伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【125社めぐり】 摂社 大土御祖神社 ・ 国津御祖神社 / 末社 宇治乃奴鬼神社 ・ 葦立弖神社

内宮 摂社 大土御祖神社 (おおつちみおやじんじゃ)
    摂社 国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)

    末社 宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ)―大土御祖神社同座

    末社 葦立弖神社(あしだてじんじゃ)―国津御祖神社同座

御祭神 (後述します)

所在地;三重県伊勢市楠部町字尾崎2132

 

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五十鈴川のほとり。

国道を挟んで神宮の神田。

そんな特別な場所に建つ社です。

 

大土御祖神社国津御祖神社が同じ境内の右手やや奥に建ち、

隣接して四郷神社・櫲樟尾神社(くすおじんじゃ)もあり

さながら横長に神社が並んだ神様の住宅街(失礼)のようになっています。

皇大神宮儀式帳』では大土御祖神社の境内は現在の7倍ともされていますから

この辺りはまるっとその境内であったと思われます。

 

一昨年の元旦早朝に朝熊から上る朝日を眺めた後に立ち寄りましたが

どの境内にも御正月の飾りはなく、通常の如くに凛として凍える空気を受け止めていたのが印象的でした。

他に参拝客もいませんでした。

(そして、写真のキャパと自分のキャパの都合、とても写真が少ないです)

 

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大土御祖神社

御祭神 大国玉命(おおくにたまのみこと)

     水佐佐良比古命(みずささらひこのみこと)

     水佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと)

 

大国玉命は神田の土地を守る神と言われています。

外宮 摂社の度会大国玉比賣神社にもミズササラヒメ命(弥豆佐佐良比賣命)が祀られていますが、

こちらは「地主神二柱」と言われています。

 

ミズササラヒコ命とミズササラヒメ命は水の神で、夫婦神とされます。

ミズササラヒメ命( 弥豆佐々良比売命)は『伊勢国風土記逸文では

伊勢国造の祖・天日別命の妻とされいて

ミズササラヒコ命(弥豆佐々良比古命)はその夫の天日別命と見られています。

 

またミズササラヒメ命は伊勢津彦の娘もとされ、

ヒメの子の彦國見賀岐建與束命は度会国御神社の祭神とされています。

 

平田篤胤は、

大土の神というのは猿田彦神 (あるいはその子孫の大田命) のことで、

この神社は宇治の狭長田を開拓した豪族・猿田彦大神 (大田命)をお祭りした神社

と言っています。

 

皇大神宮儀式帳』に 宇治土公氏の祖先である大田命がここで奉斎し、

御神田を献上されたことが記されています。

このことから猿田比古命と繋がりが濃いのは確かなようで、

今も毎年5月中旬の神田御田植初の折に、奉仕者により社前で田舞が奉納されます。

 

宇治乃奴鬼神社

御祭神 高水上命(たかみなかみのみこと)

大土御祖神社に同座されていますが

元々は五十鈴川を挟んだ西方に鎮座されていました。

皇女の森(宇治乃奴鬼神社跡)Google マップ

水田の中にこんもりとしたミ摂末社の森のように木々が立ち石碑があります。

 

灌漑用水の神とされていますが、

末社石井神社(いわいじんじゃ・津長神社同座)にも

岩清水に神として祀られ、大水上命の子とされています。

 

国津御祖神社

御祭神 宇治比賣命(うじひめのみこと)

      田村比賣命(たむらひめのみこと)

 

この土地の産土神(うぶすなのかみ)二柱とされています。

共にこの地で生まれた国生(くなり)の神の御子と言われ、

「御子社」の別名があるそうです。

(「一本社」・「一元社」の異称もあるとも…)

 

葦立弖神社

御祭神 玉移良比女命(たまやらひめのみこと)

 

国津御祖神社に同座し、同様に産土神とされています。

宇治都比女命(うじつひめのみこと)の子であるといいます。

宇治都比女命は国津御祖神社の宇治比賣命と同神であると考えられていることから、

この二社が同座されることになったのでしょう。

 

ウジヒメ命―その名の通りこの宇治のヒメ神であるという大事な神に感じます。

また、斎宮には「ウジ○○ヒメ」という名の皇女もいますので、その繋がりも感じずにはいられません。

 

タマヤラヒメという名も「タマヤラヒ・ヒメ」と想像し、魂振りの巫女のようでもあります。

また、大国玉命とも繋がりを感じさせますね。

 

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四社共に倭姫の定めた社であると『皇大神宮儀式帳』に名があり、

宇治乃奴鬼神社と葦立弖神社の御神体は石坐(磐座)であるとも記載されます。

この二社がそれぞれいつ同座とされたかははっきりとはしていません。

 

中世以降に祭祀が途絶え、江戸初期に復興されたのは他の摂社末社と同様です。

 

大土御祖神社は『延暦儀式帳』や『倭姫命世記』に

御刀田(=神宮神田)と家田の堰(=楠部町尾崎)の存在が記されていたことから、

旧社地を特定するのは容易であったと見られています。

 

また、国津御祖神社は『皇大神宮儀式帳』に

「坐地大土神社之四至内」とあることから少なくとも『皇大神宮儀式帳』が記された平安時代には

大土御祖神社と同じ地に鎮座していたことがわかります。

また当時は板葺きでなく茅葺であったと言います。

 

興味深い記事も見つけました。

伊勢神宮内宮(皇大神宮)の摂社である大土御祖神社を中心とした大土御祖神社境内遺跡において、

近世の常滑産陶器甕が据えられた状態で出土した。」

大土御祖神社境内遺跡発掘調査報告~伊勢市楠部町~ - 全国遺跡報告総覧

という報告です。

ここから復興後の祭祀の様子が垣間見れる…そんなことを期待してしまいます。

 

この地は「茶屋の森」と呼ばれいて、隣接する櫲樟尾神社では

にぎやかな地元のお祭も行われているそうなので、

地元に愛されてきた場所だとわかります。


 櫲樟尾神社は、八王子社で祀られていた氏神の櫲樟尾神と

日本書紀』にも現れる田上社(田上神)が合祀されて生まれた神社です。
この田上神は、倭姫の仮宮(家田田上宮)の守護神として祀られ、

楠部の産土としてこの尾崎で信仰されてきたそうです。

家田田上宮は矢田宮、西の森とも呼ばれたと言います。

 

この櫲樟尾神社の田上社と国津御祖神社のウジヒメ命…
どうやらやはり倭姫繋がりがありそうですね。

 

(2019年1月1日参拝)