【熊野詣】④王子信仰と紀伊路
12世紀から13世紀にかけて
先達をつとめた熊野修験の山伏たちは
皇族・貴人の熊野詣に際し、参詣者の守護祈願のために
熊野古道沿いに在する神社急速に組織しました。
それが「九十九王子」と呼ばれる王子社です。
(↑熊野古道紀伊路 | 和歌山県観光情報より拝借)
この時代のメイン参拝ルートは紀伊路・中辺路ルートでしたので
(昨日の記事をご参照ください)
王子社は紀伊・中辺路ルートに多く建ち並びます。
(↑田辺探訪(和歌山県田辺観光協会) :: 王子社と熊野参詣道より拝借)
「そもそも王子って誰?」
と思いますよね。
熊野における王子とは熊野権現の御子神であると考えられています。
ですが、そもそも王子(王子信仰)とは、
古くからある日本の信仰の形態の一種で、
「若宮信仰」とも呼ばれます。
神社が主祭神だけでなく、その子供とされる神様も合わせて祀る祭祀形態のことです。
激しく祟りやすい霊魂を偉大な神格の御子神や眷属神として祭ることに端を発しているようです。
「若宮をまつるに至った経緯を
各地に残る若宮社の縁起類からうかがうと、
巫女の託宣によるものが多い。
若宮の成立の背後には神をまつる巫女と
母子神信仰との深いかかわりが存在していた。
また巫女の託宣により示された若宮は
非業の死をとげたために人々に災いをもたらし,
たたるものであった。 」
(世界大百科事典 第2版 より)
八幡信仰のように、若宮(仁徳天皇ともされる)や母神(神功皇后)を祀る信仰もこの一種ですね。
若宮(御子神)が、仏に控える「童子」と同一視されるようになり
王子神という神道と仏教の混ざり合った新たな神格が生まれたといいます。
(王子神とは?神仏習合によって生まれた言葉の意味を解説 | アマテラスチャンネル49)
この王子信仰、若宮信仰では
祇園社、日吉社の八王子権現が熊野の九十九王子と並び有名です。
「天照大神が素戔嗚尊と誓約した際に生まれた5男3女の神とする。
御子神の応神は王神に由来。
祟(たた)りやすい霊をまつる若宮との関係も深い。
太子講は聖なる御子来訪の信仰に基づく。」
(百科事典マイペディアより)
八坂神社は牛頭大王をスサノオ命と習合した信仰で有名ですね。
一方熊野の場合、九十九王子の中でも
最も神格が高いとされる「若一王子(にゃくいちおうじ)権現」で、
この王子は天照大神とされます。
これは、熊野三山に祀られる熊野権現はスサノオ・イザナギ・イザナミと同一視されることから
「大概その数九十九あるがごとし」とみえる。
その祭神は熊野大神(伊弉諾・伊弉冉尊)の御子といわれ若王子とよび、
平家一族の全盛時代に造営された西八条の邸内に勧請されたものであり、
京都御所の正東にあたるもと永観堂(禅林寺)の鎮守若王子神社は
永暦年間(1160~61)に後白河法皇の勧請によるものである。」
(日本大百科全書(ニッポニカ)より)
この若一王子をはじめとした五柱の御子神を祀った神社を
五体王子(ごたいおうじ)と呼び、他とは格式を異にするとされています。
五体王子は、熊野の主神の御子神・眷属神として熊野三山に祀られる神々のなかでも、
五所王子と呼ばれる神々(若一王子・禅師宮・聖宮・児宮・子守宮)を祀る神社で
これらの神社では通常の王子社での祈祷等以外に、
舞・白拍子・神楽・猿楽なども行われたようです。
この五体王子、更に神仏習合もしていますので
それぞれに本地仏もあり、
若一王子は十一面観音とされています。
他の四王子については以下の通りです。
禅師宮 忍穂耳尊 (地蔵菩薩)
聖 宮 瓊々杵尊 (龍樹菩薩)
子守宮 草葺不合尊 (聖観音)
いずれの王子社を五体王子に数えるかは解釈の相違がありますが、
現在では、
藤代王子・切目王子・稲葉根王子・滝尻王子・発心門王子
の5社とするのが一般的であるそうです。
さぁ、こう見てみると九十九王子は神宮の125社も髣髴とさせますよね。
なんといってもアマテラス大神がご登場ですし…。
九十九王子も巡ってみたくなりませんか?
そのルートのご案内はこちらに詳しいです。