伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【禁殺生石の謎】 お寺の石碑は大きい説

お寺に見られる「禁殺生」の石碑ですが、

伊勢国側にもありました。

鈴鹿市悟真寺です。

 

こちらは、

「1582年本能寺の変後、堺に居た徳川家康

 伊賀越えで鈴鹿白子に逃れ来て、

 ここから船で常滑へ渡り岡崎へと逃れたといわれている。
 この白子で悟真寺が何らかの役割を果たした可能性もあるらしい。
 江戸時代になって、悟真寺は

 徳川将軍の保護のもとに大いに栄えたともいわれている。

 悟真寺は1411年現在地より少し南の山中に開創され、

 15世紀後半に現在地に移転している。」

悟真寺 (三重県鈴鹿市): お寺の風景と陶芸

とのことで、

徳川家と関わりが深く、

歴代将軍の御位牌壇もあるそうです。

お寺の紋も三つ葉葵です。

悟真寺http://www.goshinji.or.jp/

 

*今日の写真は

終南山悟真寺:鈴鹿タウンガイドsuzukatv内コンテンツさんから拝借しました。

 

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↑門前に「禁殺生」の石碑が立つようです。

 大きい!やはり、神社のものよりも大きいです!!

 

お寺の前に「禁殺生」の文字が立つのは違和感ありませんね。

 

そして、石碑の隣に↓このような看板があるようで、

禁殺生碑の文字が!!!

 

ただし、お寺のHPの寺宝には載っておらず、

詳細は不明です…。

残念。

これは取材をさせていただきたいところですね。

 

*悟真寺についてはこちらのサイトが詳しいです。

終南山悟真寺

 

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また、この鈴鹿~津エリアでは神宮関連になりますが、

阿漕の近海は「殺生禁断の地」となっています。

 

こんな逸話があるそうです。

「かつては伊勢神宮の供物の漁場で、殺生禁断の海でした。

 昔、貧しい漁夫平治が病母のためこの海で魚をとったため罰せられ、

 簀巻きにされて海に沈められたという「阿漕平治」の物語が伝わっています。

 これは、謡曲浄瑠璃に歌われています。

 この物語から、「阿漕(しつこく、ずうずうしいこと。

 義理人情に欠けあくどいこと)」ということばができていますし、

 津の名物「平治煎餅」の名前の由来にもなっています。

 近くに平治の霊をまつる阿漕塚もあります(津ヨットハーバーの西)。」

猫の欠伸研究室200190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ

 

こう考えていきますと、

仏教の「禁殺生」が神宮摂社の「禁殺生」と繋がったのも

納得がいくような気がします。

 

ただやはり、この石碑があるお寺には一度お話を伺ってみたいです。

関東などで「禁殺生」石碑は見たことがないんですよ。

これはやはり紀州独特の何かがあるような気がするのです。

 

もし皆様のご存知の「禁殺生」石がありましたら、

是非とも教えてくださいませ♪

 

 

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