【禁殺生石の謎】 お寺の石碑は大きい説
お寺に見られる「禁殺生」の石碑ですが、
伊勢国側にもありました。
鈴鹿市の悟真寺です。
こちらは、
伊賀越えで鈴鹿白子に逃れ来て、
ここから船で常滑へ渡り岡崎へと逃れたといわれている。
この白子で悟真寺が何らかの役割を果たした可能性もあるらしい。
江戸時代になって、悟真寺は
徳川将軍の保護のもとに大いに栄えたともいわれている。
悟真寺は1411年現在地より少し南の山中に開創され、
15世紀後半に現在地に移転している。」
とのことで、
徳川家と関わりが深く、
歴代将軍の御位牌壇もあるそうです。
お寺の紋も三つ葉葵です。
*今日の写真は
終南山悟真寺:鈴鹿タウンガイドsuzukatv内コンテンツさんから拝借しました。
↑門前に「禁殺生」の石碑が立つようです。
大きい!やはり、神社のものよりも大きいです!!
お寺の前に「禁殺生」の文字が立つのは違和感ありませんね。
そして、石碑の隣に↓このような看板があるようで、
禁殺生碑の文字が!!!
ただし、お寺のHPの寺宝には載っておらず、
詳細は不明です…。
残念。
これは取材をさせていただきたいところですね。
*悟真寺についてはこちらのサイトが詳しいです。
また、この鈴鹿~津エリアでは神宮関連になりますが、
阿漕の近海は「殺生禁断の地」となっています。
こんな逸話があるそうです。
「かつては伊勢神宮の供物の漁場で、殺生禁断の海でした。
昔、貧しい漁夫平治が病母のためこの海で魚をとったため罰せられ、
簀巻きにされて海に沈められたという「阿漕平治」の物語が伝わっています。
この物語から、「阿漕(しつこく、ずうずうしいこと。
義理人情に欠けあくどいこと)」ということばができていますし、
津の名物「平治煎餅」の名前の由来にもなっています。
近くに平治の霊をまつる阿漕塚もあります(津ヨットハーバーの西)。」
猫の欠伸研究室200190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ
こう考えていきますと、
仏教の「禁殺生」が神宮摂社の「禁殺生」と繋がったのも
納得がいくような気がします。
ただやはり、この石碑があるお寺には一度お話を伺ってみたいです。
関東などで「禁殺生」石碑は見たことがないんですよ。
これはやはり紀州独特の何かがあるような気がするのです。
もし皆様のご存知の「禁殺生」石がありましたら、
是非とも教えてくださいませ♪