【125社めぐり】内宮 末社 葭原神社
内宮 末社 葭原神社(あしはらじんじゃ)
ご祭神 佐佐津比古命(ささつひこのみこと)
宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)
伊加利比賣命(いかりひめのみこと)
内宮 別宮 月読宮の境内に建つ末社です。
…が、ずっと私はたどり着けずにいたのです。
その理由は…
こちらの地図(BY GOOGLE MAP)をご覧ください↓
私は住まいが河崎でしたので、剣道12号(御幸道路)を自転車で疾走して月読さんに参ることが多かったのですが、
葭原神社は23号側の駐車場のそばに建つのです。
境内からも地図に黄色で示した参道(便宜上直線にしてあります)から繋がっています。
…いるのですが、いつも手水舎(地図の授与所そば)から右に反れる道を
「どこに行くのかな?月読さんは広いからものすごいところに行くのでは?」
と危惧してしまい、そちらに折れてみることがなかったのです。
なぜか月読さんに参拝する時は体力が限界だったり、急いでいたりが多いせいもあります。
今回は友人に車を出してもらい葭原神社へ!と目標を定めてようやく参拝が叶いました。
始めて伊勢に詣でた学生時代にも月読さんには参拝しているので、
なんと!20年以上越しで参拝をさせていただけた感じですね。
(式年遷宮よりも長かった・・・!!!)
駐車場からも月読宮からもこちらが入り口となります。
125社の末社のなかでもわかりやすいですね。
石柱の文字もくっきり鮮やかです。
「葭原神社」という名前が示すように、
「その昔、この辺りが五十鈴川の葭(葦)原であったことが、社名からうかがえる。」
と神宮会館のHPにもあります。
ただこの「葭」ってとっさに読めないですよね?
私は読めませんでした(注;国文学科卒。こら!)
漢字ペディアによりますと…
「①あし。よし。イネ科の多年草。「葭簀(よしず)」 ②あしぶえ。アシで作った笛。 [類]笳(カ)」
葦(あし)は悪しにつながるので、ヨシ(良し)と呼ぶようにもなった…
という話は聞いたことがありますが、
「葦」と「葭」は同じ植物を指すようです。
が、このような記述も見つけました。
「通常、ヨシとアシは同じ植物を指します。
しかし、琵琶湖のヨシの大群生で知られる滋賀県では、一般的にヨシとアシを区別します。
滋賀県では、ヨシの近くに生えていることが多い「オギ」という植物をアシと呼び、
ヨシは「葭簀」などにも使える商品価値があるもの、アシは売り物になりにくいものとしています。
実際に、ヨシは茎が枯れると中が空洞になり、「葭簀」などに加工しやすいですが、オギは綿のようなものが詰まっていて加工しにくいので、ヨシ(=良し)とアシ(=悪し)と区別されたのかもしれません。」
更に…
「「葭簀」は、ヨシを糸で繋ぎ、立てかけて使うものです。通常はヨシを縦向きに並べ、糸は横に繋ぎます。
一方、すだれは横向きに並べ、糸で縦に繋ぐものです。そのため、「葭簀」のように立てかけることができず、軒下などに吊るして使います。」
「また、「葭簀」とすだれは材料も異なるので注意しましょう。
「葭簀」は多年草のヨシから作りますが、すだれは竹を細く割って棒状にして作ります。」
(葭簀(よしず)とはヨシで作ったすだれのこと!一般的なすだれとの違いをご紹介 | Domaniより)
これはもうトリビアですね。
話を戻しましょう。
葭原神社は五十鈴川に近く、体感として高低感としては河原からそこまで高さはありません。
伊勢は湿地だった場所が多く、この近くにも大雨で浸水がしやすい地形があります。
昔はこの一帯は葦原だったということはイメージがつきますね。
次にご祭神について考察してみましょう。
佐佐津比古命(ささつひこのみこと)は大歳神の子であると『皇太神宮儀式帳』に記されているといいます。(Wikipediaより)
ですが、よく似た名前の神に聞き覚えがあります。
それは内宮摂社の大土御祖神社の御祭神・水佐佐良比古命(みずささらひこのみこと)です。
水佐佐良比古命は水佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと)と夫婦神でその名の通り水の神とされており、
ミズササラヒメ命( 弥豆佐々良比売命)は『伊勢国風土記』逸文では
伊勢国造の祖・天日別命の妻とされいて
ミズササラヒコ命(弥豆佐々良比古命)はその夫の天日別命と見られています。
またミズササラヒメ命は伊勢津彦の娘もとされ、
ヒメの子の彦國見賀岐建與束命は度会国御神社の祭神とされています。
(大土御祖神社は御祭神に大国玉命(おおくにたまのみこと)も鎮座しています)
【125社めぐり】 摂社 大土御祖神社 ・ 国津御祖神社 / 末社 宇治乃奴鬼神社 ・ 葦立弖神社 - 伊勢河崎ときどき古民家
また大土御祖神社には境内に葦立弖神社があります。
(御祭神 玉移良比女命(たまやらひめのみこと))
これまた繋がりを感じさせますね。
宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)は「御祖」がつくものの、ウカノミタマと同神だと『大神宮儀式解』で言及されているそうですが、はたしてそうでしょうか?
「大」や「御」は敬称のような賛美の言葉ですのでついたりつかなかったりは見受けられますが、「祖」はないものとして良いのでしょうか?
ウガノミタマの「御祖」はスサノオと神大市比売との間の子だとされています(古事記)。
同母の兄に大歳神がいます。
内宮摂社の湯田神社では大歳御祖神が祀られていて、それは神大市比売であるとされています。
神大市比売は人の集まる場所や市場の神、農耕守護の神と言います。
神宮会館HPにも「祭神は田畑を守護する三柱の神」とされていますから
この宇加乃御玉御祖命は神大市比売ではないでしょうか?
ちなみに神大市比売の父は大山祇です。
【125社めぐり】 摂社 湯田神社 - 伊勢河崎ときどき古民家
伊加利比賣命(いかりひめのみこと)は、外宮末社・伊我理神社(いがりじんじゃ)でも祀られている伊我利比女命(いがりひめのみこと)と同神だと思います。
「外宮御料田の井泉の神」とされており(神宮会館HP)、田畑守護の神と考えて相違ありません。
またすぐそばにある摂社・度会大国玉比賣神社の祭神は大国玉命(おおくにたまのみこと)と、
弥豆佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと)なのです。
これほどのリンクはありましょうか?
伊我理神社・度会大国玉比賣神社は外宮の境内にある摂社です。
そして同じく外宮境内にある末社・大津神社の祭神はなんと葦原神なのです!
(詳しくは後日に譲ります)
これはこの月読宮の境内にもうひとつの外宮があるかのようですよね。
さて、この葭原神社も倭姫命が定めたとされています。
現在近隣に水田が多いこと、五十鈴川の近くであることからここもまた水分に関連した神社だと推測します。
水田が開墾され集落が出来れば人が集まります。
まさに神大市比売のご加護を必要とするでしょう。
また『皇太神宮儀式帳』に記載があり(804年)、
『文徳天皇実録』の858年に「在伊勢国正六位上葭原神預官社」と記述があるので
少なくとも平安初期には建立がなされていたことがわかります。
『延喜式神名帳』には「荻原神社」とあり、
「葭原神社 」と同じ神社かが議論された経緯もあるそうです。
摂社末社のご多聞に洩れずで、こちらも中世に社殿が荒廃し、
明治初期には社地不明となっていたそうですが、
1880年(明治13年)に御塩殿神社の東西御倉の古材をもって葭原神社と小社神社の社殿が造営されたそうです。
明治時代に神宮で「葭原神社」と「荻原神社」が同じ神社であると断定したとも伝わりますので、
江戸~明治は「おぎはらじんじゃ」と「あしはらじんじゃ」がまぜこぜになっていたのかもしれません。
現在の境内には印象的な楠が立ち、そのまわりをぐるりと一周できる不思議な場所があります。
この楠が所在地選定の際の決め手だったのかも…?と想像します。
近隣の方からは「伊賀井の森」(いがいのもり)とも呼ばれているそうです。
(2022年9月9日参拝)