伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【125社めぐり】 摂社 湯田神社

 

内宮 摂社 湯田神社 (ゆだじんじゃ)

御祭神 大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと) 御前神(みまえのかみ)

 所在地;三重県伊勢市小俣町湯田字孤山983

 

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内宮摂社第9位の社です。

伊勢市内ですが田丸城に近い方にあり、車かバスでないと行きにくい場所にあります。

国道から脇に入り、田園の広がる中に鎮座していますが

周りにはこんもりとした小さな森が多く、どれが摂社の社の森か…

ここだ!と思って歩いていますとなぜか竹林の中にいまして…

少々迷いました(笑)。

 

↓写真は社から外を眺めたところです。

入口も少しわかりにくいですが、駐車はしやすい立地です。

こんもりとした森の「つきあたり」がゴールです。

 

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湯田神社」の名前の由来は、神の田を意味する「斎田(ゆた)」からであるとされていています。

この地は皇大神宮(内宮)神主の荒木田氏によって開墾された土地だそうです。

神宮会館HP 湯田神社(ゆたじんじゃ)より)

 

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雄略天皇の御世に創建したとされていますが、

延喜式』には「小社「湯田神社」」の名と共に「論社「雷電神社」」とも記載があります。

これは『皇大神宮儀式帳』に

御前神については式内社 雷電神社のご祭神である鳴宸電神(なるいかつちのかみ)を祀る

とあります。

つまり現在、御祭神の大歳御祖命と同座している御前神は鳴宸電神である、ということになります。

 

ナルイカヅチ神=鳴雷神は『古事記』に登場します。

亡くなったイザナミ命を黄泉の国まで訪ねていったイザナギ命。

「見るな」とイザナミ命に言われたのに覗き見をしてしまうと、そこには蛆が集まり、

頭に大雷神、胸に火雷神、腹に黒雷神、女陰に咲(裂)雷神、左手に若雷神、右手に土雷神、左足に鳴雷神、右足に伏雷神の8柱の雷神(火雷大神)をまとうイザナミ命の姿が…!

(ここから雷神は祟り神と言われるようになったのかと想像。EX菅原道真など)

 

鳴雷神は8雷神の中で鳴り響く雷鳴の神とされています。

8雷神を総称して「火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)」とも言い、

雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みに対する

農耕民族でる古代日本人の信仰から生まれた神だとされています。

 

一方大歳御祖命神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)を指します。

この神大市比売命は、スサノオ命との間に大歳神と宇迦御魂神を生んでいることです。

また父は大山津見神です。

 

「祭神はこの土地の農耕守護の神」と神宮会館HPでは紹介していますが、

この神大市比売命はその名の通り「市場(人が集まる場所)の守護神」ともされています。

 

また、稲荷神社の総本山ともされている伏見稲荷大社の上社の祭神「大宮能売大神」を

大市姫命に当てている注釈書もあります。

神大市比売 - Wikipedia

 

いずれにせよ子である2柱の神の性質をぐるっとまとめて「農耕守護」としている感じがします。

(この2柱が神宮にとって意味深な神でもあると私は考えているのですが…)

 

 

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さて、この湯田神社は、古代には造神宮使が造り替えを行う6社のうちの1社とされたものの、

文久4年(1267年)に木材は調達されたものの遷宮が行われず、

その後は地元有力者の手で建て替えられるようになりましたが

他の摂末社のご多聞にもれず、文明3年(1471年)以降は記録がありません。

 

ですが少々他とは違うところが。

その後は地域の産土神として祀られるようになったことです。

 

江戸初期(寛文3年・1663年)に大宮司・河邊精長が他の摂末社と同様に再興をした際には

「湯田社」と呼ばれる産土神の神社であったそうです。

その境内に湯田神社を再興し、明治までは社や2つ―湯田神社と産土湯田社が建っていたそうです。

その後、明治22(1889年)に隣接する八柱神社産土神は合祀されますが、

八柱神社明治43年(1910年)に有田神社に合祀されたといいます。

その跡地があの竹林だそうなのです。(びっくり)

 

また、産土神であった名残でしょうか、

毎年12月12日に「摂社日待」という住民が参拝する習慣が今もあるそうです。

こうした地域に密着した信仰の残る摂末社としては他に、

子安神社・園相神社堅田神社・赤崎神社が挙げられています。

湯田神社 - Wikipediaより)

 

確かに、赤崎神社には手作りの賽銭箱があったり、

園相神社には歯痛の信仰があったり…地元密着な雰囲気が特に強く感じました。

 

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この湯田の地でもう一つ特筆すべきは、近くに前方後円墳があることです。

野田古墳という6世紀代の古墳です。

前兆は33メートルほどと小さめのものですが、しっかり鍵穴のカタチはわかるそうです。

ただ、発掘調査は行われていないそうなのですが

外城田川流域の有力者の墳墓ではないか?と推定されているようです。

(参考;『宮川流域の遺跡を歩く』―amazon

 

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この野田古墳の近く「千引神社」があります。

元々境内に古墳が…時代的には古墳の敷地にこの神社が建てられたのでは?と思います。

 

残念ながらまだ参拝したことはないのですが、

公式のHPに面白い記述がありました。

 

御神体として奉斎する千引岩(大磐石)は往古より此の地にあり(中略)。」

「一説に祭神は道反大神で、もとは内宮の末社であったとするが定かでない。」

三重県神社庁教化委員会 » 千引神社

 

道反大神(ちがえしのおおかみ)と言えば、そうです前述したイザナギ命の黄泉国訪問譚です。

イザナミ命の変わり果てた姿に逃げ出したイザナギ命は最後に道反大神で封印をします。

(その後禊をしてアマテラス命が誕生します)

 

また、湯田神社には御神体がないのです。

元々はこの一体が大きな境内になっていて、この磐座が御神体だったのではないでしょうか?

 

ちなみに千引神社は女性の病や安産に御利益があるそうなので、
火の神を生んで亡くなったイザナミ命との繋がりがあるような…?

 

そしてすぐ近くの不二池大権現(藤池さん)は痔と安産に御利益があると…。

イザナミは火の神を生んだ後に尿から

和久産巣日(ワクムスビ)と罔象女神(ミズハノメノカミ)を生んでいます。

(埴山媛神(ハニヤマヒメ)と罔象女神とも言います)

罔象女神は水の神です。

 

伊勢に戻り次第この付近はじっくり散策してみます。

 

(2019年10月23日参拝)

 


www.google.com

 

(余談ですが、千引神社は藤の名所とか。藤大好きなのに、知らなかった!

 そして藤といえば藤原氏春日大社藤原氏の祖・建御雷神。

 雷つながり。

 この建御雷神はイザナミの死の原因となった火具土をイザナギが斬った時に生まれています。

 ものすごいリンク感ですね~。)

 

(ついでに建御雷神は相撲と関係が。

河崎の河辺七種神社では、藤の花が咲くと強い力士が生まれるという

スサノオ命にも絡んだ伝説があります。)