伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【125社めぐり】 外宮 摂社 小俣神社

 

外宮 摂社 小俣神社 (おばたじんじゃ)

御祭神 宇賀御魂神 (うかのみたまのかみ)

三重県伊勢市小俣町元町元町1072

 

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外宮の摂社で唯一宮川を渡った西に鎮座します。

 

河崎からのチャリルートですと、桜の渡し跡のそば・伊勢街道の橋を渡ります。

…これ、自転車で渡っていいのか、ちょっと不安になったんですが(笑)。

橋からの景色がまた素晴らしい!

参宮線の橋も見られ、この橋のレトロさがまたたまりません!
ただ、自転車を止める余裕はなく、写真はないです(笑)。

 

そしてまた、宮川と平行する汁谷川を越えます。

住宅地に入り、西光寺、八柱神社と並んで

こちらの小俣神社が建つ通りとなっています。

 

最初、八柱さんの中に小俣さんがあるのかと思ってしまいましたが、

お隣にちゃんと摂社スタイルで小俣神社の入口があります。

 

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入口は綺麗にドーム型で、トトロの森スタイルです。

参拝した時、ちょうど地元の方が下草を刈っていらしたのですが

その手を止めて参拝させてくださいました。

恐縮です。

 

も以前も書きましたが、この姿をキープするのは本当に大変です。

摂末社も参拝するとひっそりと無人ですが、どこもきちんとお掃除されていて

まさに塵一つ落ちていない状態です。

 

そしてこのドーム型の刈り込み!
農家さんをしている友人がよく関心しているほどなので

私の想像以上にテクニックが必要なのだと思われます。

 

本当に頭が下がりますよね。

(なのにお邪魔してすみません。)

 

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こちらの境内が変わっているのは、

すぐ右隣の八柱神社さんと社殿が平立していて、

間を仕切る木々がまるでパーテーションのようで

その木の隙間からお隣の様子が見れることです。

 

写真↓手前が小俣さんで奥にちらっと見えますのが八柱さんの社殿。

わかりにくいですが、仲良く肩を並べているのです。

 

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この謎(?)の答えは八柱神社さんの境内の御由緒書きにありました。

 

「 八柱神社(八王子)

 離宮院とともに慶長十七年より明治四年の廃藩置県に至るまで田丸 藤堂
 紀州(伊)藩主より毎年五反一畝二十四歩 米六石七斗の寄進を受けていた 往古
 より二十一年目を造宮式年とこれを宮立(建)といい村民あげての盛んな祭事であっ
 た 明治四年社名変更の達しがあり八柱神社と改名された 境は始め六百七拾二坪
 もあったが寛文年小俣社が境内に再興され明治維新に際し両社境内に区割を行い三百
 六拾五坪となった 」

 

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「元々由緒正しく、諸大名から寄進もあったのに

 寛文の小俣神社の再興で境内半分持って行かれちゃったんだよ」

という恨み節炸裂の様子ですね。(乱文失礼)

 

八柱神社」の名前も神社庁に命じられただけのようですね。

 

ともあれ、この区分けは寛文の再興時に行われたとのことです。

 

 

また『止由気宮儀式帳』では

小俣神社には、

祈年祭神嘗祭には伊勢国司から幣帛が奉られたとあるので

諸大名の寄進はこれに因むのかもしれません。

 

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小俣神社は古代は祝職が置かれ、

伊勢神宮との縁も深かったものの、

中世末期以後は記録が途絶えます。

 

その後その社を産土神として地元民が祀るようになり、

「八王子」と呼ばれるに至ったと思われます。


その後御由緒書きの通り、

寛文3年(1663年)に現社地で再興されたものの、

社地はすでに八王子となっていたため、

八王子境内に並立する形での再興となります。

 

御由緒書きにない情報としては

明治6年に境内地の管理を巡り、

神宮側と村側で論争が起こったようで

この時に境内を二等分することで決着したそうです。

 

八王子は明治43年に官舎神社へ合祀されますが、

その後も旧社地である小俣神社東隣に本殿・拝殿等が残され、

地域住民によって祀られているとのことですので、

どれだけ八王子に対して地元の皆様の信仰が篤いかがわかりますね。

 

八王子はスサノオ御子神です。

やはり伊勢の地元の信仰はスサノオへの信仰なのですね。

 

もしかすると、アマテラス大神と仲の悪かったスサノオを信仰することは

神宮へのアンチテーゼが根っこにあるのかも?と

ちょっと邪推したくなります。

 

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さて、小俣神社に戻りましょう。

 

御祭神は、宇賀御魂神。

も言わずともがなですが、神宮会館HPには

「祭神は田野の五穀豊穣の神と伝えられる」

とあります。

 

地元では「いなめ(稲嘗・稲女)さん」「いなべのやしろ」と称し尊信されているといいます。

 

宇賀御魂神は『日本書紀』ではイザナギイザナミの子とされますが、

古事記』ではスサノオ神大市比売との間に生まれています。

スサノオ八柱神社との繋がり、発見ですよね。

 

時代が下ると宇賀御魂神は

神仏習合において稲荷明神と同一視され、

外宮祭神の豊受姫大神とも混合されもします。

 

日本書紀』において宇賀御魂神は、イザナギ・イザナが弱った時に生まれたといい、

アマテラス大神が「一人では食事も満足にできない」と豊受姫を連れてくるように言った話とどこか似ていますね。

 

つまり、外宮の御祭神の御霊を祀る様なものだと解釈していいかと私は思っています。

 

ですが、

神道五部書の『御鎮座本紀』では、

トヨウケ大神に随行してきた「ウカノミタマ稲女神」を祀ると記されるそうです。

 

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また「神道五部書」では、
「(内宮の)御倉神(みくらのかみ)の三座はスサノオの子、ウカノミタマ神なり。

 また、専女(とうめ)とも三狐神(みけつかみ)とも名づく。」と記されるそうです。

 

外宮に関連しては、

「調御倉神(つきのみくらのかみ)は、ウカノミタマ神におわす。

 これイザナギイザナミ 2柱の尊の生みし所の神なり。

 また、オオゲツヒメとも号す。

 また、保食神(うけもちのかみ)とも名づく。

 神祇官社内におわす御膳神(みけつかみ)とはこれなるなり。

 また、神服機殿に祝い祭る三狐神とは同座の神なり。

 故にまた専女神とも名づく。斎王専女とはこの縁なり。

 また、稲の霊もウカノミタマ神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」

と記されるそうです。


記紀神話に登場する食物神は、

アマテラス大神や天皇の食事を司ることから「御饌津神」とも呼ばれます。

これが食の様の習合・混合の原因の一端かと思われます。

 

また、「三狐神」の字が当てられるのは、

関西方言では狐を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたの説があります。

ここから稲荷明神の習合へと繋がったのかもしれません。

 

(参考→ウカノミタマ - Wikipedia

 

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上記の「稲の霊もウカノミタマ神におわして、

西北方に敬いて祭り拝するなり」は興味深いですよね。

まさに小俣神社は外宮から西北です。

 

宮川を渡る摂社はこの小俣さんだけなのは、

神宮会館HPにもその旨特記してあるくらいのイレギュラーです。

 

これは、宮川下流一帯が度会氏によって開拓されたからであるようです。

上流は荒木田氏の開拓が盛んですよね。

小俣さんのそばを流れる汁谷川は

内宮摂末社の多い外城田界隈も通り、

汁谷池と宮川をつなぎます。

 

この小俣神社は荒木田氏と度会氏の所領の境界なのかもしれませんね。

 

ちょうど桜の渡しの向こう側、

宮川と伊勢街道の交わる付近、

参拝ルートの起点にあることも関連していそうですが。

 

また、地元では

氏神の祭礼当日に小俣神社へ参拝する風習がある

とも言われていて、

やはり「起点」「境界」の神様でもあるのかもしれません。

 

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さて、八王子は神仏習合において八勝神ともいわれ、

陰陽道とも通じるものがあります。

明治時代の神仏分離において、アマテラスとの誓約で生まれた八神とされます。

 

ですが、八坂神社における八王子は

八島士奴美神五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大歳神、宇迦之御魂神大屋毘古神須勢理毘売命

とされています。

この面々は外宮の産土神と繋がりの深い摂社の祭神とも繋がりを感じますね。

そして、八柱神社さんのこの石の車止め(?)。

そうです、草奈伎神社・大間国生神社と同じなんです!

神宮色の強いと思った両社にも、産土的な背景もあるのかもしれませんね。(邪推?)

もしくは八柱さんも神宮色が結局は濃いのか???
とにかくこの石、やはり気になります!!!

 

(2019.10.20、参拝)

 


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