伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

禁殺生石

【禁殺生石の謎】 花の窟神社HPの記載 【熊野詣】

【熊野詣】シリーズ、花の窟神社についての記事を書くにあたり、 公式HPを見ていたところ、気になる記載がありました。 創建にまつわる以下の文章です。 「花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。 南に面し其の正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設く。 …

【禁殺生石の謎】 享保甲辰の謎はまだまだ解けない…

今回のシリーズも長くなりました。 「禁殺生」の石柱というとってもニッチでコアなテーマでしたが、 いかがでsたでしょうか? 未だ「享保年間になぜ多く建てられたのか」という 明確な理由は解き明かされていません。 多分、この時期に寺社統制のための政策…

【禁殺生石の謎】 和歌の浦について追記

昨日の記事中で、和歌(の)浦について述べましたが、 資料がありましたので、追記です。 和歌浦は奈良・平安期には貴族にも愛された名勝で、 特に聖武天皇は即位後に和歌の浦に行幸した際にその景観に感動し、 この地の風致を守るため守戸を置き、 玉津嶋と…

【禁殺生石の謎】 特別保護神社ってどういう意味かという個人的考察

昨日の記事で、ついに 「禁殺生」石の立つ神社は 紀州藩に「特別保護神社」と認定されていた神社ではないか という私なりのアンサーが導き出されました。 では、「特別保護神社」とは何を保護したのでしょうか? それは、神社そのものは勿論のこと 境内の鎮…

【禁殺生石の謎】 ついに紐解かれる「禁殺生」社の意味!?

享保甲辰と刻まれた「禁殺生」の石柱を数多く目にし、 「これは何だろう?」と単純に疑問を抱き調べてきております、 【禁殺生石】シリーズ。 ついに、その意味がわかったかもしれません! (*本日の写真は google mapより拝借しています) その謎を解く鍵…

【禁殺生石の謎】 これまでのまとめ

「禁殺生」の石碑という、 めちゃくちゃマニアックなことを探求していっておりますが(笑)、 少々謎が細い糸で部分部分繋がって来た感じがします。 紀州藩が領土内の寺社に複数の「禁殺生」の石碑を立てている。 「禁殺生」石は、田丸・松阪城下の神社に多…

【禁殺生石の謎】 李梅渓の「父母状」とは?

数日前、 【禁殺生石の謎】 初代紀州藩主の禁殺生 - 伊勢河崎ときどき古民家 で触れましたが、 紀州藩最古と確認がとれている禁殺生の石碑は、 初代藩主頼宣が立てたもので、李梅渓の手蹟によるものです。 「李梅渓は元和3年(1617)に李真栄の子として紀州…

【禁殺生石の謎】 お寺の石碑は大きい説

お寺に見られる「禁殺生」の石碑ですが、 伊勢国側にもありました。 鈴鹿市の悟真寺です。 こちらは、 「1582年本能寺の変後、堺に居た徳川家康は 伊賀越えで鈴鹿白子に逃れ来て、 ここから船で常滑へ渡り岡崎へと逃れたといわれている。 この白子で悟真…

【禁殺生石の謎】 田殿丹生神社の石碑

和歌山エリア、有田川の流れる場所にもう一社、 由来不明の「禁殺生」の石碑を見つけました。 巨大サイズです。 無量光寺のものと似た大きさでしょうか。 ここは、田殿丹生神社。 その名の通り、水銀と関係が深い神社です。 御祭神は、丹生都比売神と大名草…

【禁殺生石の謎】 初代紀州藩主の禁殺生

和歌山城下に、吉宗が紀州藩主だった頃に建てた 岡山の時鐘堂という鐘楼があります。 藩政時代にわたって時刻および非常事態を城下に知らせていた施設で、 明治維新後も1921年(大正10年)3月末まで時報として鳴らされていたと言います。 鐘楼は2階建ての堂…

【禁殺生石の謎】 和歌山城下の巨大禁殺生石!

紀州藩目線で禁殺生石について何かないものか… (このご時世ですので)ひたすらネットで調べ物をしていましたら… こんなの見つけちゃいました!!! 巨大禁殺生石! 和歌山城の近く、 無量光寺という、首だけの大仏さんで有名なお寺にありました。 左右に同…

【禁殺生石の謎】 紀州徳川家

紀州藩は、徳川家康の10男・頼宣から始まります。 6代将軍吉宗と14代将軍家茂を輩出したことでも有名ですね。 その家系図は以下のようになります。 ↑の宗直の代に「禁殺生」の石が寺社に奉納されています。 宗直は吉宗が将軍となり江戸城に入った享保元…

【禁殺生石の謎】 尾前神社のケース(津市)

マニアックなネタでお送りしております【禁殺生石の謎】シリーズ。 今日は、伊勢を離れて津に建ちます尾前神社さんに着目してみたいと思います。 私はまだ参拝出来ていないので、 今日は調べた情報のみになりますので 御寛恕くださいませ。 近鉄名古屋線・千…

【禁殺生石の謎】 皇大神宮摂社以外の寺社の石について

皇大神宮(内宮)の摂社以外にも、 「禁殺生」の石柱が紀州藩から送られている寺社があります。 そのポイントになるのは ①場所 ②送られた年 です。 場所については、田丸城下エリアと松阪城下エリアにほぼ限られていて、 年度についても甲辰とそれ以外で分け…

【禁殺生石の謎】 形状のはなし。

紀州藩が享保甲辰(享保9年)に設置したという この「禁殺生」の石柱には、一定のスタイルがあります。 まず、田丸城下の摂社に置かれたものに関しては、 ほぼ境内の入口に置かれています。 向かって左手が多いです。 (↓写真;園相神社入口) 江戸期に記さ…

【禁殺生石の謎】 神宮125社との関連?

禁殺生石については 未だ詳らかにされていないことが多いのですが、 紀州藩によって置かれたことは間違いがありません。 『勢国見聞集』に奉納された寺社が列挙されているのですが、 今日は125社にフォーカスしてみたいと思います。 園相神社入口 125…

【禁殺生石の謎】 この石なんなんだ?

125社や伊勢界隈の神社を巡っていて 何度も出くわし、 当ブログ内でも「何だこれは?」と 何度もスポットを当ててきました、 「禁殺生」の石柱。 そもそも、石碑なのか? 石柱と呼んでいいのか? 一体何のために置かれているのか? ずっと気になっており…