【125社めぐり】 摂社 堅田神社
内宮 摂社 堅田神社 (かただじんじゃ)
御祭神 佐見都日女命(さみつひめのみこと)
二見駅からほど近く。
二見興玉神社までの半分ほどのところにあります。
国道42号線沿い。道路側はすっきりと生垣のように木々が刈られているので
おしゃべりしながら歩いていたら神社とは気付かないほどです。
入口も少々わかりにくいです。
境内は広く、森の中にすっぽりと入ったような涼しさです。
社が見えてくるまでの参道の雰囲気も素敵です。
真っ直ぐではなく、ほぼ直角?75度くらいに曲がります。
「祭神はこの地方の土地の神、佐見都日女命。
倭姫命に堅塩(かたしお・焼き固めた塩)を奉った故事により定められた。」
と、神宮会館HPにはあります。
堅田とは、稲の田ではなく、堅塩の田―塩田を指すのでしょう。
現在も同じ二見の御塩殿神社で堅塩は古代の方法で作られ、
神宮に献上されています。
ですが、この堅田神社さんにはいくつか謎があります。
まず1つめ、
『皇大神宮儀式帳』の倭姫の定めた神官管社の一覧にご祭神の名前がないこと。
他の社は名称、御祭神名、御神体、倭姫が定めた、
という記述スタイルになっているのですが、
この堅田さんだけは御祭神の代わりに「東方堅田神社」とあるのです。
もう一つは、『延喜式』に記載が見られないこと。
「榎村神社」・「大国玉比売神社」双方の論社となっています。
垂仁天皇の延時代に定められたはずなのに、
喜式に定められた社(式内社)ではないとは…?
堅田神社を「大国玉比売神社」に比定する見解は、度会延経や伴信友が述べており、
薗田守良は堅田神社の西方に「大国玉比売神社」があったのではないか、と述べている。
と、そこそこ納得のいく解説もありますが
そもそも「大国玉比売神社」とは?
外宮摂社に「度会大国玉比売神社」があります。
二見も宇治も大きな目でみれば、度会の領域ではありますよね。
そして確かに「東方」です。
更にもっと大きな目で見てみると、
伊勢から見て西、現兵庫県神戸市にも「堅田神社」がありました。
御祭神は大己貴命(大国主命) 猿田彦命 倉稲魂命 皇太神 素盞嗚尊 とあります。
これは有望かと思いきや天元2年(979)正月15日の創建と言われるそうで
少々時代がずれてしまっています。
(『皇大神宮儀式帳』が延暦23年(804)成立です)
やはりこれは、度会大国玉比売神社との関連が強そうです。
御塩殿神社で作られた堅塩を外宮に運んだ旧ルート(ソルトロードと私は呼びます)に
まさに「東方堅田神社」ではないでしょうか?
堅塩を奉ったというこの御由緒ですが、
実はこの佐見都日女命、進んで貢じたわけではく、
半ば嫌々ながら献上したとも言われているのです。
「倭姫命の質問に一切答えず、黙って堅塩を奉じることで、
自らの開拓した土地を差し出すことにせめてもの抵抗を示した」
(『日本人なら知っておきたい 伊勢神宮と125の社』タツミムック)
という見解があります。
もしかしたらその拒絶のために、他の摂社のように
佐見都日女命がこの社の神として記述されなかったのかも?
と思ってしまいます。
「同じく摂社である江神社にまつられる佐見都比古命(さみつひこのみこと)とともに、
この地方の国津神であるといわれています。」
堅田神社(伊勢神宮 内宮摂社)|伊勢志摩の観光スポットを探す|伊勢志摩観光ナビ
と掲載されていますが、これはちょっと「?」でして、
江神社の御祭神に佐見都比古の名前はありません。
倭姫を佐見津比古がお出迎えしたという故事はあるのですが、
御祭神にはなっていないのです。
他の摂社末社では、お出迎えした国つ神が
その地の社の御祭神となることがステレオタイプなのですが…。
やはり、佐見津比売&佐見津比古は倭姫にあまりよく思われてなかったのでは?
と思わずにいられませんね。
佐見都日女命は伊勢国の大国玉・伊勢津彦の娘となるという指摘もあります。
(参考文献前出)
この伊勢津彦、天日別命に国譲りを断り、その後攻められそうになり
神風に乗って東方に逃げた、とあります。
何やら、佐見津比売の話と被るものがありますよね。
伊勢津彦の娘・弥豆佐々良比売命は
度会大国玉比売神社のもう一人の祭神でもあります。
また、内宮摂社・大土御祖神社でも大国魂命と共に祀られています。
(正確には、水佐々良比売と弥豆佐々良比売ですが、
「伊豆」のつく神は水神が多いので同じだと思います。
そういえば、琵琶湖のそばの堅田という場所に「伊豆神社」があります)
もしかして、佐見津比売=佐々良比売ではないでしょうか?
(若干字面も似ています)
弥豆佐々良比売命は伊勢津彦の娘で
子の彦國見賀岐建與束命は度会国御神社の祭神とされます。
『伊勢国風土記』逸文では、伊勢国造の祖・天日別命の妻ともされています。
『大神宮儀式解』で水佐々良比賣命を夫婦神とすることから、
弥豆佐々良比古命は夫の天日別命であるとも見られます。
佐々良比売=佐見津比売ならば
佐々良比古=佐見津比古だと思ったのですが…。
…何だかこんがらがってきましたね。
図解してみます。
『伊勢国風土記』逸文の天日別命の妻が、伊勢彦の他の娘であれば、
すごくしっくりいくのですが。
ちょっと強引でしょうか?
どちらにせよ、伊勢津彦の面影があることから
倭姫に快く返事をしない逸話が出来たのだとは思うのですが…。
ちなみに「佐見」とは鎮座地の古い地名だといいます。
私がこちらに参拝した朝、入口に立派な蜘蛛の巣がありました。
クモ、といえば…
八雲立つ出雲。
『伊勢国風土記』逸文の一説には
出雲の神(大国主神)の子である出雲建子命の別名が「伊勢津彦の神」であり、
またの名を「櫛玉命」というと記されています。
イズモ…イズ…弥豆佐々良比売も連想させられます。
水神といえば、『住吉大社神代記』には、
「日神を出し奉る宇麻(呂?)・鼠緒・弓手」等の遠祖である
大田田命の子、神田田命の子、神背都比古命が
天賣移乃命の子、富止比女乃命を娶って伊瀬川比古乃命を生んだとあり、
伊瀬玉移比古女乃命を娶ったとあります。
また「伊西国(いせのくに)の舩木」に座し、
弟に木西川比古命がいたということです。
伊勢は国の成り立ちから謎が多く、
それを見つめなおすきっかけとなった堅田さんです。
(2019.10.5.参拝)