【伊勢の寺社】 高向大社 (伊勢市御園町高向)
こちらの高向大社は、125社の宇須野・県神社の近くに建ちます。
大きな石灯篭とその前にある岩座が印象的で、
こんもりとした森は遠くからも目を引きます。
住宅街の中にありますが、この界隈ではひときわ大きな神社です。
私が参拝した際には、ちょうど夏越しの祓えの茅の輪が張られていました。
社殿へは真っ直ぐに参道が伸び、内の鳥居が見えています。
参道左には小さな社があります。(↓写真)
このような岩座(?)と小さな鳥居がいくつか社殿に見受けられます。
「七所大明神」とも称されたといいます。
本殿に素戔嗚命、奥津嶋姫命、湍津嶋姫命、
本社左脇の石に大己貴命、下照姫命、八大龍王、
鳥居の右脇の社殿に市杵島姫命の七神が祀られたそうです。
(『式内社調査報告』)
もしかすると、参道の左手の鳥居は
大己貴命、下照姫命、八大龍王の宿る石なのか…と思われますが、
境内外の西方に岩座を祀った鳥居があるといいますので、
そちらがこの3柱を祀る場所なのかもしれません。
(自分では未確認ですが。今度行ってみます。)
夜な夜な活玉依姫の元に通ったというお話が有名ですね。
また三輪の神こと大物主神には、
丹塗矢に化けて勢夜陀多良比女の元に夜這いしたという同系統の神話もあります。
この丹塗矢の話は賀茂別雷命の誕生逸話として、
京都の賀茂神社に同様のエピソードが伝わっています。
そして高向神社社記によると、
貞観三年(861)八月、大雨による洪水があった時に
大野の大杉の根元に白羽の蓋根矢が流れ付いたという話があります。
これを山城賀茂社の丹塗矢伝説と同じであるとし、
「明治十二年以降、明細帳には祭神不詳となつてゐたのを、
同四十三年六月十三日、松本時彦氏の考證になる「高向大社御由緒書」を添へ、
祭神を「別雷神」とする「明細 帳訂正願」を提出したが、同年十一月却下された。
よって、明治四十三年、祭神を別雷神と変更しようとしたが却下された。」
と『式内調査報告書』にはあります。
八王子社と呼ばれたこともあるそうです。
やはり、伊勢の地元信仰はスサノオ信仰ですよね。
拝殿に共に祀られている
奥津嶋姫命は 多紀理毘売命、
湍津嶋姫命は 多岐都比売命のことで、
鳥居の右脇の社殿祀られているという市杵島姫命と
三神合わせて宗像三女神です。
宗像三女神は、スサノオとアマテラスが誓約をした時に生まれた神で
水の神です。
特に市杵島姫は弁財天と習合していき、人気の高い神ですね。
よく境内の池などの水辺に社殿があるイメージです。
そういえば、社殿右には井戸の跡がありました。
多紀理毘売命は上記左の社殿の祭神・下照姫命の母神とされています。
下照姫命は先日茜社の記事で触れた、
京都の玉津岡神社の祭神でもあります。
社殿は神明造で、外宮神領地なので外削ぎになっていますね。
ですが、特に神宮との直接の関係は見られません。
八大竜王が祀られてますし、やはり宮川の氾濫を鎮めることも祈られているのでしょう。
明治41年に神村社、社山神社を合祀したといいます。
神村社は水害の多かった地のようです。
高向大社の北東300メートルほど行ったところに
「神村神社々地趾」の碑があるそうです。
「かつてここに加村(神村)という村があった。
貞観三年(861)宮川に流れ着いた鏑矢を三津正盛が持ち帰り私邸で祀ったのが創立と伝える。
村は早く廃亡し、当社は「蕪社」あるいは「加牟良社」と称され
近世に至り、明治四十一年(1908)高向大社に合併となった。」
と記されているそうです。
(自分では未確認です。)
ここにも丹塗矢ではにですが、矢の伝説があるのですね。
鏑矢は戦の合図に使われた矢ですね。
社山神社については確認できませんでしたが、
名前からは山の神の神社のように感じられますが…?
高向大社入口には、こうありました。
当社のあらまし
本社の草創は「高向村神社志によりますと、聖武天皇の天平3年となっています。
かっての高向郷は、現在のほぼ御薗村全域
さらに伊勢市に属する隣接地区を含む広大な地域でありました。
の高向郷の本邑高向に鎮座していたのが当大社でありました。
俗に上社とも呼ばれ、近世には八王子社ともいわれていました。
明治4年(1871)村社となり、同41年村社神村社、無格社山神社を合祀しました。
同年の御薗村の神社合祀には参加せず、孤立して孤高をたもちました。
高向大社でも伊勢の他の町の産土同様に御頭が伝わり、
「御頭神事」が行われます。
1977年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。
昼間は素盞鳴尊の大蛇退治を仕組んだ七起しの舞を演じ、
フクメモノといって御頭で戸ごとにお祓いして廻ります。
夜には打祭といって、御頭揚げ、杉太夫による太刀舞等、
盛大な火祭が行われ、古風な形を残した行事です。
高向の御頭神事【国指定重要無形民俗文化財】|イベント|観光三重
また、高向には独特の信仰があります。
最初に高向の町で印象的だったのが、家に張られた注連縄です。
これは河崎はもちろん、他の伊勢の町で目にしたことがありませんでした。
高向大社の境内にも同じ注連縄があるので、
この高向に根付くものだと推測できました。
高向にしかない「おわけさん」という行事もあるそうです。
他の町の産土が合祀をしていった明治期に
御園の他の神社と合祀しなかったことといい、
高向の信仰は独特で、町の皆さんの信仰の篤さも感じます。
高向に代々住む方にお話を聞いてみたいです。
そういえば、なぜ「大社」なのでしょう。
出雲大社と同じく、オオクニヌシとスサノオを祀るからでしょうか?
そういえば、出雲大社の注連縄も独特ですよね。
もしかすると、ここには伊勢と出雲を繋ぐ謎も眠っているのかもしれません。
高向大社には社伝があるようなので、何か記されているかもしれませんね。
(希望的観測)
(2019.6.25.参拝)