伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【志摩・一宮】伊射波神社②~奇跡の窓より奇跡的な氏子さんたち編~

伊射波神社、通称かぶらこさんについての考察を昨日しましたが、

今日はかぶらこさんの観光スポットでもある絶景ポイントをお伝えしたく思います。

 

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本殿の先の岬に「領有神(うしはくのかみ)」が祀られているお話も昨日しましたが、

(未読の方はよろしければチェックしてみてくださいね)

そこに「奇跡の窓」と名付けられた場所があります。

 

そこからの眺めが、地元では大人気なのです!

それがここです!

 

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岬を囲む木々の間からのこの景色…。

海の青と空の青。

うしはくの神が鎮座したくなるのもわかります。

 

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季節によって、この窓は様々な色を見せてくれます。

氏子さんのなかには、毎日この景色を写真に収めている方もいるんです。

 

そして、かぶらこさんにお邪魔する度に思うのが、氏子さんたちが、アツイ!!!

 

海辺のお掃除はもとより、 

鳥居の前や、神殿の前の石がとても丁寧に並べられていたり、

ある日はこんなにかわいらしいことになっていたり(写真↓)…

なんとも心が温かくなります。

神様たちもほっこりなさっているのでは?と想像。

 

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更に皆さん、特技や技術を持ち寄って色々なことに取り組んでいらっしゃいます。

 

例えば、このお賽銭箱。

(奇跡の窓の近くにあります)

 

多分、ここからコインを投げないようにという配慮だと思うのですが

(なぜか寺社の水辺って皆さんコインを投げ入れがちですが、ここではとっても危険!!)

この笑顔にしちゃうところがめっちゃイイですよね。

 

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この方は板金をお仕事にされているそうで、

実はこちら(写真↓)のオリジナルのお守りキーホルダーも手掛けていらっしゃるとか。

 

栞付きです。

栞の写真は前述の氏子さんの撮った写真の傑作選になっています。

 

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そしてかぶらこさん、お守りもそもそもかわいいんですよ!

お守り袋が色々な柄があって、迷います!!

  

そして、伊勢和紙のオリジナル御朱印帳もあります!

オールハンドメイドです!!!

(表紙の写真がなくてごめんなさい)

 

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↑ちょっと以前のものですが、御朱印です。

達筆!かっこいい!!

なのに、「もっと書道を上達せねば」と宮司さんはおっしゃってっるとか。

ストイック!!!素敵です。(見習わねば)

 

ただ、この御朱印は本殿ではなく、宮司さんのお家に行かないといただけません!

その地図は本殿にありますので、まずは本殿にしっかりご参拝を!

 

最後にプチ自慢。

キーホルダーお守りについている栞に

伊勢和紙も貼ってほしいな~というアイデアを出したのは、私です(どやっ)。

 

(*現行品は伊勢千代紙つきのはず←昨年はそのようになってました)

【志摩・一宮】伊射波神社①~歴史考察編~

先だってゴージャスな例祭についてお話しした伊射波神社さん。

今日はその歴史について見ていきたいと思います。

 

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鳥羽市安楽島町加布良古崎の先端に建つことから、

地元では「かぶらこさん」の愛称で親しまれています。

加布良古大明神」という異名も持つそうです(神仏習合の名残ですね)。

 

境内に向かう途中に出会える美しい志摩の海岸は

氏子さんたちが清掃活動をしていらっしゃいます。

 

 

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「日本一参拝が困難な一宮」と呼ばれるだけあって(地元情報なので真偽は謎)、

山道を登り、フィニッシュは石段です。

(石段と並行してスロープもありますが、逆に下りは膝に来ます)

 

また、この加布良古崎の地へも車以外での到達が若干不便です。

かもめバス「安楽島方面行き」の終点「安楽島」が最寄りのバス停ですが、

発着数が少ないのでご注意を。

更に鳥居まで徒歩約30分くらいかかります。

 

この海に向かって立つ鳥居は、

昭和初期までは海岸まで船で来て参拝した名残だといわれています。

 

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創建は1500~1600年ほど前だと推測されています。

 

御祭神の稚日女尊を海の道から加布良古崎へ祭祀したのが起源といわれ、

志摩国海上守護神として古代から崇敬されたと伝わります。

 

延喜式神明帳』には「答志郡粟島坐伊射波神社」と記載があります。

また建久3年(1192年)、皇太神宮年中行事には「加布良古の明神」との記載も。

 

『外宮旧神楽歌』には

志摩国知久利が浜におわします悪止・赤崎・悪止九所のみまえには、

 あまたの船こそ浮かんだれ、艫には赤碕のり玉う。

 舳先には大明神加布良古神)のり玉う。

 加布良古の外峰に立てる姫小松、沢立てる松は千世のためし、

 加布良古の沖の汐ひかば、都へなびけ、我も靡かん。

 加布良古の大明神にお遊びの上分を参らする請玉の宝殿」

とあります。

 

赤崎は同じ鳥羽市内にあります外宮の末社です。

(参考;【( 125社めぐり】 外宮 末社 赤崎神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

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御祭神は、

稚日女尊

伊佐波登美尊

玉柱屋姫命

狭依姫命

 

稚日女尊はアマテラス大神が岩戸に隠れるきっかけとなった、

スサノオの暴挙で亡くなった神様です。

斎服殿で神衣を織っていたとき、スサノオが馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込んだため、稚日女尊は驚いて機から落ち、持っていた梭で身体を傷つけて亡くなった)

 

また、神功皇后三韓征伐の折に、

「尾田(現、三重県鳥羽市の加布良古の古名)の吾田節(後の答志郡)の淡郡(粟嶋= 安楽島)に居る神」

として現れた神が稚日女尊であるとされています。

そしてこのとき神が坐しましていたのが、この伊射波神社なのです。

 

(その後、稚日女尊は神戸の生田の宮に移ります。

 神功皇后三韓外征の帰途、難波へ向おうとしたが船が真直に進めなくなったため、武庫の港(神戸港)に還って占いを行ったところ、稚日女尊が現れられ「私は活田長峡国にいたい」と神宣があったので、海上五十狭茅に祭らせたとあり、これが今日の生田神社であるといいます。)

 

また、稚日女尊天照大神自身のこととも、

幼名であるとも言われ(生田神社では幼名と説明している)

妹神や御子神であるとも言われています。

丹生都比賣神社和歌山県伊都郡かつらぎ町では、

御祭神の水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が

稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしているそうです。

 

(余談;水銀鉱床の神である丹生都比賣大神といえば、

 多気町の丹生神社も彷彿とさせますね。

 水銀は不老不死や若返りの妙薬ともされていましたし、

 何か関係があるかもしれません)

 

伊佐波登美尊は『倭姫命世記』によれば、

倭姫命皇大神宮の朝夕の御贄を奉る地を探して志摩国を訪れたとき、

この神が出迎えたとしています。

安楽島の二地の鳥羽贄遺跡がこの神の本宮跡で、平安時代後期に現在地へ移ったと言われます。(『公式ガイドブック 全国一の宮めぐり』)

 

玉柱屋姫命は、伊雑宮の『御鎮座本縁』などでは天叢雲命の裔、伊勢国造の祖・天日別命の子であるとされています。

伊佐波登美命の妃神と解説する本もあります。(前出)

 

狭依姫命は、宗像三女神の1柱市杵島姫命の別名とされています。

近くの長藻地と言う島に祀られていたそうですが、

島が水没したので当社に合祀されたと言われています。(前出)

 

女性の神様が多いせいでしょうか、

御神威は、縁結び・夫婦和合・海上安全・大漁祈願・五穀豊穣・合格祈願・病気平癒(特に女性)

とされています。

 

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この加布良古崎には、更にもう一柱の神様が祀られています。

それは、領有神(うしはくのかみ)です。

 

稚日女尊らが祀られる正殿のそのまた先、

神社で神木とされることも多いナギの木も見られる森の中を行き、

先端の岬に鎮座します。

(写真はないですが、お社もあります)

 

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うしはくとは、神道における古語で「支配する、領知する」という意味を表します。

漢字で書けば、「領(うしは)く」となります。

神の力を表す「大人(うし)」と、身につける意味の「佩(は)く」が語源になっていると言われ、

「うしはく」は神々に対して用い、「しらす」は主に皇室に対して用いられる言葉です。

 

「うしはくのかみ」聞いたことあるな…と、国文畑出身・万葉集の時代専攻の私は思ったのですが、その場ではどうしても思いませず…。

後々調べてみたところ、万葉集に6例あるそうです。

特にそのうちのひとつが、

「住吉の 現人神(あらひとがみ) 船舳(ふなのへ)に うしはきたまひ」6-1020

と、船の舳先に人身で現れています。

これは前述した『外宮旧神楽歌』の

「舳先には大明神加布良古神)のり玉う。」

と見事に合致していますね。

 

またうしはくの神は海以外にも山にも登場しています。

 

日本書紀では天つ神が国つ神に対し

「おまえが領有する(=うしはける葦原中国は、私の御子の支配する国だ」

とも言っています。

 

(参考→うしはく (意味とはフレーズ表現辞典)

    國學院デジタルミュージアム)

 

つまりうしはくの神は、その領主である神で、

加布良古岬―しいてはこの志摩の国を治めていた神なのでしょう。

 

↑のご由緒に見られる「宇志波那流神」は、

「うしはなる神」=「うしは・なる神」=「うしはくである神」

ではないでしょうか?

(漢字の当て方は奈良時代以降のような美しさですね)

 

今でもこの岬を通る漁師さんたちは

かぶらこさんに手を合わせると聞いたことがありますが、それも頷けます。

 

 

 

 

 

 

【鳥羽の神事】 伊射和神社祭礼に参加してきました(2018)

鳥羽の一の宮、伊射波神社では、

11月23日に祭礼が行われます。

 

昨日、11月23日は新嘗祭の日だから勤労感謝の日ですよ、

というお話をしましたが、

ここ鳥羽の収穫は海の幸です!

つまりは豊漁のお祭りですね。

 

その伊射波神社の関係者に知人がいるご縁で

祭礼に参加させていただいて来ました♪

一昨年2018年のことなのですが…

 

当時SNSに上げた記事でご紹介させていただきたく思います。

 

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快晴の今日、
志摩の一の宮、伊射波神社さんの祭礼にお邪魔しました。

 

全国の一の宮史上一番険しい?とも言われるこちらですが、
 途中に見える海は格別✨

 

 前回お邪魔したときは曇り空でしたが
秋晴れの眩しいお天気に、海の神様もウキウキしていそうなそんな海の色でした。

 

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お祭は地元の皆様や観光客の皆様に見守られながら行なわれます。

 

参加は自由です。

氏子の皆様はもちろん、

近所のゲストハウスのオーナーさんが宿泊客を連れて来ていたり、

御朱印をもらいに来て参加した…という参拝客さんまで色々です。

地元テレビ局もカメラを片手にやって来ます。


式次第は順調に進み、

可愛い舞姫ちゃんたちの舞や迫力の太鼓の調べが厳かに納められます。

 

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↑実は知人の知人の御孫さんが舞っていました。

いいなぁ、舞姫、憧れたなぁ。やってみたかったなぁ。

貴重な経験ですよね。

 

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もうひとつ、↑で見逃せないのは神様の御前の海の幸の数々…!!!

地元の漁師さんや海産物屋さんから奉納されています。

そしてお祭りはクライマックスに、、、!

 

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伊射波神社さんは、鳥羽の先端の海の神様。
そこで、大漁祈願が行われます。
めっちゃダイナミックに!

社殿の前に張られた網に向かい
「大漁~~~っ」
の声と共に魚を投げるのです!

 

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奉納されている立派な鯛は、どすっ、と立派な音を立てて落ちます(笑)。
 小さな鯛もぽすぽすと投げ込まれます。
 網にかかるもの、着地するもの、みるみる社殿前に魚の群れが、、、!

 

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私も鯛を投げさせてもらいました♪
「大漁ー」
 生魚を投げるのは人生初めてだと思う(笑)。
 楽しい(笑)。

 

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そしてその後には嬉しいふるまいタイムが✨

さっき投げられた鯛や太刀魚や諸々の魚たちがダイナミックに網の上に!
こんなダイナミックバーベキュー見たことない😆
皆で「鯛の贅沢焼き」と呼ぶことに(笑)

新鮮な鯛は、身がふわふわで優しいお味。
 鯛の種類によって味や身のしまりが違って、鯛の味比べという贅沢体験。

…毎年参加させていただきたい!!!

 

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そして、あらしまの朝市の大人気店からの山のような牡蠣✨
焼き牡蠣に蒸し牡蠣。
 鳥羽市長がじゃんじゃん剥いてくださり、いくつも戴いちゃいました。
 焼きもいいけど、蒸しが味が詰まって最高!

あと、御神酒が恐ろしく美味しかったのですが、
どこのお酒なのか?
 気になりつつも帰りました(笑)。

 

伊射波神社の皆様、かぶらこの神様、
ありがとうございました💕

 

【神宮の神事・番外編】大嘗祭・新嘗祭とは?

昨日は伊勢神宮の神事である神嘗祭についてざっくりとですがお話ししました。

「かんなめのまつり」とは、「かむにえ」、神様が贄を食すお祭りでしたね。

 

では、よく似た神事である新嘗祭大嘗祭とは何でしょう?

 

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大嘗祭は昨年行われましたので、皆様ご記憶に新しいかと思います。

宮中に大嘗宮が建てられ、その見学も後日行われましたね。

 

ちょうどその頃に、私は伊勢から東京に戻りましたので、

もちろん見学に行きました。

今日はその写真を添えていきたいと思います。

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大嘗祭天皇陛下即位式のような位置づけにもとられていますが、

天皇が即位して最初の新嘗祭のことを言い、

古くは同一祭事の同義語とされていたと伝わります。

 

大嘗祭に関する宮内庁の資料にも、

 

 「7世紀中頃までは,一代に一度行われる大嘗祭

 毎年行われる新嘗祭との区 別はなかったが,

 第40代天武天皇の時(御在位673~686年)に,

 初め て,大嘗祭新嘗祭とが区別された。

 爾来,大嘗祭は一世に一度行われる極め て重要な皇位継承儀式とされ,

 歴代天皇は,即位後必ずそれを行われることが 皇室の伝統となった。」

 

とあります。

 

ここにも天武天皇

天武天皇は伊勢だけではなく、宮中祭事も整えたのですね。

 

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大嘗祭新嘗祭の大きな違いは、やはり大嘗宮が建てられることです。

新嘗祭は毎年行われる宮中祭事なので、逐一宮を建てることはなく、

宮中三殿の近くにある神嘉殿で行われます。

 

大嘗宮は、宮中の約90メートル四方、

約2,700平方メートルの敷地に建てられます。


悠紀殿(悠紀殿供饌の儀を行うための建物)

主基殿(主基殿供饌の儀を行うための建物)

廻 立 殿(大嘗宮の儀に先立ち天皇及び皇后が御潔斎や召替えをなさる建物)

 

を中心に,関連する建物や参列者幄舎など大小30余の建物が設営されます。

 

これらの建物は,床は筵又は畳表を敷き,

扉及び壁は畳表を張り,

柱は加工をしない皮つきの丸太を用いるなど,

伝統的に質素なものとされているそうです。

宮内庁資料より)

 

秋篠宮さまが費用面などご心配されていましたが、

伊勢の式年遷宮同様に、伝統を伝える意味でも

この宮を建てることには大きな意義があると私は思います。

 

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大嘗祭の細かな式次第についてなどは、

昨年あちこちでインフォメーションされてましたので

ここでは割愛させていただきますね。

宮の詳細や式次第などは、こちらの宮内庁資料がおすすめです。

https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/shiryo/tairei/pdf/shiryo011002-7.pdf

 

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では、新嘗祭とは何なのか?

それを見ていきたいと思います。

 

「新しい贄の祭り」

つまり、その年の豊穣を祝うお祭りです。

 

大嘗祭とは、

 「稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた

 収穫儀礼に根ざしたものであり,

 天皇が即位の後,初めて,大嘗宮において,

 新穀を皇祖(天照大神)及び天神地祇(すべての神々)にお供えになって,

 みずからもお召し上がりになり,

 皇祖及び天神地祇に対し,

 安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに,

 国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。
 それは,皇位の継承があったときは,

 必ず挙行すべきものとされ,皇室の長い伝統を受け継いだ,

 皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。」

と先述の宮内庁資料にありますが、

 

新嘗祭

 「稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた

  収穫儀礼に根ざしたものであり,

  新穀を皇祖(天照大神)及び天神地祇(すべての神々)にお供えになって,

  みずからもお召し上がりになり,

  皇祖及び天神地祇に対し,

  安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに,

  国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。」

というものです。

 

つまり、

 「天皇が即位の後,初めて,大嘗宮において」

ということ以外は大嘗祭新嘗祭も同じなのです。

 (と私は理解しています)

 

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つまりは、新嘗祭神嘗祭同様に収穫祭なのです。

日本の神道の長である天皇陛下が一年の収穫に感謝を捧げる儀式ですので、

日本全国の神社でも同日に新嘗祭を行うところが多いです。

もちろん伊勢神宮でも新嘗祭の大御が行われます。

 

「でも、自分は神道じゃないし、関係なくない?」

と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、大いに関係あるんですよ。

実は皆さんもこの日は収穫祭に参加しているんです、ある意味。

それはこの日が「勤労感謝の日」なんですよ。

 

勤労感謝の日

「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」

祝日法に現在もあります。

もう、収穫祭そのものですよね。

 

そう、日本のハロウィンは11月23日なのです!

(*ハロウィンの起源は収穫祭+お盆のようなもの)

 

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ただ、新嘗祭には他の意義もあるという指摘が古くからあります。

それは、神道の長である天皇が神前で新穀を食すことにより

天照大神の霊威を身に受けて、それを更新する神事である、という説です。

 

私たちの測り知らないところで、天皇陛下は日々祈りを捧げ、

数々の神事を行われています。

これはかなり心身共にお疲れになられることと存じます。

そこで、そのための力を年に一回神様と同食&同寝することでチャージする日だというのがこの説です。

 

これもピンと来ない方が多いかもしれませんが、実は私たちもやっています。

それは、お正月です。

 

新しい歳の神様を迎えるために年末に大掃除(大祓)をして、

門松やお飾りというウェルカムボードを立て、

お節料理でおもてなしをしますよね。

この時のお箸は両方が研いである祝箸を使います。

このお箸こそが「片方は神様、片方は自分」がつかい、神様と同食することで

その歳のパワーをいただいているという古来の習慣なのです。

 

話が逸れましたが、

実は新嘗祭神道の思想は日本の隅々に生きていると

お伝えしたかった次第であります。

 

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でも、なぜ神嘗祭新嘗祭があるの?

といいますと、「神様バージョン」「宮中バージョン」の違い、

つまり「神様(天)の祭事」と「宮(地、国)の祭事」であるというような説明が多いです。

 

確たる立証はないのですが、私の知っている見聞から紐解きますと

 

まず、神様に収穫を感謝し、その年の初穂を最初に食べていただき(神嘗祭)、

そのあと国の民は新米を口にする。

全ての国民が新米を食べたのを確認してから天皇も収穫を感謝して神と同食し、

更に次の1年のために神様からパワーを頂戴する(新嘗祭)。

 

といった感じです。

 

そして、即位後初めての新嘗祭は、神様に自己紹介や今後の良好な関係性をお願いするために大きく行う(大嘗祭)、

のではないでしょうか?

(もしくは、神の力を宿すために行うともいえますね)

 

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↑さて、こちらはおまけ映像です♪

なんと!黄櫨染御袍を着たダッフィーです!!!

 

黄櫨染御袍は天皇陛下のみが着用できる禁色の袍衣で、

特に大事な行事でのみお召しになられます。

 

あまりのクォリティーに写真をお願いして撮らせていただいちゃいました♪

 

ちなみに、ダッフィー船長さんという方です♪

2019年12月5日のブログ記事一覧-ダッフィー船長航海記 / Captain Duffy

 

いやぁ、すごい方がいらっしゃる!!!
出会えてラッキーでした♪

【神宮の神事】 神嘗祭

その年の初穂を神宮に納める初穂曳についてこの数日お話しました。

この初穂が神宮に奉納されると行なわれるのが、神嘗祭です。

 

神宮の祭事で最も大切な神事になります。

 

そのタイムスケジュールは以下になります。

(今年バージョンですが伝統的に日時は変りません)

 

■外宮(豊受大神宮
  由貴夕大御饌  10月15日(木) 午後10時
  由貴朝大御饌  10月16日(金) 午前2時
  奉  幣      10月16日(金) 正午         
    御神楽       10月16日(金) 午後6時

 

■内宮(皇大神宮
  由貴夕大御饌  10月16日(金) 午後10時     
     由貴朝大御饌  10月17日(土) 午前2時
  奉  幣      10月17日(土) 正午          
   御神楽       10月17日(土) 午後6時

 

神嘗祭に付随する神事は、初穂が奉納された日の夜から始まります。

もちろん参拝時間外ですので、一般の人は見ることは叶いません。

 

昼間、参拝時間内に行なわれます奉幣や御神楽は参道から垣間見ることができます。

 

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そもそも神嘗祭ってどんな神事なのでしょう?

 

神宮にHPには以下のようにあります。

 

「年間1500回に及ぶ神宮の恒例のお祭りの中でも、最も重要なお祭りが神嘗祭です。
 神嘗祭は、その年に収穫された新穀を最初に天照大御神にささげて、

御恵みに感謝するお祭りで、由貴大御饌と奉幣を中心として、

興玉神おきたまのかみさい御卜みうら御神楽みかぐらなどの諸祭を行います。
さらに附属のお祭りとして、春に神宮御園じんぐうみそので行われる御園祭みそのさい

神宮神田じんぐうしんでんで行われる神田下種祭しんでんげしゅさい

秋の抜穂祭ぬいぼさい酒殿みさかどのさい御塩殿祭みしおどのさい大祓おおはらいがあり、

神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているといっても過言ではありません。」

神嘗祭|年間行事|神宮の祭典と催し|伊勢神宮

 

具体的に何が行なわれるのかといいますと、以下のようにあります。

 

神嘗祭は、6月・12月の月次祭と共に「三節祭さんせつさい」と呼ばれ、

神宮の最も由緒深い祭典です。

浄闇の中、午後10時と午前2時の二度にわたって由貴大御饌の儀が行われ、

神宮神田で清浄に栽培された新穀の御飯・御餅・神酒を始め、海の幸、山の幸をお供えし、

明くる正午には、勅使をお迎えして奉幣の儀を奉仕します。

お祭りでは秋の実りに感謝申し上げ、

皇室の弥栄、五穀の豊穣、国家の隆昌、並びに国民の平安を祈願します。
神嘗祭は、両正宮に引き続き25日まで、

別宮を始め、摂社・末社・所管社に至るすべてのお社において行われます。

なお、両宮の内玉垣には天皇陛下から奉られた御初穂を始め、

各地の農家から寄せられた稲束(懸税かけちから)が奉献されます。」

神嘗祭|お知らせ|伊勢神宮

 

ちょっと具体的にはわかりにくいですね。

平たく言いますと、元来神嘗祭とは祭祀者である天皇天照大神にその年の新しいの実りを奉納し、

その年の収穫に感謝を捧げる祭事です。

 

721年(養老5)9月11日に元正天皇伊勢神宮に使を遣わして幣帛を奉って以来、

毎年、幣帛使が遣わされるようになったといわれます。

現在の奉幣がそれにあたりますね。


陰暦では9月17日、明治12年(1879)以降は10月17日に行われるようになり、

国祭日とされていました。

 

では、由貴夕大御饌・由貴朝大御饌とはどんな神事かといいますと、

アワビや伊勢エビなど約30品目も並ぶ夕食と朝食を神様に捧げることです。

カムナメ」は「カムニヘ」の転訛であるとも言われています。

「由貴」とは、この上なく貴いという意味があります。

 

↓がそのお食事メニューです。

(鳥羽・海の博物館展示より)

 

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さて、この神嘗祭には天皇陛下ご本人は伊勢に来られることはありませんが、

伊勢神宮祭主で天皇陛下の妹である黒田清子さんは

15日から17日までの3日間、内宮と外宮でそれぞれ、

由貴夕大御饌祭、由貴朝大御饌祭、奉幣に御奉仕をされます。

 

きっと伊勢の斎宮もこのように奉仕なさったのでは?

と妄想を広げてしまいます。

 

また、天皇が勅使を遣わせて参拝は直接なさらないのは、

上述しました奈良時代元明天皇からの伝統ですね。

元明天皇は神宮を整備した天武天皇持統天皇の長男の嫁で、

持統天皇とは父方では異母姉妹、母方では従姉妹にあたります。

 

神嘗祭の勅使は例幣使といい、

五位以上の諸王の中から選ばれ中臣・忌部らの官人がそえられたそうです。

 

かなり位の高い方が奉幣を行なっていたのですね。

このことからも、神嘗祭は朝廷でも重要な祭事のひとつであったことがよくわかります。

 

欧米の収穫祭であるハロウィンがすっかり定着した日本ですが、

古来からの日本の収穫祭であるこの神嘗祭にも思いを馳せていきたいものですね。

(まずは国祭日に戻してほしいなぁ…)

 

☆追記☆

今日の初穂曳に参加した友人から聞きましたが、

今年は自粛のため川曳は行なわずに、

初穂の奉納だけを行なったそうです。

来年は川曳も行なわれますように。。。祈願!

 

【神宮の神事】初穂曳~内宮・川曳~その後

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昨日、一昨日と、神宮の大事な行事のひとつである初穂曳をご案内して来ました。

 

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五十鈴川から内宮に上げられた初穂、

その行方を今日は追ってみましょう。

 

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↑初穂が乗った舟が引き上られるのはここです。

 (写真は初穂が奉納された後の様子)

 

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曳き手の皆さんは神苑の入口付近に集合して、

初穂のスタンバイを待ちます。

 

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初穂は皆と鳥居の見守る中、船から下ろされます。

参拝に来た方も見守ります。

 

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↑近くに行けなかったのですが、今度は車に乗せられてます。

外宮では曳き手が手に手に納めますが、

内宮ではこの状態で正宮へ向かいます。

 

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↑初穂の下ろされた舟。

令和初の初穂曳でしたので「令和」の文字が光りますね。

 

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↑曳き縄は綺麗に片付けられ、

舟もミニクレーンで仕舞われます。

ご苦労様でした。

 

外宮でもクレーン車を使って車は片付けられます。

(二番車は巨大ですので、もっと大きなクレーンです)

 

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さて、曳き手の皆様は初穂を先頭に正宮に向かいます。

 

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お邪魔になりそうなので、ここで御見送りしました。

 

さて、この時期には神宮ではもうひとつ見所があります。

それは↓こちらです。

 

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おわかりになりますか?

掛主税(かけちから)と呼ばれる稲穂が神殿に掛けられるのです。

 

これは、全国から奉納されたものだそうで、

初穂曳の日にはこの姿が、別宮などで見られます。

↑こちらは16日の月読宮です。

 

そして、この初穂曳の翌日は神嘗祭です。

 

伊勢では、8月末には新米が手に入りますが

古くからの神領民のお家の皆さんは

神嘗祭で神様が新米をお口にするまでは、新米は食べへん」と仰います。

 

ちなみに、天皇陛下は、国民が新米を口にするのを見届けてから大嘗祭で新米を口になさいますよね。

関東民はその認識が強いせいか、「ほぉ~」と関心しちゃいました。

 

皆さんも是非、生で初穂曳をご覧になってくださいね。

木遣り歌は是非とも現地で聞いてみてほしいです。

 

そしてこの季節のお土産は伊勢国の新米はいかがでしょう?

度会のお米が個人的にはお気に入りです。

水が綺麗なので、美味しいですよ。

新潟のガチ南魚沼に友人がいてそのお米をわけてもらったり、

親族が富山で一等米を育てているので、けっこうお米の味はわかる方なのですが、

度会のお米は甘みが強くて美味しいので、毎年楽しみにしています♪

 

お米の恵みに感謝、です。

【伊勢の神事】初穂曳~内宮・川曳~

伊勢神宮の大事な神事で、

毎年10月15日と16日に行われます

その年の初穂を神宮に奉納する儀式、

初穂曳についてご紹介したいと思います。

 

昨日に続きまして、今日は内宮の初穂曳です。

 

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内宮の初穂は五十鈴川の中を船で曳かれていきます。

そのことから「川曳」とも呼ばれます。

 

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スタート地点はおかげ横丁界隈よりも川上です。

浦田橋のそば。

野遊び茶屋の近くの駐車場対岸です。

 

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ここに内宮の神領民の皆さんが集合。

最初に出発式のようなものを執り行い、

クレーン車で船を河原に下ろします。

(昔は人の力で下ろしてたと、50~60代の方はおっしゃってましたので

 クレーン車になったのは比較的最近なのかもしれません)

 

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船についた二本の縄を曳き、川へと入ります。

毎年ここで悲鳴が上がります(笑)。

無駄に川の中に「つめたい!?」って聞いてしまいますが、

そりゃ冷たいですよね(笑)。

 

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去年は日も時折顔を出しましたが、台風明けで

五十鈴川も河原まで増水してました)

特に水温は低かったようです。

 

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木遣り歌と共に時折両サイドの縄を寄り合わせる動作などは外宮の陸曳と同じですが、

なんせ水の中ですから、ここで水しぶきが盛大に上がります!

時折水かけっこにも発展したり、

木遣りさんが景気付け(?)に水をかけてきたりします(笑)。

お祭りらしい威勢の良さがあって、

見てる分には楽しいです、見てる分には。

 

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この川曳は、陸曳と異なり、1つの船で初穂を納めます。

の全ての神領の町町が参加しますが、

その中で船係のような担当が1つの町に順番にまわってきます。

去年は二見がその担当でした。

船にはその町の幡が立てられます。

 

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陸曳の車とは装いも違いますね。

陸曳に見られる「太一」の文字がありません。

(どこかに書かれてるのかな?)

 

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水の中を行く姿は、大漁祈願の神事のようにも見えます。

 

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そしてここがポイント!

船が橋を渡る時はその真上にはいられません。

たもと側はOKです。

 

これは、神様のお食事の上に人間がいることを不敬とする故だと聞きました。

ですので、橋は一時通行止めになります。

 

この神事を知らずに参拝にいらした方は「なにごと!??」と騒然とします。

赤福本店横の橋でざわつくことが多いです)

 

観光客にアピールすることのほぼない地元の神事ですので、

そりゃそうですよね~。

聞かれたら私もその場で説明するのですが。

 

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船は3箇所の橋をくぐり、内宮を目指します。

 

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橋からの俯瞰の眺めもいい感じですので

橋はオススメスポットでもあります。

 

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去年はまだ川の水嵩が高かったので、時折浅瀬を選んでいました。

初穂曳は神事ですので、事故や怪我があるとその初穂を納めることができなくなるそうです。

(穢れの禁忌ですね)

それでもたまに溺れかけたりすることもあるそうなので、要注意です!

(知人で溺れかけたという話を聞いたことが、、、ごにょごにょ、、、いや溺れてはないからセーフですよ!)

 

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そして道中2度ほど休憩します。

焚き火も炊かれ、暖をとります。

 

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二回目の休憩はもう内宮の見えてくるあたり。

ここは禊も行なわれたりする場所で

特に緑が濃く美しいです。

 

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いよいよ境内に初穂が入ってきます!

宇治橋でスタンバイです。

 

宇治橋は人はくぐりますが船はくぐらないので真上でも大丈夫!

かなりのフォトスポットです!

 

ただ、2度目の休憩は長いので、けっこう待ちます。

たまたまお隣にいらしたおじいちゃまにお話し相手になってもらって

色々教えていただきつつ待ちます。

この日は川風が冷たく、冷えました。

 

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宇治橋の手前の幡の立つ位置から船は陸に上がります。

よく宇治橋を写真撮影する記念撮影スポットの辺りです。

 

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いよいよ初穂がやってきました!

 

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五十鈴川に各町の幡が翻り、美しい光景です。

 

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両側から縄を寄り合うのもこれがラスト!

気合がはいってますね。

 

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曳き手は縄が絡まないように宇治橋をくぐって大きく迂回しながら境内に上がります。

 

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船の行く道を縄が作り上げるイメージです。

 

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最後に木遣り歌が唄われます。

並んだ木遣りさんたちの姿が壮観です。

 

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そしてここから一気に船が引き上げられます!

けっこうな勢いです!

ここは一番危険だそうです(巻き込まれ注意です!)。

 

こうして初穂は内宮に奉納されます。

長くなりましたので、その様子はまた明日といたしましょう!