【125社めぐり】 別宮 土宮
外宮 別宮 土宮
御祭神 大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)
所在地:外宮境内
正宮から見て南、檜尾山の麓に坐し、杉の森に囲まれた姿は清清しく凛としています。
その姿が個人的には大好きなのです。
御祭神の大土乃御祖神は元々は外宮の鎮座する山田原の土地の神とされていました。
多賀宮に次いで古いとされますが『延喜式』にその名はないものの、
延暦23年(804)の『止由気宮儀式帳』には「大宮地神」と名前があります。
外宮神職の度会家行の『類聚神祇本源』によると
『長徳検録』に外宮所管の田社33前の1座の土御祖社と記されたとあります。
(「田社」は現在の末社に相当するものとされます)
平安時代の1128年(大治3年)に、別宮に昇格し「土宮」となります。
これは、度重なる宮川の氾濫に悩まされた外宮禰宜が土御祖神が氾濫を治めたとして宮号を申請したためでした。
神宮HPには
「外宮の鎮座以後は宮域の地主神、宮川堤防の守護神とされ、平安時代末期に別宮に昇格しました。」
とされていますが、宮川堤防の守護神というのはこの平安末期以降の後付けのようにも思われます。
外宮神職の度会行忠が1285年(弘安8年)に記した『神名秘書』には
「山田原地主の大歳神、宇迦魂神、土御祖神の土宮3座」と記載があり、
その御神体は大歳神と土御祖神が鏡、宇迦魂神が宝壺であったとしています。
文永の遷宮では、土宮の瑠璃壺と鏡2面を大物忌が落したことで解任されたという話もあるそうです。
(土宮 - Wikipedia)
宇迦御魂神は神宮内では御倉神(みくらのかみ)として祀られています。
また、大歳神とは兄妹で須佐之男命と神大市姫との間に生まれています。
どちらも一般に「食物神」とされていますので、
古くは三柱合わせて豊作を祈願したのでしょう。
土宮の不思議として、別宮は通例真南を向いていますが、
土宮だけは東を向いています。
古殿地も東西に置かれますが、南北となっています。
土宮の別宮昇格の際に南面をさせる話もあったものの、結局古来のままにしたといいます。
この理由は明らかになっていませんが、
土宮が元々は神宮の社ではなく、独自の土地の神を祀るものであったためでしょう。
東=日の上る方を向いているのは、豊作を祈願する神社としては必然ではないでしょうか?
祭事は皇大神宮に準じて行なわれ、皇室からの幣帛がありますが、
幣帛を受けるようになったのは、別宮昇格以降と考えられています。
新嘗祭の後に初穂が下げられた姿は特に生き生きと光輝くようで
もしかすると今も同座しているかもしれない大歳神と宇迦御魂神が特にお喜びだからかもしれませんね。
また、式年遷宮の折には山口祭(やまぐちさい)、御船代祭(みふなしろさい)が土宮前で行われます。
ところで、宇迦御魂は豊受姫の別名ともされています。
その注記に「これ稲の霊(みたま)なり。世にウカノミタマという」とあるといいます。
また、神仏習合においては宇迦御魂は稲荷神と同一化されていきます。
稲荷神社が傍らにある神社さんは全国に多いですよね。
これは、土宮にも見られる宇迦御魂などの食物神の同座、
更には天照大神に豊受姫が呼ばれた理由とも関連しているようにも思われるのですが…。
追々考察していきたいと思います。