【125社めぐり】 摂社 川原神社
内宮 摂社 川原神社 (かわらぶち)
川原神社(内宮摂社)と河原神社(外宮摂社)があります。
更に河原淵神社(外宮摂社)や高河原神社(外宮摂社・月夜見宮同座)や川相神社(内宮末社・大水神社同座)もあります。
…ややこしい。
そしてこちらの御祭神は月読命御魂です。
…本当にややこしい。
ですが、それだけ「川」は神宮そして125社にとって大事なのです。
今日は宮川の近くにある川原神社がテーマです。
横輪町に桜を見に行く途中で、友人が教えてくれて立ち寄ってくれました。
川の近く、というよりも山々が美しい印象が強く、
裾野の田んぼに囲まれた場所で、折しも山桜が満開の良い季節でした。
鎮座地の地名「佐八」、読めますか?
伊勢には難解な地名が多いのですが、こちらは「そうち」と読みます。
「さ・はち」→「沢地」の意味で宮川の沢があったことを示すそうです。
宮川の周囲、伊勢市は「水」に関係した地名が多く(外宮の近くの「吹上」など)
元々が湿地や沢地だった場所が多いと、河崎の古書店「ぽらん」のご主人から教わりました。
逆に水田には適していたとも言えますね。
河崎の先にある佐八から内宮へ稲を供進したとする記録もある神久も
現在オシャレなマンションが建ち開発中ですが、元々は水田地帯です。
そして、伊勢市内で浸水するところは、この元・水田が多いと言います。
伊勢で御住まいを御探しの時はご参考までに…。
さて、この佐八ですが内宮へ稲を供進したとする記録もあるそうです。
この周辺の立派な田んぼを見ると、そうじゃないかと思っていました。
では、なぜ月読命御魂が御祭神なのでしょう?
祭神は宮川の守護神と伝えられる、月読尊御魂。
社名から往古は宮川の川原で、沢地(現在の地名を佐八という)であったことがうかがえる。
月は水の干満に関係あるところから、多く川の神、水の神として信仰を受けられている。
と、神宮会館HPに記載があります。
月読さんも色々な守護神とされ、大忙しですね。
ですが、「月夜見」さんでなく「月読」さんです。
月読=暦の神が元々だと思います。
暦は農業にとって非常に重要。
これは暦は農業に欠かせないもので農民はとても重宝したたからだと言われています。
つまり、月読命御魂は佐八の水田の守護神でもあったように思われます。
ただ、宮川は何度も大洪水を起こしているので、川の神・水の神として崇めることが多かったのでしょう。
「台風と大潮が重なったりしませんように」という願いは今も昔も同じですよね。
そして、農家さんにとっては「浸水して田畑に被害がありませんように」というのも同様に大事な願いです。
また、同じ月読命を祀る月読宮(内宮摂社)と川原神社は、
両社の鎮座する佐八町と中村町は荒木田氏を通じて深いつながりがあったという説もあるそうです。
ここからは、以前も考察したように「月読命」(暦の神)と「月夜見命」(月の神・海の神)は元来別の神だったのが、次第に「月」=「陰暦」の繋がりから同一視されていく様子を感じさせられます。
(「月読」表記は内宮での表記の仕方だともとれますので、あくまでも私見です…。)
伝承では倭姫命がここで大若子命(おおわかこのみこと)に出迎えられ、船で宮川を下ったとされ、
『皇大神宮儀式帳』では、倭姫の定めた社に数えられています。
御神体はないタイプです。
『大神宮式』には宮司が修理をあずかる神社とされ、
祈年祭や神嘗祭には幣帛を分与され、祝部も任命されていたと言います。
現在も広々とした雰囲気の境内ですので、
祭祀は盛んに行われたことを彷彿とさせれらます。
中世にその祭祀は途絶え、江戸初期に河邊精長が再興したのは他の摂社末社と同様です。
この時、祝部を務めていた旧家を探し求めて祝部に採用したとも言います。
ただ再興地については異論も多く、
竹ヶ鼻町にある竹鼻神社や船江の河原淵神社が旧社地であったのではないかとする説もあります。
(河原淵さんの鎮座地にも異説があったと記憶していますが)
地域の方からからは「センズイ」(川水、泉水)、「オダゴ」、「ヤグラ」と呼ばれていたとする記録があるそうなので
ここに「川の守護神」が鎮座していたことは確かでは?と思います。
また「オダコ」は「御田子」でしょうか?
調べてみたところ、御米のことを「オダゴ」と言う地方が他にもありました。
(神事においての呼称なのかもしれません)
(神の表象より)
だとすると私の想像した田んぼの守り神説もあながち捨てたものではないのですが…。
伊勢・度会のお米は美味しいです。
今年も水害がなく豊作でありますように祈りたいです。
(2019.4.6.参拝)