【古市街道】 自転車走破の道程③ ~長峰神社~
間の山の坂を上り、ほっとしたところで見え来るのが
ここ、長峰神社です。
古市の芸妓さんも通ったといわれる産土の神社です。
それもそのはず…御祭神は芸の神様・踊り上手のアマノウズメ命です。
アマノウズメは別名を「於須女」(おすめ)ということから、
氏子中では「おすめさん」と呼んで親しまれているといいます。
「長峯神社はこの街道の(旧)中之地蔵町に鎮座していた宇須賣社(うずめのやしろ)を
明治3年に、久世戸町・古市町・中之町・桜木町の4町の協議によって
現在地に鎮座して長峯の産土神(うぶすなさま)としてお祀りしてきた。
その後長峯一帯に鎮座していたお社や祠の神々も合祀してお祀りしている。」
とありますので、江戸時代、古市の華やかかりし頃は
この位置にはなかったのかもしれません。
ちなみに、古市には中之地蔵町遺跡があります。
「古市・中之地蔵町遺跡は、伊勢市中之町、桜木町の伊勢参宮街道沿いにあります。
調査 では街道沿いに建てられていた江戸時代(約400から150年前)の建物とともに、
たくさんの陶磁器が出土しました。」
三重県|埋蔵文化財センター:埋蔵文化財センター設立30周年記念事業 令和元年度第5回公開考古学講座「三重を掘る」より
長峰神社には、御由緒書きが2つありました。
↑は境内入口のもので
「長峰神社
所 在 伊勢市古市町三三三番地ノ一
主祭神 天鈿女命 ほか
木花開那姫命、菅原道真公ら六柱を合祀
例 祭 八月十五日
長峰とは、文字通り長くつづく峰、 外宮と内宮をむ
すぶこの尾根沿いの地形に由来しています。
主祭神天鈿女命は天岩戸の前で舞をまったとされ
る女神で伊勢音頭の遊女や古市舞伎の役者の福神
としてまつられてきました。
ここは、江戸時代、日本の五大遊里の一つとして栄
えた古市の中心部であり、このお社はいつしかこの地
の産土神として、また芸能の神として、この古市に深
く根をおろした社です。」
とあります。
もう一方には
「伊勢古市
長峯神社
主祭神 天鈿女命
長峯神社は天鈿女命をはじめ八柱の神様をおまつり
ているように、天の岩戸開きのとき岩屋の前で神楽(
おかぐら)を舞った最初の神で、古来芸能の祖神とた
たえております。
天孫降臨の後、猿田彦命を伊勢に送られ、伊勢の開
拓に当られ、皇大神宮ご鎮座と深いかかわりをもたれ
ました。御鎮座地の古市は長峯と呼ばれ、桜木町に至
る丘陵地の総称であります。外宮から内宮に至る参宮
街道の中間にあたり、全国から参宮される旅人のいこ
いの場として栄えました。この長峯からは江戸時代、
伊勢音頭を生み、歌舞伎が盛んに上演され古市歌舞伎
の名を全国に響かせました。これらも芸能の祖神の御
加護のお陰であった事は申すまでもないことでしょう。
御祭神の御神徳は芸能の守護神として、又福の神と
しても名高く幸福をもたらす神であり家運隆祥福徳円
満の神であり、御祭神を崇敬することによりますます
神が授かると言われ芸能を志す人には芸道上達を約束
されます。御鎮座地は十遍舎一九の「東海道中膝栗毛」
で弥次喜多とこの地に至っており寒風の名所であると
言っております。御社殿の前の多いな松が往時をしの
んで生きております。」
とあります。
天鈿女命をはじめ八柱の神となっていますが、
前述の御由緒のように、ほか六柱、
木花開那姫命、
天津彦火瓊々杵命、
宇迦之御魂神、
春日大神八衢比古神、
久郡戸神、
菅原道真公
が御祭神のようです。
合祀された神と、主祭神に縁の神といった感じです。
弥次さん喜多さんの話にもあるように、
ここには昔から古老松の大木があって古市の名所の一つに数えられていたそうです。
「寒風」は間の山のほぼ頂上付近で風通しが良かったからでしょうか?
それとも、古市で豪遊して懐に寒風が吹くのかもしれませんね(笑)。
ひとつ気になるのは「長峰」と「長峯」、
二つの御由緒で表記が異なりますね。
どちらも同じ漢字なので、どちらでも良いっちゃ良いのですが。
おすめさんで芸事(仕事)の上達を祈り、また自転車で出発です。