伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【125社めぐり】 内宮 所管社 御稲御倉

内宮 所管社 御稲御倉 (みしねのみくら)

御祭神 御稲御倉神 (みしねのみくらのかみ)

 所在地;内宮境内

 

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内宮の正宮に参拝後、

荒祭神へと参拝する道筋にあります。

 

御天気の良い日は、

屋根の上で鰹木が黄金色にきらきらと輝いているのがいつも印象的。

稲穂の実りを象徴するかのようです。

 

私は東京生まれの東京育ちなのですが、

母校(世田谷区内の都立高校)の校歌に

「黄金の美稲光あり」という歌詞があって

いつもそれを思い出します。

 

「美稲」=うましね、と読みます。

「御稲」=みしね、と同じ読みですね。

 

東京で稲?ってお思いでしょうが、

世田谷は明治・大正までは「村」で、

田畑が多かったんですよ。

 

ちなみに作曲は山田耕作です。

元々女子高だったので、校歌には珍しい8分の6拍子…ワルツのリズムです。

 

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さて御稲御倉ですが、

ほとんどの参拝客は横目で見つつも立ち止まる人は少ないです。

伊勢っ子の友人は「一番大事な神様や」と必ず手を合わせます。

 

そ神宮の祭祀での最重要テーマは、そう「稲」です。

その「稲」を保管するのがこの御稲御倉。

そしてここに保管されている稲は

祭祀やアマテラス大神の御食事にも使われる大事な稲なのです。

 

ちなみに外宮には御稲御倉はなく、

稲は忌火屋殿に奉納されるといいます。

 

この奉納される稲も「抜穂」という古代のスタイルで神職が収穫し、

乾燥した特別なものです。

もちろん神田から収穫されます。

 

そしてもう一つ注目すべきは、この特徴的な高床式の造り。

正宮と同じ唯一神明造の5分の1スケールなのです。

 

御稲御倉は古代より存在したようで

調御倉・御塩御倉・鋪設御倉・御稲御倉の4棟で1組として板垣外の西方に建てられ、

平安時代中頃より、外幣殿とこの4棟は外玉垣の内側に入ったといいます。

正宮の敷地内にあったので式年遷宮のたびに移動していたようですが、

中世の末に4棟とも廃絶したといいます。

 

戦国時代―天正年間に

正宮の北西に御稲御倉のみ復興され

以後式年遷宮ごとに建て替えられているようです。

 

古代は校倉造であったようですが、

この復興以降に神明造になったといいます。

 

現在は古殿地のような替えの敷地がないので

式年遷宮に伴って社殿が建て替えられる際には、

御稲御倉神は一時的に外幣殿遷座するそうです。

御稲御倉 - Wikipedia

 

 

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御倉からイネを取り出すことは「御稲奉下(ごとうほうげ、みしねほうげ)」と呼ばれ、

前日から参籠潔斎(さんろうけっさい)した神職が行います。

奉下されたイネは稲扱(いねこき)、籾摺(もみすり)、七分搗きにした後、

忌火屋殿で神酒・御餅・御飯に調理されて神前に供されるそうです。

 

御稲奉下は古代は禰宜・大内人ら4名が

大物忌と大物忌父を伴って執行していたといいます。

この時の服装は、内宮で祭儀を行うのと同じ官給の明衣(きよぎぬ)であったといわれ、

重要な神社であったことが推察されています。

 

奉下されたイネは大物忌の子らは臼で撞き、

竈(かまど)で蒸し、

炊き上がった御飯は笥に盛られ

正宮・荒祭宮・滝祭神に捧げられたといいます。

御稲御倉 - Wikipedia

 

そうです、昨日お話した神酒に使われる米も

この御稲御倉の中に保管されているのですね。

 

そして稲以外にもこちらに保管されているものがあります。

それは、なんと、、、心御柱

心御柱は正殿の床下に埋められている御柱で、

神の依り代とも言われますが、詳しくは謎です。

 

日本神話において「柱」は重要な存在そして出てきますから

そこに擬えた存在だと私は推察しています。

神様を「一柱」と数えますし、、、。

 

それにしても、そんな重要なものがこちらに納められるとは!

 

遷宮の8年前に行われる「木本祭」で心御柱

木曽の森から切り出されます。

その後新殿が完成するまでの間、

この御稲御倉に保管されるそうなのです。

木本祭 MOVIE

(ん?完成までということは後から埋めるのでしょうか?)

 

それで唯一神明造なのか!と

ちょっと思い当たりますよね。

 

ちなみに外宮では外幣殿に保管されるそうです。

 

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御祭神は御稲御倉守護の神である御稲御倉神とされますが

平安時代の『大治御形記』には保食神(うけもちのかみ)とあり、

鎌倉時代の『神名秘書』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ともいわれています。

 

保食神倉稲魂命(宇賀御魂命)は、稲荷の神ともされます。

稲を守る豊作の神つながりかと思われますが、

御稲御倉神が祀られるようになったのは明治以降のこととも言われ、

現在の荒祭宮へ向かう道の途中に鎮座位置が固定されたのは1889年(明治22年)のことだそうです。

 

室町時代以降は御稲御倉神嘗祭の織御衣(おりのみそ)が織られたので、

御機殿の異名を持っていたとも言われます。

 

御稲守護の神はどうやら後付けではないでしょうか?

古代~中世に「稲の神様」=「保食神」=「宇賀御魂神」とされていたのを元にしたような感があります。

それを明治期に神社庁による改革と共に整えたのではないでしょうか?

 

 

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密かに重要な役割と謎を秘めた御稲御倉。


木本祭~新殿完成までは

心御柱が納められていると思うと、

更に貴重な存在に感じられますね。

 

御参拝の折には立ち止まってみてはいかがでしょう?

 

今年も日本全国で豊作でありますように祈願を捧げたいですね。

 

(写真撮影;2018~19年)