伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【伊勢の神社】 佐那神社 (多気町仁田)

 

伊勢市からは車で少々…

櫛田川と宮川の間、多気町に鎮座する神社です。

 

国道42号線を走っていて偶然発見したのですが、

実は、由緒正しい古い神社さんでした。

 

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創始は未詳ですが、

古事記』に「次手力男神有坐佐那懸也」と記載があり、

少なくとも記紀が成立した8世紀までには創建されたと思われます。

 

高大な樹木が生い繁っていたことから大森社と呼ばれていた記録も『古事記』にあり、

延喜式』では内社多気郡卷頭第二の神社とされ、中宮と呼ばれています。

 

式内社調査報告』には、

神宮造宮使による二十年毎の式年遷宮に預る多氣郡三社
須麻漏賣神社一之大宮

佐奈神社中の宮

櫛田社大社と称していたとあります。

(須麻留賣神社は現在佐那神社に合祀されています)

 

徳川時代初期に至るまでは、

神宮の宮造使によって20年に一度の社殿造り替えがあり、

斎宮による祈年祭にも預り、

外宮禰宜の労社として祝の制と神田を設け毎年2月神事が行われ、

神宮・外宮と深い係わりを保有していたといいます。

三重県神社庁教化委員会 » 佐那神社

 

主祭神は、天手力男命タヂカラオノミコト)。

アマテラス大神が岩戸にお隠れになった際に

活躍した神のひとりです。

 

同じく、岩戸隠れの際に活躍した

天宇受売命(アマノウヅメノミコト)など23柱、

祭神不詳二座が祀られています。

 

(アマノウヅメは猿田彦神社境内の猿女神社の祭神でもありますね)

 

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そんなわけで、入口にはこんなに萌え系な顔出し看板が!(爆)

我が家の愛犬ジェル♂&ジョイ♀にモデル依頼しました(笑)

 

サービス精神旺盛な神社さんと思われ、

境内には「力石」もありました。

 

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これはタヂカラオが天の岩戸の入り口の岩を投げ飛ばしたことに由来するそうで、

よくある「重軽石」(持ち上げてみて思ってより軽いなら願いが叶うよ、というあれ)とは異なり、

1、大力石(写真↑)を持ち上げるように撫でる

2、参拝後に境内前の石(写真↓)を持ち上げる

というものです。

(詳しくは写真↑のご案内書きを…)

 

これは、ちょっと楽しかったですよ♪

石占に由来するとも書かれていましたが、

昔の人にとっては娯楽のひとつでもあったのでは?と思います。

今でもなぜかアミューズメントパークに占いの館とかありますもんね?

そう、神社はアミューズメントパークでもあったと思うのです。

参拝に来てくれた人々を楽しませたい…という思いがあったのでは?と。

だからこそ、鳥居前町が栄えたのでは?と思うのです。

つまり、日本人のおもてなし精神の表れかと?

 

ちなみに外国の敬虔なクリスチャンの方、仏教徒の方は

「神社・お寺の門前で娯楽!?飲み食い!?」と驚かれる方もいると聞いたことがありますので…。

 

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さて、御祭神の話に戻りますが、

23柱の他の神々とは以下の皆様です。

 

速玉男命(伊弉諾尊?)伊邪那美命

天照大御神

須佐之男命・

天忍穂耳命天穂日命

天津日子根命活津日子根命・熊野久須琵命・(熊野三神

田紀理琵売命・多岐都比売命・市寸嶋比売命・(宗像三女神

火産霊命・倉稲魂命

大山祇命木花咲耶姫命

事解男命

誉田別尊

猿田彦命

菅原道真

 

明治41年に合祀された神々も含みますが、

熊野三神は境内に社があったりもします。

 

中でもアマノウズメは荒魂と和玉が分かれて祀られ、

特異性を感じるのですが、

もう一柱特質な神がいまして、

それはタヂカタオと並び主祭神として配されている

曙立王命(アケタツノオオキミ)です。

 

曙立王命開化天皇の皇子・彦坐王の孫にあたり、

伊勢の品遅部、伊勢の佐那造の始祖とされます。

誉津別命垂仁天皇第一皇子)の唖(喋れないこと)の呪いを解くべく

出雲大神に拝しに出雲国へと赴いたといいます。

 

この「唖」の話は、水銀が取れる場所でよく見られる説話です。

水銀中毒の隠喩とも言われます。

 

この佐那の地も水銀が取れることで古くから有名です。

伊勢の佐那造がこれを語り伝えたという話も残っていますので、

その所以から佐那神社の主祭神曙立王命が配されたのだと思われます。

 

興味深いのは、出雲大神が登場するところですね。

以前、二見の125社の考察でも触れましたが、

伊勢の神々は出雲の神との繋がりが垣間見れることが多いです。

 

伊勢っ子の友人が

「伊勢は出雲の神さんだから」

という話を時々しているので、気になるところではあります。

 

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佐那神社は、神宮の摂社であったのではないかという指摘もあるといいます。

 

前述の記載から確かに、神宮との繋がりは深いことがわかりますので、そうであった可能性は否定できませんね。

 

タヂカラオは内宮正宮で、アマテラス大神の相殿神にもなっています。

 

ただ、サルタヒコが興玉神として内宮で祀られているのに、

猿田彦神社は125社であった可能性が低そうなので

125社でないからこそ相殿神とされているという逆説も成り立ちそうではありますが…。

 

ところが、google の口コミに以下の証言がありました!

 

「社境に「禁殺生」石がありました。

 享保甲辰(9=1724)年に紀州藩が領内の各地に建立した石のひとつで、

 元書は藩の儒者李梅渓だそうです。」

 

これは!紀州藩の領地内の摂末社に多く見られるあの石柱ではありませんか!

完璧に見過ごしていました。

 

他の125社以外の神社にもあるのでしょうか?

やはりこの石柱は何かの鍵を握っていそうですね。

 

まだまだ捜索しなければなりません。

 

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以上、実はミステリアスな佐那神社でしたね。

よくよく考えますと、この佐那神社は産土神ではないのですよね。
タヂカラオは天の神ですから…。

そうなると、やはり神宮との関係からこの地に鎮座したのでしょうか?

 

謎は謎を呼びますが、

この謎解きが古代史の魅力ですよね。

 

皆様も是非御参拝してみてくださいね。

駐車場も広いですし、

佐奈駅からも徒歩10分ほどのようです。

 


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