伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【伊勢の寺社】 茜社・豐川茜稻荷神社 (伊勢市豊川町)

あこねさん」と呼ばれ、

地元で愛される茜社・豐川茜稻荷神社

外宮の境内に建ちます。

 

が、神宮ミステリー(?)。

神宮の所管社ではないのです。

 

そのためもあってか、

正宮のあるエリアからは直接行くことは出来ませんので

境内を出て火除け橋を背に右手に進んでください。

↓の看板が徒歩1分足らずで見えて来ると思います。

 

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看板を右手に。

真っ直ぐ進むと、↓写真の鳥居が見えて来ます。

左手に逸れますと、勾玉池に出られます。

 

鳥居も石碑もとても立派ですよね。

確かに神宮とは違った祭祀のものです。

 

ですが実は、茜社も古代は神宮の摂社のひとつでした

 

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創建も古く、平安時代一条天皇の御世以前(986年より前)と伝わります。

創建当初は摂社だったと思われますが、

【125社めぐり】でご紹介した外宮の摂末社同様に

地元の崇拝が篤くなり、産土の神となっていきます。

現在は、豊川町、旭町、藤里町氏神として信仰されています。

 

昔はこの地は「赤畝」という名だったそうで

「赤畝社」や「赤うね明神」などと呼ばれていたといいます。

これが転じて「あこうねさん」→「あこねさん」→「茜社」となったのですね。

 

「茜社」となったのは江戸時代から明治時代と推定されていて、

それまでは石壇のみで社殿はなかったのが、

文化・文政期に初めて小さな祠が建てられたようです。

 

明治に入り、教部省は寺社改革の一環として

茜者を神宮の所管から外し、

度会県および三重県管轄としました。

 

神宮側は、茜社を神宮の所管に復帰すべく尽力しましたが、

茜社の氏子は神宮所管に復帰することを承服しませんでした。

これは、神宮による信仰としての茜社よりも氏神としてのあこねさんの信仰が篤かったためでしょうね。

 

ちなみにこの時に同様の経緯を辿ったのが

内宮境内の大山祇神社子安神社です。

元々は大山祇神社が摂社だったようで、境内の子安神社と共に神宮管轄とされました。

【125社めぐり】 内宮 所管社 大山祇神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

【125社めぐり】 内宮 所管社 子安神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

その後茜社は、1952年(昭和27年)に宗教法人格を取得し、完全に神宮から独立しています。

 

神宮境内にあるのに、なぜ摂社じゃないのか?

という謎の答えはこういった歴史の上にあったのですね。

氏子さんたちの崇敬がなければ 茜さんも125社(いや、126か7社?)のひとつとされていたのかもしれないのです。

 

 

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現在、境内には手前から順に

天神社豐川茜稻荷神社茜社

と3つの社が建ちます。

 

天神社は、いわずもがなの学業の神菅原道真が祀られています。

元は山田大路家の鎮守・大路菅原社でしたが、

1909年(明治42年)に境内に合祀されました。

「茜牛天神」と呼ばれ崇拝されています。

 

「牛天神」と呼ばれる由来は

山田大路家の鬼門除けだった丑鬼(うしがみ)を祀っていた地に外宮宮域の菅原道真像を移したためだとか、

氏神」が「牛神」に転訛したしたためだとかいう説がありますが、

元々天神さんの御使いは牛さんですよね。

社殿には可愛いお顔立ちの牛さんの像が鎮座しています。

 

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豐川茜稻荷神社は創建は不詳であすが、

古くから茜社境内に鎮座するとされています。

1800年代に記された『小祠拾』の茜社の記述のに

「石壇ノ東北ノ方ニ稲荷トテ岩窟アリ。土俗豊川明神ト云フ。」とあります。

 

御祭神については

「当社で祭神の宇迦之御魂神は地・海・商の神」とされ、

漁師さんたちの信仰が篤いといいます。

また、案内板によれば、

「祭神はスサノオとカムオオイチヒメの子であり、別名をトヨウケビメ」ともあり

外宮との関係性も感じられます。

トヨウケビメと宇迦之御魂神は同一視されることが多いです)

 

そして、圧巻なのは社殿の前に収められたおびただしい数の白狐さんたち!!!

崇拝の篤さが感じられます。

写真はないので、是非当地でご覧ください。

(撮るのを憚られてしまうみたいで写真がないのです)

 

ちなみに、豊川稲荷とは関係はないようです。

ここでの豊川は所在地の地名に拠ります。

 

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茜社の御祭神は天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)と

蛭子命(ひるこのみこと)とされています。

蛭子命天神社と共に1909年(明治42年)に合祀されています。

入口の由緒書き(↑の方の写真)の「えびす神」に当たります。

 

 

天牟羅雲命天上から水を持ち帰った飲料水の神とされていて、

外宮所管社の御井神社御井神社との繋がりを彷彿とさせます。

摂社であったときの名残なのかもしれません。

【125社めぐり】 外宮 所管社 上御井神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

【125社めぐり】 外宮 所管社 下御井神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

蛭子命は、イザナミイザナギの子ですが

「出来損ない」として海に流されてしまう神です。

まるで神宮所管を外れた茜さんのことのようです…。

 

この蛭子神室町時代頃にえびす神と集合しますが、

少彦名命と同一視されたりもします。

元々は「海の神」「海から幸せを運ぶ神」とされた信仰が多いです。

豊川茜稲荷も海信仰の色がありますから

この地の産土信仰が海に繋がる証左になるかもしれません。

すぐ近くを流れる宮川のどちらかといえば河口に近い方に鎮座する所以かもしれませんね。

 

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もうひとつ気になるのが↑の石柱に刻まれた文字ですね。

なぜに橘諸兄

橘諸兄といえば、奈良時代に活躍した政治家で

母は県犬養橘三千代(後に藤原不比等夫人)です。

 

諸兄の創始したといわれる椋本天神社(現玉津岡神社)を遷座したという

天神社には「玉の井」があるようです。(玉の井に天神社があるのかも?)

 

玉の井とは?

指宿にも玉の井があり、そちらの御由緒には

「神代の昔から日本最古の井戸と伝えられている。

 神話によると,神代の時代,この辺りは竜宮界で,

 玉の井は竜宮城の門前の井戸だったという。

 龍神の娘豊玉姫が朝夕汲まれた井戸でもあり,

 姫はこの井戸端で彦火々出見尊(山幸彦)と出会い,

 後に夫婦の契りを交わしたという。」

とあります。

玉の井 ::: 指宿まるごと博物館|海と港のめぐみ

 

これまた天の井戸繋がりなのでしょうか?

そして海ともつながりますね。

 

天神社つながりで、大阪の天神社の祭神が少彦名と菅原道真公であるのもまた興味深いです。

これは、↑の茜社御由緒の祭神と同じになりますよね。

 

それとももしかして単純に宮司さんの祖先?

 

あまりにも謎なので

宮司さんがいらしたら聞いてみようと思います。

 

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そしてもうひとつ、あこねさんの見所がこの奉納鳥居のアーチです。
伊勢を訪れた友人を案内すると皆「わぁー」と声を上げます。

 

鳥居の道を進むと左手には勾玉池です。

 

この鳥居の先からも境内を出ることが出来ます。

(↑↑の写真がそちら側になります)

 

ですが、また境内に戻って

最初に紹介しました看板から入って左手に進む道を行ってみてください。

 

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勾玉池をほぼ半周することができます。

茜社の後姿やせんぐう館も見渡せます。

 

せんぐう館が出来る前は一周できたそうですが、

現在は立ち入り禁止の看板に瀬切られ

また元来た道を戻ることにはなりますが

ここからの勾玉池の景色は素敵ですよ。

 

秋には彼岸花や萩など、

季節の花も見られます。

 

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神社の成り立ちなどを中心にご紹介しましたが、

あこねさん境内には他にも杉と楠のご神木や

岩座などもあり、見所がいっぱいです。

 

是非外宮ご参拝の折にはお立ち寄りいただきたい神社です。

(個人的には大好きな神社のひとつです。勾玉池散策も含めて。)

 

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以前、こちらのコースにも組みましたが

【伊勢神宮の歩き方】 外宮外周 摂末社ツアー 【125社めぐり】 - 伊勢河崎ときどき古民家

バスローターリーが近いですので、

 

外宮→参道の店で休憩→茜社→バスで内宮

 

というコースもオススメしたいです♪

 

「案外外宮周辺も面白いなぁ」と思っていただけたら嬉しいなぁと

外宮の神領にご縁をいただいた身としては思います。