【熊野詣】①熊野詣ってよく聞くけど何なの?
ブログタイトルの河崎、そして伊勢国とは少々離れますが、
伊勢信仰とも実は因縁の深い「熊野詣」。
その熊野詣について見ていこう!という今日から新シリーズです。
まずは…
「熊野詣」ってそもそも何?
というところから始めましょう!
「熊野詣」を調べると…
熊野信仰に基づき,紀伊国の本宮,新宮,那智の熊野三山に参詣すること。
と出てきます。
では、「熊野信仰」とは何でしょう??
調べると、
熊野三山に基づく信仰。
と出て来ます。
う~ん、にわとりたまご感。
もう少し詳しく調べてみましょう。
熊野は古代より「三熊野」と呼ばれ神秘的な聖地、霊山とみなされ、
奈良時代よりこの地で修行をする者が多かったといいます。
神宮寺の建立修行場としての清水、長谷、金峰山が確立します。
熊野三山の本地(仏教化された神)を
那智の牟須美神は千手観音として、
本宮は西方極楽浄土、
新宮は東方浄瑠璃浄土、
熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。
人々は浄土に生まれ変わることを願って、熊野を詣でるようになります。
907年宇多法皇が熊野にご参拝し(上皇の参拝を熊野御幸と呼びます)
以来次第に民間にも広まります。
熊野御幸は907年(延喜7)の宇多法皇、991年(正暦2)の花山法皇にはじまり、
院政期の白河上皇から後鳥羽上皇までの約100年間には97回もの上(法)皇の御幸があったそうです。
特に後白河上皇の34回、後鳥羽の28回の御幸が有名です。
鎌倉時代には、現世安穏、来世善所を願う廷臣・武士・庶民の間で
熊野詣の一大ブームが訪れ、その様子は「蟻の熊野詣」と呼ばれるほどであったといいます。
世界遺産登録をされ、今も観光客が増えた感のある熊野ですが、
鎌倉時代にはもっとすごい人が押し寄せていたのですね。
そこには神様を仏教の世界観になぞらえた浄土思想があって、
その浄土である熊野を詣でることで極楽浄土に生まれ変れる=蘇り信仰が生まれたわけです。
そして、熊野の神々のスポークスマンは歴代の上皇だったのです!
これは、現代でいうところの、
天皇陛下が伊勢にご参拝なさることによって伊勢参拝に行きたくなる人が増えるのと同じ作用だと思われます。
さて、明日は熊野三山と伊勢神宮の繋がりについてお話したいと思います。