【伊勢にご縁の神様】 猿田彦大神 (サルタヒコ)
昨日、猿田彦神社をご案内しました。
そこで書ききれなかったのが…
「猿田彦大神ってそもそもどんな神なんだ?」
ということです。
猿田彦神は、
天降りするときに、天の八衢(アマノヤチマタ。分岐路)で
導いた国津神だと言われています。
…この図式、倭姫(天津神のボス・アマテラス大神の御杖代)を
土地土地の神々が迎えたお話と似ていますよね。
実は、サルタヒコの子孫・大田命(オオタノミコト)は
倭姫命を先導して自分の領土であった五十鈴川の川上一帯を献上したと言われています。
もしかして、大田命の話からサルタヒコの話が生まれたのでは?
と穿った見方をしたくなったりもします。
さてサルタヒコ氏、記紀共に登場する神なのですが、
その風体は、異形そのものです。
鼻の長さは七咫(ななあた)、
背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、
目が八咫鏡(やたのかがみ)のように大きく
赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いている!
と『日本書紀』では表されています。
つまり、鼻が長く(高く)
背が高く(2m越え!?)
大きくてホオズキのように輝く瞳…
そう、これはもう、アレそのものです。
天狗、ですよね。
天狗の正体に関しては、
外国人の姿を大袈裟に比喩したものであるとか、
道修験道の行者の姿であるとか、
いやいや行者の邪魔する者であるとか、
色々な説があります。
外国=異国=自分の力の及ばない国
異国人に擬えたのかもしれませんね。
正式な記録にはありませんが、
ロシアと日本は、日本海側ビジョンで見ると近いですので
大柄で鼻が高くキラキラ見たことのない色に輝く瞳で、
日焼けして赤くなった肌のロシア人イケメン漁師さんが日本に漂着していてもおかしくはありません。
その姿を「天狗」に擬え、更に天の国から見た異国人・サルタヒコに当てたのでは?
その後、サルタヒコ氏はニニギと共に降臨したアマノウズメ(猿女君)と結婚し、
伊勢の五十鈴川に戻ったとされています。
しかし、ある日事件が!
伊勢の阿邪訶(あざか。阿坂)の海で漁をしていた時、
比良夫貝(ヒラフガイ)に手を挟まれてしまうのです!
そしてなんと、そのまま溺れ死んでしまうのです…。
このヒラフ貝は、諸説ありますが
二枚貝であることは確かとされていて、
タイラギ(タイラギ貝とも)であるという説が有力です。
↑ こんな貝です。
大きいものは殻長35センチメートル以上になるといい、
とくに有明海、瀬戸内海、伊勢湾、東京湾などの水深5~10メートルに多く、
両殻の間は狭く開いているといいます。
…これに挟まれたら痛そうですね…。
サルタヒコは死の際に三柱の神を生みます。
溺れて海に沈んでいる時「底度久御魂」(そこどくみたま)、
吐いた息の泡が昇る時に「都夫多都御魂」(つぶたつみたま)、
泡が水面で弾ける時に「阿和佐久御魂」(あわさくみたま)
です。
この三柱の神は阿射加神社(写真↑)に現在は鎮座されているといいます。
松阪市の大阿坂と小阿坂に2社ある神社で、
元は古事に因み三社あった説、
元々阿坂山の山頂にあった説などがあるようです。
太古はこの阿坂近辺までは海だったともされています。
またこの一帯は伊勢神宮の外宮の御厨(阿射賀御厨)とされていたそうです。
古代はこの近海からヒラフ貝が献上されていたなんてこともあったのかも?と想像していまいますね。
(現在も食用の貝です)
また、この話によく似た説話が『今昔物語集』巻29-35にあります。
猿が海辺の溝貝を食おうとして、手をはさまれます。
溝貝は砂地の底へもぐりこみ、潮が満ちて来て猿は溺れそうになったのを
見ていた女が、貝の口に木をねじこんで開き、
猿の手を抜いて助けます。
猿はその恩返しに、鷲を5羽捕って女に与えました。
猿は、猿神にも繋がる存在です。
猿神とは、主に中世の日本の説話に登場するサルの妖怪で、
日吉神などの太陽神の使者とされる猿の化身でもあります。
猿田彦大神も太陽神であるという説があります。
光り輝いていたのはその証しであり、
太陽神同士故アマテラス信仰と迎合したと考えられてもいます。
アマテラス信仰は稲作とリンクしていますが、
豊作を祈る神事といえば「猿楽」もありますよね。
ニワトリタマゴでありますが、興味深い関連だとされてはいます。
さて、猿田彦を祀る神社はアマテラス信仰や太陽信仰と結びつき各地にありますが、
同じ三重県に「こちらこそ猿田彦大神を祭る元祖でzる!」という神社があります。
椿大社です。
「(前略)肇国の礎を成した大神として、
倭姫命の御神託により、
この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社です。
仁徳天皇の御代、
御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、
現在に及んでいます。
また、猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮として、
「地祇猿田彦大本宮」と尊称されています。」
と御由緒として書かれています。
…これについては、ノーコメントとさせていただきます。
お稲荷さんの総本山もいくつもありますし、
招き猫発祥の地もいくつもありますし…
ということで。
いずれにせよ大まかにみて
三重の国津神であったであろうことは
ほぼ確実…ですかね?
(実は反証ありますが。今回はこの辺で!)