【125社めぐり】 摂社 蚊野神社 ・ 蚊野御前神社
内宮 摂社 蚊野神社 (かのじんじゃ)
蚊野御前神社 (かのみまえじんじゃ)
御祭神 大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ)
御前神(みまえのかみ)
JR参宮線・外城田(ときた)駅から徒歩約20分。
外城田川を越えて、ひたすら田んぼの中を歩きます。
集落が見えて来たらその中にこんもりとした摂社の森が発見出来るはず…
数少ない電車と徒歩で参拝出来る内宮摂社となっています。
トトロの森のような木を切り取ったかのような入口です。
ここにも「禁殺生」の石柱があり、田乃家神社等と同様に
【125社めぐり】 摂社 田乃家神社 ・ 田乃家御前神社 - 伊勢河崎ときどき古民家
境内…というよりも木々の造ったドーム型の聖堂に足を踏み入れるかのような気分です。
中に入ると真っ直ぐ伸びた杉のが作る天井から青空が覗き木漏れ日が美しいです。
御神体は鏡とされ、
御祭神の大神御蔭川神と御前神は近くを流れる外城田川の守護神で
「この地方の開拓守護神として田野をうるおす灌漑用水の神」と神宮会館HPにはあります。
また、外城川を挟んで北西に位置する同接社・御船神社も同じく大神御陰川神を祭神としています。
こちらでは更に「水上交通の守り神」ともされているようです。
『神名帳考証』(外宮祠官筆の神名の考証書)においては
大神御蔭川神の名を「川に臨んで罪を祓い清浄に至るのは天照大神の御霊」と解釈した、
という説もあり、これも興味深いです。
瀬織津姫といえば、内宮別宮・荒祭宮の御祭神とも言われている祓いの神です。
外城田川を挟んで祓いの神が鎮座しているとは、意味深ですね。
この外城田川の近くには摂社が7社、末社が1社あり、
(流域でみるなら摂社12社、末社3社)
斎宮が奉仕する際の宿泊所である離宮院の跡が宮川に近付く辺りにあります。
(https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000868540.pdf)
外城田川は多気町の栃ヶ池が水源で、宮川と並行するかのように流れてから海に注ぎます。
氾濫も多いですよね。
蚊野の近くは熊野と伊勢をつなぐ熊野西国街道が通っていて、今も松並木が残っています。
この立地から「祓いの神」が必要とされたバックグラウンドを感じることも出来ますね。
御船神社は倭姫が定めた社ですが、この蚊野神社は雄略天皇期に創建とされているのも
更に川の助けが必要な氾濫などがあったからかもしれませんし、
この地が整備されてきたことを示すかもしれません。
近くの田乃家神社も同様ですが、近くには古墳群があります。
雄略期にこの古墳文化と共に入って来たヤマトの人たちがこの辺りの神社と関係しているのかも?
とも想像してしまいます。
伊勢地方に古墳文化が入って来たのは比較的遅めだとも言われていますが…。
またこの件については調べて後日お話したいと思います。
また、蚊野御前神社は古来は社殿は別にあったようですが、
中世に祭祀が途絶え、江戸期に再建された際に同座された…といういきさつも田乃家神社等と同様です。
「御前神」についての考察も繰言になりますので、
御興味がおありの方は、上記リンクの拙ブログをご覧くださいませ。
地元では「蚊野森」が訛ったのか、「かなもりさん」の名で親しまれているそうです。
蚊野神社さんの森は古代から地元の皆様に愛されて今もこの姿を保っているのですね。
大体の摂社末社は地元の氏子の皆様が御掃除などを行っています。
ですからいつも境内は清清しく、外側の木々は綺麗に刈られてドームの形をキープしているのです。
この蚊野神社さんは、近世に再興した際にも鎮座地に異論がなかったそうです。
(鎮座地不明で異論が出てしまう摂社末社が多いのです。
例えば田野家神社も近くの田邊神社が当初の遷座地では?という説もあります)
このことからも、この蚊野神社さんが特に地元の皆様に慈しまれていることを感じさせられます。
この森のまわりに集落があることからもそれは明らか、ですね。
(2019年10月23日参拝)