよね。

 

そう捉えるならば…

「この伊勢の国は高天原からの波が届く場所です」

「美しい海のそばの良い国です」

「ここにいたいと思います」

と、アマテラスが言ったことになります。

 

やはり伊勢が葦原の中つ国なのかもしれません。

 

根の国は「木の又をくぐった先」=「木の国(紀伊国)の先」とされているので

これは熊野のあたりを指すと考えると…

熊野にイザナギイザナミが祀られていることや

「よみがえりの神」とされていることも頷けますね。

 

筑紫申真先生は『アマテラスの誕生』で「日本神話の大元は伊勢の土着の神話である(意訳)」と述べています。

 

神話の国…と聞くと宮崎を思い浮かべることも多いのですが、

天武・持統朝、文武朝において伊勢神宮を設立したことからも

古事記の神話の大元は本当に伊勢にあるのかもしれませんね。

 

 

【125社めぐり】内宮 末社 葭原神社

内宮 末社 葭原神社(あしはらじんじゃ) 

 

ご祭神  佐佐津比古命(ささつひこのみこと)
         宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)
         伊加利比賣命(いかりひめのみこと)

 

所在地  三重県伊勢市中村町

 

 

内宮 別宮 月読宮の境内に建つ末社です。

 

…が、ずっと私はたどり着けずにいたのです。
その理由は…
こちらの地図(BY GOOGLE MAP)をご覧ください↓

 

 

私は住まいが河崎でしたので、剣道12号(御幸道路)を自転車で疾走して月読さんに参ることが多かったのですが、
葭原神社は23号側の駐車場のそばに建つのです。

 

境内からも地図に黄色で示した参道(便宜上直線にしてあります)から繋がっています。
…いるのですが、いつも手水舎(地図の授与所そば)から右に反れる道を

「どこに行くのかな?月読さんは広いからものすごいところに行くのでは?」
と危惧してしまい、そちらに折れてみることがなかったのです。

 

なぜか月読さんに参拝する時は体力が限界だったり、急いでいたりが多いせいもあります。

今回は友人に車を出してもらい葭原神社へ!と目標を定めてようやく参拝が叶いました。

 

始めて伊勢に詣でた学生時代にも月読さんには参拝しているので、

なんと!20年以上越しで参拝をさせていただけた感じですね。
式年遷宮よりも長かった・・・!!!)

 

 

駐車場からも月読宮からもこちらが入り口となります。
125社の末社のなかでもわかりやすいですね。
石柱の文字もくっきり鮮やかです。

 

 

「葭原神社」という名前が示すように、

「その昔、この辺りが五十鈴川の葭(葦)原であったことが、社名からうかがえる。」

神宮会館のHPにもあります。

 

ただこの「葭」ってとっさに読めないですよね?
私は読めませんでした(注;国文学科卒。こら!)

漢字ペディアによりますと…

①あし。よし。イネ科の多年草。「葭簀(よしず)」 ②あしぶえ。アシで作った笛。 [類]笳(カ)」

 

葦(あし)は悪しにつながるので、ヨシ(良し)と呼ぶようにもなった…

という話は聞いたことがありますが、

「葦」と「葭」は同じ植物を指すようです。

 

が、このような記述も見つけました。

「通常、ヨシとアシは同じ植物を指します。

 しかし、琵琶湖のヨシの大群生で知られる滋賀県では、一般的にヨシとアシを区別します。

 滋賀県では、ヨシの近くに生えていることが多い「オギ」という植物をアシと呼び、

 ヨシは「葭簀」などにも使える商品価値があるもの、アシは売り物になりにくいものとしています。

 実際に、ヨシは茎が枯れると中が空洞になり、「葭簀」などに加工しやすいですが、オギは綿のようなものが詰まっていて加工しにくいので、ヨシ(=良し)とアシ(=悪し)と区別されたのかもしれません。」

更に…

「「葭簀」は、ヨシを糸で繋ぎ、立てかけて使うものです。通常はヨシを縦向きに並べ、糸は横に繋ぎます。

 一方、すだれは横向きに並べ、糸で縦に繋ぐものです。そのため、「葭簀」のように立てかけることができず、軒下などに吊るして使います。」

「また、「葭簀」とすだれは材料も異なるので注意しましょう。

 「葭簀」は多年草のヨシから作りますが、すだれは竹を細く割って棒状にして作ります。」

葭簀(よしず)とはヨシで作ったすだれのこと!一般的なすだれとの違いをご紹介 | Domaniより)

 

これはもうトリビアですね。

話を戻しましょう。

 

葭原神社は五十鈴川に近く、体感として高低感としては河原からそこまで高さはありません。

伊勢は湿地だった場所が多く、この近くにも大雨で浸水がしやすい地形があります。

昔はこの一帯は葦原だったということはイメージがつきますね。

 

 

次にご祭神について考察してみましょう。

 

佐佐津比古命(ささつひこのみこと)は大歳神の子であると『皇太神宮儀式帳』に記されているといいます。(Wikipediaより)

 

ですが、よく似た名前の神に聞き覚えがあります。

それは内宮摂社の大土御祖神社の御祭神・水佐佐良比古命(みずささらひこのみこと)です。

 

水佐佐良比古命水佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと)と夫婦神でその名の通り水の神とされており、

ミズササラヒメ命( 弥豆佐々良比売命)は『伊勢国風土記逸文では

伊勢国造の祖・天日別命の妻とされいて

ミズササラヒコ命(弥豆佐々良比古命)はその夫の天日別命と見られています。

またミズササラヒメ命は伊勢津彦の娘もとされ、

ヒメの子の彦國見賀岐建與束命は度会国御神社の祭神とされています。

 

大土御祖神社は御祭神に大国玉命(おおくにたまのみこと)も鎮座しています)

 

【125社めぐり】 摂社 大土御祖神社 ・ 国津御祖神社 / 末社 宇治乃奴鬼神社 ・ 葦立弖神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

また大土御祖神社には境内に葦立弖神社があります。

(御祭神 玉移良比女命(たまやらひめのみこと))

これまた繋がりを感じさせますね。

 

 

宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)は「御祖」がつくものの、ウカノミタマと同神だと『大神宮儀式解』で言及されているそうですが、はたしてそうでしょうか?

「大」や「御」は敬称のような賛美の言葉ですのでついたりつかなかったりは見受けられますが、「祖」はないものとして良いのでしょうか?

 

ウガノミタマの「御祖」はスサノオ神大市比売との間の子だとされています(古事記)。

同母の兄に大歳神がいます。

 

内宮摂社の湯田神社では大歳御祖神が祀られていて、それは神大市比売であるとされています。

神大市比売は人の集まる場所や市場の神、農耕守護の神と言います。

 

神宮会館HPにも「祭神は田畑を守護する三柱の神」とされていますから

この宇加乃御玉御祖命神大市比売ではないでしょうか?
ちなみに神大市比売の父は大山祇です。

 

【125社めぐり】 摂社 湯田神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

 

伊加利比賣命(いかりひめのみこと)は、外宮末社伊我理神社(いがりじんじゃ)でも祀られている伊我利比女命(いがりひめのみこと)と同神だと思います。

「外宮御料田の井泉の神」とされており(神宮会館HP)、田畑守護の神と考えて相違ありません。

 

またすぐそばにある摂社・度会大国玉比賣神社の祭神は大国玉命(おおくにたまのみこと)と、
弥豆佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと)なのです。

 

これほどのリンクはありましょうか?

 

伊我理神社度会大国玉比賣神社は外宮の境内にある摂社です。

そして同じく外宮境内にある末社大津神社の祭神はなんと葦原神なのです!

(詳しくは後日に譲ります)

 

これはこの月読宮の境内にもうひとつの外宮があるかのようですよね。


さて、この葭原神社も倭姫命が定めたとされています。

現在近隣に水田が多いこと、五十鈴川の近くであることからここもまた水分に関連した神社だと推測します。

 

水田が開墾され集落が出来れば人が集まります。

まさに神大市比売のご加護を必要とするでしょう。

 

また『皇太神宮儀式帳』に記載があり(804年)、

文徳天皇実録』の858年に「在伊勢国正六位上葭原神預官社」と記述があるので
少なくとも平安初期には建立がなされていたことがわかります。

 

延喜式神名帳』には「荻原神社」とあり、

「葭原神社 」と同じ神社かが議論された経緯もあるそうです。

 

摂社末社のご多聞に洩れずで、こちらも中世に社殿が荒廃し、

明治初期には社地不明となっていたそうですが、

1880年明治13年)に御塩殿神社の東西御倉の古材をもって葭原神社と小社神社の社殿が造営されたそうです。

明治時代に神宮で「葭原神社」と「荻原神社」が同じ神社であると断定したとも伝わりますので、

江戸~明治は「おぎはらじんじゃ」と「あしはらじんじゃ」がまぜこぜになっていたのかもしれません。

 

現在の境内には印象的な楠が立ち、そのまわりをぐるりと一周できる不思議な場所があります。

この楠が所在地選定の際の決め手だったのかも…?と想像します。

 

近隣の方からは「伊賀井の森」(いがいのもり)とも呼ばれているそうです。

 

www.google.com

 

(2022年9月9日参拝)

 

 

 

待ったなし!?壊される予定の蔵の内部を拝見!

以前このブログでお話しました、
伊勢でお世話になっています方が
お店の蔵を壊す…という話を聞きまして…

ようやく現地にお話を聞きに行くことが出来ました。

 

 

こちらがその蔵。
本当に本当に勿体ない…!!!

 

ですが、前回も書きましたように

人あっての建物ですから、ご主人がそう判断したならば仕方ないです。

 

「動画とか写真とか資料として残したい」

と申し上げたところ

「そんなの何も残らない方がいい」との、祇園精舎の鐘の音が聞こえて来そうなまでの無常観…。

 

それでも、仲良くしていただいているよしみで中を見せてくださいました。

 

 

隣の建物(店舗)とつながる部分から入らせてもらうと、
床下の造りもよく見ることが出来ました。

↓湿地にちかいので、床下は土の上に砂利を敷くことが河崎には多いそうです。

 

↓目を今度は上に。
一階の天井です。

これだけ太い根太(で良いのかな?)を使うのは珍しいと、大工さんも仰るそうで
地震のとき、ここにいたら安心だよ!」と言われたそうです。

確かに!天井の木材も柱もかなり太くて立派です。
木材の種類はわからないそうですが。

 

 

↓梁は一本でかなりの長さです!
「明治十一年寅十月」の文字がはっきりと。

 

 

↓更に特筆すべきは、この箱階段!
L字型…珍しいですよね?
状態も良く、引き出しもひっかかりなくスムーズに開閉します。

こちらは保存予定とのこと。
良かったです。

 

大工さんも「ここは問題なく外せる」と言っていたそうです。

 

 

↓こちらは、正面入口の内側です。

上手く撮れてないのですが…
扉を囲うまさに口の部分…
なんと春慶(漆)で塗られています!
しかも未だにつるつるです。

…これは大店っぷりが偲ばれる意匠ですね。

叶うことならば、この部分、何とか移設してほしいところです。

 


古民家の解体…盛者必衰の無常を感じる出来事ですが、

梁や柱は今、貴重な木材として需要があります。

 

皆様もお近くで古民家の解体があるときには、是非家主様にお伝えいただきたいです。

 

そして再三申し上げておりますが、襖もです。
下張りに貴重な情報源である反故紙が隠されていることがあるんです。

例え解体されても古民家には貴重且つ再利用できる素材が詰まっています。

実は土壁でさえも再生可能なんですよ。

そして出来ることならば、このデジタル時代まで生き延びてくれた古民家の記録を残せると良いですよね。
歴史的にも建築技法的にも大事な資料となりますから…。