伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【125社めぐり】 外宮 末社 赤崎神社


外宮 末社 赤崎神社  (あかさきじんじゃ)

御祭神 荒崎姫命 (あらさきひめのみこと)

所在地;三重県鳥羽市鳥羽5丁目2

 

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鳥羽エリア唯一の神宮摂末社です。

 

鳥羽赤崎駅から300~400mほど。

加茂川沿いの山の中腹に建ちます。

 

川沿いに国道167号線が走り、

あらしま橋・あらしま大橋の間に位置しますが

車を停めるのが若干困難でした。

 

(ですので、友人に車で待っていてもらい、

 ダッシュで参拝しましたっ!)

 

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境内は階段を上るスタイル。

途中、お手水のある踊り場も経て、

摂末社にいしてはけっこう上る方だと思います。

 

入口も広く、階段の石も参道もきっちり整備されています。

 

社殿前の鳥居は石段から見て、真横を向いています。

これは他の摂末社の多くと同じく南を向くためかと思います。

 

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御祭神の荒崎姫命は

「鳥羽湾内の海岸から豊受大神宮に奉納する御贄(みにえ)の海産物採取の守り神」

と言います。(神宮会館HP)

 

なるほど、それでこの鳥羽に建つのですね。

そして、内宮の方に近いのに外宮の末社なのは

アマテラス大神へ神膳を整える豊受姫との直接的なつながりからでしょうか。

 

鳥羽市内には、神宮御料鰒調製所も国崎町にあるそうです。

 

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荒崎姫命は、内宮摂社の神前神社荒前神社(二社同境内)にも祀られています。

(悔しいことに未参拝)

スサノオの子で、

荒祭宮の祭神ともされる瀬織津姫(せおりつひめ)の妹であるといいます。


伝承では、倭姫命が二見を巡幸中に

江神社を定めた後に荒前比賣命倭姫命を出迎えたため、

神前神社が海辺の地に定められたといわれるそうです。

 

倭姫命が恐縮した神であるという逸話もあり、

これはスサノオの子である所以かもしれませんし、

穢れを祓う瀬織津姫の妹であるからかもしれません。(私見

 

 

神前神社の海岸では贄海神事(にえうみのしんじ)と呼ばれる

アマテラス大神に奉る神饌を採る神事が行われていたといいます。

 

神宮会館HPの神前神社の項には

荒崎姫が何を司る神か詳しい記載はありませんが(地元の神とされています)、

やはり神饌に関連した神であるとされていたのではないでしょうか。

 

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赤崎神社にもお祭りがあります。

その名も「赤崎まつり」。

わかりやすくて素敵です。

別名「ゆかた祭り」とも呼ばれ、これまたその名の通り、

祭り当日は浴衣姿の老若男女が訪れて賑わうといいます。

 

近鉄志摩線中之郷駅にかけての道には露店が並ぶそうですが、

境内では、月次祭の神事が営まれるそうです。

 

また、神社の入り口で宮域から採取された杉葉を授与していて

この杉の小枝を1年を通して飾っているしめ縄に付けるのが鳥羽特有の習わしだそうなのです。


 その昔、この地方に流行病が発生した折に

宮域内の杉の枝を玄関に吊るした家だけが難を逃れたという言い伝えから、

毎年赤崎まつりで杉の小枝を授かり、

厄病除けとして家々の門に吊り下げる習わしが続いているといいます。

赤崎神社|鳥羽図鑑

 

ちなみに、

宮域の小枝を取り去る人が多かったことから

崇敬会の方による頒与が始まったそうです。

 

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ん?

何だか似たような逸話に覚えがありませんか?

そうです、これは、蘇民信仰の異形の一つであると考えられているそうです。

 

蘇民将来(伊勢バージョン)の発祥は二見です。

その二見には前述した神前神社荒崎神社が…。

 

荒崎姫は、蘇民将来の神とされるスサノオの子ですので

荒崎姫を祀る場所と蘇民将来の逸話がリンクしてくるのに違和感はありませんが、

何だかとても興味深いです。

 

「流行り病は海からやってくる」という考え方が古来からありますよね。

もしかすると、荒崎姫はそういった悪いものが海からやってくるのを防ぐ神でもあるのかもしれません。

 

荒崎―姉の瀬織津姫が穢れを祓う荒祭宮とも繋がりがありそうな文字です。

荒い―あらい―洗い…

やはり荒崎姫は、御崎(岬)で穢れを祓う神ではないでしょうか?

 

神前神社と同じく、赤崎神社も

以前は海浜にあったとされるそうです。

神前神社も昔は今より更に海岸沿いにあったといいます)

 

これは、浪が最初に打ち寄せる場所に建ち

神宮を守っていたのではないかと思うのです。

ですから、内宮にも外宮にも同じ荒崎姫をまつる神社があるのではないでしょうか?

 

それが、海からとれた神様の御食事を清めることも荒崎姫が司るというように発展していったのかもしれません。

 

むしろ元々の信仰は「海からの穢れを祓う土地の神」で

そこに神宮の祭祀が入ったことで、そう発展したのでは?と推測します。

 

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鎮座地に関しては、

『神宮略記』や『志陽略誌』などの史料にも

現在地に鎮座していた旨が記載されていますが、

鳥羽市史 下巻』の赤崎神社の項には創建に関する記述はなく、

赤崎神社の現今の鎮座地は志摩国の領域に属し、

伊勢国度会郡にある伊勢神宮の所管する神社がこの地にある謂れはなく、

伊勢・志摩両国の境であった妙慶川より北側(伊勢国側)にある

賀多神社が赤崎神社の旧社地だったとする説があるともいいます。

赤崎神社 - Wikipedia

 

 

江戸時代には舞殿(神楽殿)があっともいい、

皇大神宮年中行事』建久三年(1192)の

「皇太神宮年中行事六月十五日贄海神事の祭」には、

「悪志(あくし)・赤崎・加布良古(かぶらこ)明神を祀ると記されていた」といいます。

 

「あくし」は不明ですが

(「悪志」は「悪止」「阿久志」とも記され、

 現在の鳥羽市安楽島(あらしま)町域とされますので

 その産土神の神社でしょうか?)、

加布良古は志摩国の一ノ宮・伊射波神社(いざわじんじゃ)です。

(今も地元では「かぶらこさん」と呼ばれています。)

 

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伊射波神社御由緒に

「当社は元来『加布良古神社』と称し、

 建久三年(1192)の『皇大神宮年中行事』に

 『悪志(あくし)。赤崎。加布良古明神』と記され、
 『外宮旧神楽歌』には

 『志摩国知久利(ちぐり)が浜におわします悪止・赤崎・悪止九所のみまえには、

 あまたの船こそ浮かんだれ、艫には赤崎のり玉う。

舳には大明神(加布良古神)のり玉う。

加布良古の外峰に立てる姫小松、

沢立てる待つは千世のためし、

加布良古の沖の汐ひかば、

都へなびけ、我も靡かん。
加布良古の大明神に遊びの上分を参らする請玉の宝殿』

とみえている。

すなわち、古くから

阿久志神社、赤崎神社(外宮末社)とともに

有名な神社であったことがわかる。」

とあります。

 

逆に、赤崎神社が伊射波神社と同様に信仰の篤い神社であったとわかります。

そして、その祭祀は神楽殿が置かれるほどに重要なものであったのでしょう。

 

だからこそ、今もお祭りが賑やかに続いているのだと思います。

 

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赤崎神社は「あかさきさん」と地元では呼ばれ親しまれているそうですが、

それは、摂末社には珍しい手水舎の佇まいや、

社殿の前の手作り感満載の御賽銭箱からも伝わってきます。

御由緒書きのパンフレットが置かれているのも珍しく、

地元の皆様のあかさきさんへの愛を感じます。

 

「近年、赤崎神社の参道に位置する「なかまち」の住民たちが、

 赤崎さんを中心に活性化しようと、活動を盛んにしており、

 地元の人たちから大切にされている。」

と、上記引用の「鳥羽図鑑」にもありまして、

その気持ちはビシバシと伝わって来ます。

 

今年は残念ながら赤崎祭りは中止とのこと…。

こんなご時世だからこそ行うべきお祭りだとは思うのですが…。

仕方の無いことですよね。

(河崎の天王さんも中止です。涙)

 

今は荒崎姫に、疫病の終焉を遥拝したいと思います。

 

(2019.10.8. 参拝)

 


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