伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

御師の話①~お伊勢参りの元祖プロモーター

伊勢神宮とその鳥居前町について語るには欠かせないのが「御師」です。

何回かに分け、この「御師」についてザックリとお話していきたいと思います。

 

まず今日は「御師とは何ぞや?」というテーマでお送りしましょう。

 

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御師…「おんし」と読みます。

この読み方は伊勢の御師独特で、他の地方では「おし」と読みます。

 

御師(おし)とは元々は「御祈祷師」の略と言われ、

そのお寺の専属のお坊さんを指す言葉でした。

それが次第に神社でも使われるようになり、
神社仏閣に参拝する人々のお世話をする人を指すようになっていきます。

 

平安時代には貴族の人気参拝スポットであった岩清水や加茂、日吉、熊野などの御師が活躍しています。

この当時の貴族の寺社参拝は心願成就の祈願は元より物見遊山も兼ねており、
特に普段出歩くことのない女性たちには一大イベントでした。

 

少々時代は下りますが、石山詣でといえば、有名なお話が「徒然草」にありますよね。
仁和寺のとある法師が念願の石山詣でに行くのですが、

肝心の石山寺を拝まずに帰ってきてしまったという失敗譚。

兼好法師は「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」と結んでいます。
この「先達」を多くの方は「案内の人・先輩」と古文の授業で習ったかと思いますが、

実は御師に関係しています。

 

御師は自分が所属する寺社の案内人でお世係りでもありました。

初期は1回限りの個人契約で寺社とその近隣を参拝者に案内していましたが

その参拝者がまた他の参拝者を連れて来て同じ御師に案内を頼む…という風に変化していったようです。
この御師と新しい参拝者の橋渡しをする最初の参拝者を「先達」と呼んだのです。

そしてその先達を「檀家」「檀那」と呼ぶようになり、それぞれ専属の御師を持つようになっていくのです。

 

このシステムをいち早く構築したのが、熊野の御師だったと言われています。

伊勢と同じ紀伊半島

伊勢の御師がこのシステムを導入しないわけがありませんよね。

 

*熊野御師と伊勢御師の話は色々と残っておりまして、
 長くなりますので後日に譲ります。

 

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さて。檀那という謂わばパトロン兼営業社員を得た伊勢の御師は、
それぞれの担当地区を決めて行きます。
○○地区の営業所所長のような感じになっていくのです。
御師も勿論檀那衆に任せきりではなく、
担当の現地に趣き「伊勢に参拝しましょうよ~」と勧誘に行きます。
その際に持参するのが、伊勢暦やおしろいなど魅力的なお土産です。

日本人のお土産ばら撒き文化は御師から発生しているのかもしれません。

お土産や伊勢の話に心がときめき、「行ってみたいなお伊勢さん」となりますよね。
そうなりますと御師がお伊勢参り道道のルートの宿を確保して、人々を伊勢路へと導くのです。
もちろんその宿とも契約を結んでいます。
御師はやり手の営業マンでお伊勢参りのプロモーターだったのです。

 

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江戸時代には御師だけでも2000人余りと言われましたが、
明治に入りこの御師制度は廃止されます。

 

↑↑↑の写真は外宮御師「龍太夫邸跡」です。

現在も素晴らしい古民家で、大豊和紙さんの工房兼ショップとなっています。

 

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ですが、「跡」なのです。
↑悲しいくらいに看板の文字も薄れています…。

明治以降様々な背景から御師邸は解体され、
外宮の御師邸は現存するものは1軒のみになってしまっています。

伊勢は実はこういった民間の歴史を残すことに疎い土地柄だと思います。
市民も「残して欲しい」という思いはあるのですが、なかなか届かない。
そして、費用面などの問題からも古民家も壊されていっているのは度々言及している通りです。

 

さて。
本当にざっくりと「御師とは?」についてお話しましたが、いかがだったでしょう?
次回以降はもっと詳しく時代時代の御師についてや、持参したお土産についてなど
御師の大活躍に迫っていきたいと思います。