【伊勢の寺社】 坂社 (伊勢市八日市場町)
「さかのやしろ」と読みます。
伊勢神宮外宮のほど近く。
伊勢市立図書館のはす向かいに建つ神社です。
目を引くのは、社殿を覆い隠す板塀。
外宮・内宮に見られる蕃塀と同様のもの。
図書館そ通いをしていて知った神社でしたが、
蕃塀が外部をシャットアウトするかのような姿に「うかうか入れない」という雰囲気です。
成立は未詳ですが、鎌倉中期頃と推察されています。
古来の参宮街道沿いに面しているので、この界隈は活気があったことでしょう。
境内には今も街道沿いに残されているのを時折目にする当時の石標が残されています。
当時この界隈には移設前の世木寺もあり、その薬師堂も建ち
外宮の法楽舎という仏僧による祈祷所もありました。
その姿は「伊勢参詣曼荼羅」にも描かれ、
神道のメッカというよりは、神宮寺を具えた町の様相です。
今も地名に残る「八日市場」は
その名の通り8のつく日にこの界隈で市が立ったことを表しています。
1300年代にはこの八日市は開催されていたと言います。
その市の守り神であった蛭子神が今も
伊勢上座蛭子社として境内に祀られています。
(写真↑)
その例祭も
1月8日初蛭子祭
5月8日蛭子大祭
8月8日蛭子夏祭
と8のつく日に行われます。
また、上座蛭子の前には岩座のようなものが祭られていて
福招の神の霊石…というような銘文があります。
坂社の社殿↑です。
鳥居をくぐり蕃塀からすぐ正面に建ちます。
御祭神は、
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊(マサカツアカツカチハヤヒオシホミミノミコト)
天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)
天津日子根命(アマツヒコネノミコト)
活津日子根命(イクツヒコネノミコト)
熊野久須比命(クマノクスビノミコト)
多紀理比賣命(タギリヒメノミコト)
市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)
多紀津比賣命(タギツヒメノミコト)
の八柱の神神です。
(これも八日市に掛かっているのかは謎)
また、合祀の神として
誉田別尊(八幡様)
菅原道真公(天神様)
とされています。
更に、合祀された藤社(ふじのやしろ)の御祭神
彦国見賀岐健與束神
二柱がこちらに祀られているそうです。
彦国見賀岐健與束神は度会国御魂神社の御祭神でもあります。
伊勢国造の祖とされ、伊勢の国御魂です。
藤社は「山田産土八社」にも数えられた神社ですが、
昭和20年に外宮宮域整備のために合祀されたそうです。
(元の場所は確認できませんでした)
【余談】
調べていて
という神社を見つけたのですが、
こちらは元伊勢と言われる神社の一つとのことです。
坂社の御由緒としては
「当社は古来より現在地に鎮座する社で、
坂野村社、坂村社、坂村殿、坂殿社などと呼ばれていたが、
後に坂社と称し、明治4年11月に村社に列せられた社である。
当社の創祀については詳らかではないが、
明治12年の『神社明細帳』に、
「この社、地名をもって称す、(中略)
中古山田を坂、須原、岩淵の三方に分かつ、
その坂方地方の人民崇敬せし産土神と申し伝え候也」とある。
当社の御頭神事は、山田地方の八頭の一つとしての
由来と伝統を現在に引き継ぎ、
毎年各町内の巡舞を行っている。
昭和20年7月、藤社が合祀された。」
と三重県神社庁教化委員会 » 坂社にあります。
山田の産土の神社に伝わる伝統の御頭神事は
山田産土八社と呼ばれる神社に伝わる伊勢独特の獅子舞行事です。
その様子は、大先輩のブログ記事をご覧ください。
また、境内には坂之森稲荷社も建ちます。
主祭神は宇賀御霊神ですが、
合祀がなせれたのか
運動稲荷大神(大和稲荷大神)
振袖稲荷大神
福壽稲荷大神
藤陰稲荷大神
火除稲荷大神
重成稲荷大神
小杉稲荷大神
金吉稲荷大神
の名が社殿正面に連なります。
坂社の境内には他にも曽祢の石、坂銀杏、遥拝所など
気になる見所があります。
角地に建つので、正面口から見て右手の方にも出入口があり
境内探索にもってこいのわくわくする境内の造りになっています。
外宮を北御門から出ますと、さほど距離もありません。
道すがら飲食店もありますので、
御参拝の折にお立ち寄りいただきますと、
神宮とは違った伊勢祭祀が垣間見られて
伊勢をまた別の角度から知ることが出来るかと思います。