伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【125社めぐり】 別宮 多賀宮

外宮 別宮 多賀宮

御祭神 豊受大御神荒魂

所在地;外宮境内

 

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内宮における荒祭宮と同様に正宮の和御魂に対し、荒御魂をお祀りしているとされています。

祭祀の際に勅使が参行するのは、内宮では正宮と荒祭宮、外宮では正宮とこの多賀宮のみです。

式年遷宮では別宮の中では内宮荒祭宮に次いで遷御が行われます。

 

また、荒祭宮同様にここには鳥居がありません。

 

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外宮境内、風宮と土宮の南、檜尾山(ひのおやま)と呼ばれる小高い丘の上に立ちます。

98段の石段を上がりますので、遥拝所が(現在の)古殿地の前に設けられています。
(↓写真の注連縄の張られ、白石が敷かれた場所がそれです)

 

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延喜式』には大社「高宮」 と表記がされているように、元々は「高宮」と呼ばれていました。

独自の忌火殿を持ち(現在の下御井神社)、他の外宮別宮が宮号を宣下される前から

別宮として特別な待遇を受けていたそうです。

 

その創建は豊受大御神丹波の国から御饌都神として迎えられ、

豊受大神宮が創立されたのと同時とされています。

 

現在の「多賀宮」という名は明治以降のことで「延喜のいい文字を当てた」と言われていますが

「多賀」といえばイザナギ命・イザナミ命を祀り

「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござると詠われる多賀大社があります。

多賀神社は『延喜式』に名が既にある古社です。

なぜ同じ漢字を当てたのか?私としては疑問が残ります。

 

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多賀宮の御祭神は『止由気宮儀式帳』に

「高宮たかのみや一院 等由気太神之荒御玉神也」と表されていますが、

倭姫命世記』等では豊受大神荒魂の別名として、

伊吹戸主祓戸大神)・神直毘神(伊吹戸主神の別名)の名が見られます。

 

伊吹戸主神(気吹戸主とも表記される)は、

黄泉から戻ってきた伊弉諾尊の禊で誕生したとされる神で祓戸四神(総称して祓戸大神)の一柱です。

神直日神は『古事記』にその名が見え、同禊で大直日神と共に誕生したとされ、

気吹戸主神と同神とされる伝承が多い神です。


 大祓詞後釈 では「此神は、すべて万の凶事を、直し清め給う御霊の神にませば、

広くいふ時は、早川の瀨に流れ出るより、根国に到りて、さすらひ失るまで、

始め終わりすべて、此神の御霊にあらざることなければ也」と説明されています。
気吹戸主神 - Wikipedia

 

祓戸四神と言いますと、内宮荒祭宮瀬織津姫と同様ですし、
八十禍津日神(内宮荒祭宮)は禊の際に神直日神・大直日神の前に生まれたとされる神です。

(参考【125社めぐり】別宮・荒祭宮 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

祓戸の神を祀る神社は全国でもそう多くはないようです。

佐久奈度神社(滋賀県大津市
日比谷神社(東京都港区)
浦嶋神社(京都府与謝郡伊根町
水野社(愛知県名古屋市中村区)

 

佐久奈神社と水野社は八幡社系と見られます。

興味深いのが、浦島神社が月夜見と共に祀られていること
主祭神が浦島子(浦島太郎)なので海つながりかもしれませんが)、

日比谷神社が元々「鯖稲荷」更に旧名を「「旅泊(さば)稲荷明神」といい

豊受大神も祀っていることです(稲荷と豊受大神神仏習合で同神とされたりします)。

 

また佐久奈神社と水野社が、

神宮の祭祀が整いはじめる天智朝・天武朝に創建されていることも気になるポイントです。

 

祓戸大神についてはまた詳しく考察すべきですね。

 

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もうひとつ、私がこの「多賀宮」=「高宮」が気になるのはこの立地と名前です。

なぜ、正宮を見下ろす位置に建つのでしょう?

 

また「高」といえば、外宮には「高倉山」という山があります。

そこには古墳があるのです。

アラフィフ以上の世代の方に聞きますと「子供の頃は高倉山で遊んだ」と皆さんおっしゃいますが

今は植樹の保護のために残念ながら立ち入り禁止になっています。

 

全くの私の想像なのですが、元々は高宮は
この高倉山に墳墓を持つこの地の豪族の氏神様だったのではないでしょうか?

 

特別に忌火屋殿も持つ大きな宮であったということは正宮や他の別宮とは独立していたのだと思います。

忌火屋とは神様の御台所です。「火を分ける」ことは「忌をもらわない」ことでもあります。

例えば誰かが亡くなった時にその家で火は焚かない=その家で調理はしないという仕来りがありました。

ご近所の家で煮炊きをその村の女性達が受け持つという文化は今もまだ残っているところもありますよね。

天照大神の御食事は豊受大神の大事な仕事であるのに、高宮は別に調理をしていた…
これはその豪族の忌をもらわないようにしたのではないでしょうか?


祓戸神がここに置かれたという理由もここに重なります。

高倉山の墳墓の穢れを祓うためではないでしょうか?

 

高倉山の埋葬者は、地元でも明らかにはされていません。
神職でもある度会氏の墓か?という説はよく聞きますが)

 

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さて。

外宮には諸々の変わった岩があります。

「亀石」「三つ石」は有名ですが、「寝地蔵さん」はご存知ですか?

 

多賀宮に参拝なさる際には社殿の逆、森の方をご覧ください。

手すりのそばに「寝地蔵さん」が頭を社殿に向けて寝そべっています。

私には目を閉じて微笑んでるように見えます。
良い夢をご覧なのかな?なんて。

 

神宮でお地蔵さんとは、神仏習合を彷彿とさせますね。

神宮では仏教用語は忌み言葉だと聞いたことがあるのですが、

神宮会館―外宮めぐり 亀石

のところにに思い切り書いてあります「寝地蔵」のワード。

神宮公式地蔵は多分この寝地蔵さんだけではないかと?

 

石といえば多賀宮への石段にはハート型に見える石がいくつかあります。
これは、勝手に私がそう思ってるだけなのですが…。
少々険しい98段の道のりですが、足元を見ながら楽しんでみてくださいね♪

多賀宮から見る神宮の森の木々もオススメです。
私は時折立ち止まって息を整えつつ緑を愛でています。