【禁殺生石の謎】 享保甲辰の謎はまだまだ解けない…
今回のシリーズも長くなりました。
「禁殺生」の石柱というとってもニッチでコアなテーマでしたが、
いかがでsたでしょうか?
未だ「享保年間になぜ多く建てられたのか」という
明確な理由は解き明かされていません。
多分、この時期に寺社統制のための政策が敷かれて、
その一環として神社の境内の保護のために建てられたのだと思いますが、
立証できる史料がありません。
紀州藩が「当藩の管轄である」と名言するため建てられた可能性もあります。
松阪・田丸の城下町に多く置かれたのだとも推察出来ます。
また、享保甲辰とそれ以外の年号のものの差異についてもわかりませんでした。
現状、資料不足が否めません。
今後また、県史などを紐解き、何か史料に行き当たりましたら
その都度御報告させていただこうと思います。
それまで【禁殺生石の謎】はしばしお休みとして、
またいつもの伊勢についてのお話を明日からはしていきます。
それにしても、探求したいテーマが多くて…
これもまたライフワークになってしまいそうです(笑)。