伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

能楽「三輪」にみる伊勢

唐突ですが、能鑑賞に行って参りました。

 

実は私の英語の恩師(御師でなくw)の友人が能楽師でして、
そのご縁で時々能楽堂で能を鑑賞しております。

 

国文学科卒とはいえ、専攻は上代~中古(古代~平安時代)なので
中世に興った能については門外漢でして、最初の頃は「???」ということも多々あったのですが、
最近ようやくストーリーの仕立てや舞や謡、そしてお衣装などの装束についても興味深く拝見するゆとりが出てきました。

 

数ある能のお話のなかでも、ずっと気になっていた演目が「三輪」です。

このお話についてだけは、以前から調べものなどをしていて時々ぶつかっておりまして

ストーリーなども知っていたのですが、
能楽堂に足を運ぶようになってから「観てみたいな」と思っていたのです。

 

その理由は…伊勢の神が登場するのです!

 

他にも伊勢に纏わる能の演目はあるのですが、残念ながら現代は上演されないものもあるとか…。

三輪は現在も上演される機会の多い有名な演目です。

 

 

惜しむらくは、知人は「三輪」ではなく「女郎花」のシテ(主役)でしたが。

 

さて、三輪の演目はどういったストーリーかと申しますと…

 

奈良の三輪の里に住む僧侶の元に毎日閼伽水と榊を供えに来る女がおります。

その素性が気にかかっていたところ、女に着物を所望されます。

その着物が大神神社の御神木の杉にかかっていることを知らされ、

僧侶が確かめに行ったところ…

女が実は三輪の神であることがわかるのです。

 

「ん?伊勢の神は出て来ないじゃないか?」と思われますよね。

実は登場しているのです。

それが謡の中に出て来るこの言葉です。

 

思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。今更、なんと、いわくらや

 

そして三輪の神は僧侶の前でアマノウズメが躍った岩戸開きのための踊りを舞って見せるのです。

 

 

上記はパンフレットの説明文です。

この「三輪」という演目の大きなポイントは

この「三輪の神と伊勢の神って同じ神様なんだよね、まぁ今更言うまでもないけど」という伊勢神宮のネタバラシである…という点だと思われるのです。

そして中世の頃にはこのことは知る人ぞ知る事実だったのではないでしょうか?
もしくは忘れられつつある真実だったのでは?
そこで作者はそのことを伝えようとしたのではないでしょうか?

「いわくらや」という掛詞からは「隠された秘密」だというニュアンスも感じますが…。

作者は未詳ですが、世阿弥か?という説もあるようです。

能・演目事典:三輪:詳細データ

 

 

もうひとつ気になるのは、この演目の中でも三輪の神が蛇の姿で妻の元に通った話が出てきます。

 

神話の中では夫は自らが三輪の神であることを妻に明かしていません。

毎晩通って来ては朝には姿を消してしまうことを不思議に思った妻が、

夫の正体を知ろうと夜のうちにその衣の裾に糸をつけておきます。

翌朝、妻がその糸を辿ると三輪山に辿り着き、

そこで妻は夫の正体を知るのです。

 

そうです、本来は三輪の神は男神なのです。

妻はイクタマヨリヒメであると大神神社古事記では語られますが、

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)とも言われます。

夫はオオモノヌシとだと伝わります。

そうです、三輪の神はオオモノヌシであり、男性なのです。
ですが、能「三輪」の中では女神として現れ、伊勢の神と同神だと語られるのです。

 

このことは「伊勢の神も元々男神であったが、今は女神のふりをしてる」ことが示唆されているとしか思えないですよね。

また、能の中で衣がかけられている様は、丹波等に伝わる天女の伝札を彷彿とさせます。

丹波の国では、かけておいた衣を奪われ天に帰れなくなった神こそがトヨウケヒメである…と述べています。

 

そして今や伊勢の外宮に祀られているトヨウケヒメの元には毎晩、ツキヨミの命が通うという伝説もあります。

 

これらの伝説の類似性や、伊勢神宮の成り立ちの腑に落ちない点などがこの「三輪」には組み込まれているように思えてならないのです。

 

そして、なぜ三輪の女神はアマノウズメの舞を踊ったのか?

元々内宮はサルタヒコの領地であったと言われています。

その妻がアマノウヅケことサルメです。

 

そして、能へと系統が繋がっている田楽・猿楽の祖こそがサルメなのです。

 

能楽ポータルサイトにはこのように書かれています。

「この能(三輪)の舞台となったのは、奈良県の三輪の里です。

 古代神話の故郷であり、また現在の能楽の諸流儀の母体となった大和猿楽の諸座も、

 この里の近隣を発祥の源としています。」

能・演目事典:三輪:あらすじ・みどころ

 

能楽を大成した観阿弥の出身地は三重の名張だと言われます。

名張…まさに伊勢と三輪のほぼ中間点です。

もし、その息子の世阿弥が本当に「三輪」の作者であれば、

三輪の神にも伊勢の神にも造詣が深く、思う所があっても不思議ではありません。

 

 

ところでこの「三輪」、伊勢神宮でも奉納公演されていたりもしています。

…どういう気持ちで観ればいいのか?と穿ってしまいたくもなりますが…。

 

このように「能」の世界には、中世の神秘が息衝いています。

そして、テレビや映像で観るのと生で鑑賞するのでは全く違います。
自分が中世や近世にタイムスリップした気分になれますよ。

是非皆様も能楽堂に足を運ばれてはいかがでしょうか?