【125社めぐり】 外宮 所管社 上御井神社
外宮 所管社 上御井神社 (かみのみいのじんじゃ)
所在地;外宮境内
外宮の境内に建つ社ですが、
一般参拝者は立ち入り禁止の区域にあります。
位置としては、大津神社の先になるのですが、
大津神社のすぐ先には関係者以外立ち入り禁止のロープが張られています。
地図で見ますと、↓の位置取りです。
正宮と伊勢市立図書館の間という感じですね。
ちなみに、もちろん図書館側からも立ち入れません。
20年ほど前に初めて伊勢に来た際に一緒に神宮に参拝した学生時代からの友人と
数年前に伊勢参拝をして大津神社にも参拝した際に
「あれ?この先って、もっと先まで入れたよね?」
と言われました。
私は記憶が曖昧だったのですが、
調べてみましたら、友人の記憶が確かでした。
詳しくは大先輩のブログにもありますが、
どんどん立ち入れるラインが後退しているそうなのです。
多分、参拝客が増えたことによる配慮だと思われます。
以前はもう少し先で上御井神社に遥拝することができたそうです。
残念…。
以前より後退した上御井神社の遥拝場所(外宮) – 神宮巡々2
↓度会国御神社の手前のY字路も一般参拝客は立ち入り禁止です。
実はこのエリア、かなり広いことが地図からもわかりますよね。
慶安元年(1648年)に外宮の火除のために宮域が整理されるまでは
忍穂井(上御井)のそばまで民家が建っていたという記録もあるそうです。
では、上御井神社にはどんな役割があるかと言いますと、
神様の御食事(日別朝夕大御饌祭)や
祭祀のための神酒つくりにつかわれている井戸なのです。
毎朝、神職の方はこの井戸から桶一杯の水を汲むそうです。
この井戸は神聖な水が満ちているので
神職の方は柄の長い柄杓を用いて、
自身の姿が映りこんで穢れを水に移さないようにするといいます。
その時の装束も浄衣を着用するそうです。
年のはじめの若水もこちらの水が奉汲されます。
この御井は忍穂井(おしほい)と称するそうで、
「古伝によると天孫降臨の際、
高天原天忍穂の長井の水を、
丹後国比治の真奈井を経て、
豊受大神宮ご鎮座の折、
この御井に移し奉ったものとされる。」
と神宮会館HPにはあります。
「世々を経て 汲むとも尽きじ 久方の 天より移す をしほ井の水 」
とも謳われていて、天の水であるという伝承は有名だったようです。
また、天の井戸と繋がっているという伝承や、
ニニギ命が掘ったという伝承もあるそうです。
元伊勢のひとつ籠神社には奥宮真奈井神社があります。
こちらには下記のように伝わっています。
「この水は籠神社海部家三代目の天村雲命が
神々が使われる「天の眞名井の水」を黄金の鉢に入れ、
天上より持ち降った御神水です。
天村雲命はその水を初めに日向の高千穂の井戸に遷し、
次に当社奥宮の眞名井原の地にある井戸に遷しました。
上御井神社の井戸に遷されたと伝えられています。」
私が地元の方に教えてもらった伝承は
「この上御井神社の水が枯れたら天変地異が起こる」
というものです。
神宮の御料水の守護神とされていますから…。
ですが、上御井神社の井戸の水は宮川水源という説があります。
宮川は高氾濫が多いくらいに水量がありますから、
これが枯れたらまさに天変地異レベルの一大事です。
また、高倉山が水源…という説もあるようです。
(山末神社からは水が涌いていますので、それもありそうです)
上御井に異変が生じた際は朝廷に使いを出し祈謝したとも言われるそうですが、
「未だ枯れたことはない」といいます。
その万が一の時には下御井神社の井戸の水をつかうことになっているそうです。
ただ、『太神宮諸雑事記』に
永承5年(1050年)に上御井の水が涸れ、土宮の前の水(下御井の水)を汲んだ
という記述が見られるようですが、定かではないとされています。
(余談ですが、この年には天変地異はなく、
敢えていえば翌年に前九年の役が起きて
武家の台頭と公家の衰退…
神宮の公家からの寄付が減ったりする原因にはなっていきます)
現在はこの木の辺りからしか遥拝できませんが、
上御井神社の井戸が保たれるように遥拝することは
天変地異がないよう祈ることに繋がるのですね。
神宮の水が鎮まる=天下が鎮まると心に留めて
遥拝をしたいと思います。
(写真撮影;2018~19)