伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

松阪商人「小津家」と河崎の意外な接点とは…?

前回松阪の「小津家」のお話を少しだけ出しましたが、
今日はその小津家のお話を少しだけしてみたいと思います。

 

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昨年の春のこと。学生時代ぶりに松阪に下り立ち、町を散策をしてみました。
すっかり綺麗になって道路も石畳。とても爽やかな雰囲気になっていて驚きました。
観光客目線としては、とても歩きやすいですし、写真映えもすごくしそう。
うきうきとあちこちを覗きながら観光気分でいましたが、まさか河崎との繋がりと出会うとは!

河崎、恐ろしいコ!(BY月影先生

 

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松阪と言えば「松阪木綿」。
その清清しいインディゴブルーが目を引く入口に誘われてお邪魔したのが「旧小津清佐衛門家」。

豪商の町・松阪で三井家や長谷川家と共に高名な「小津家」。

映画監督の小津安二郎さんの御親戚でもあります。

今も日本橋小伝馬町)にビルを構える「小津和紙」の創業者が小津家三代目「小津清佐衛門長弘」です。

 

この建物内で現存する最古のものは前倉です。
享保15年(1730)の建築で三重県の指定有形文化財にもなっています。

その前倉の床下に埋められたいたのが、この万両箱!(下写真)
防火も前提とした金庫です。
これを見るだけでもどれだけの繁栄ぶりだったかと目を見張ります。

 

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その他、長者番付けなど小津家、そして松阪商人の繁栄を物語る展示が山ほど…。

 

江戸の町で活躍した所謂「伊勢商人」の中でも松阪出身は多く、
主に松阪木綿で財を成したそうで、勿論小津家でも和紙の他に木綿も商っていたそうです。

 

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前回お話しました大きな竈が↑左手のものです。

手前の竈も民家にあるものより大きめですので、本当に巨大です。
その名も「千人釜」。

伊勢街道を通って神宮へ向かう参拝客のために毎日この釜でご飯を炊いていたとのことです。
「小津家330年」という本には「むすび茶をふるまった」との記載があるそうですので、

食べやすくむすんでお茶も差し上げていたのでしょう。

小津家はその他にも寺社への莫大な寄進などもしていたそうなので、信心深さも窺えますね。

 

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そんな大豪商小津家ですが、入口に不思議な細工があります。

↑の写真がそれですが、おわかりになりますか?

そうです、一部が竹で組まれた天井になっているのです。
ではその理由は何でしょう?

 

小津家初代は、幼少期に河崎の親戚の家に身を寄せていたことがあるそうなのです。
その身を寄せていたお家はあまり裕福ではなく、ご苦労も多かったようです。
その初代の苦労を忘れないように、貧しいところから身を立ててことを忘れないようにと、
必ず皆が通るこの入口に、その家の天井を模した部分を作った、と言われているそうです。

つらい時はこの天井を見て、初代の苦労を思い出せ!ということですね。

小津家の皆様はその気持ちを忘れなかったおかげか、
何度か訪れるお家の危機や関東大震災なども乗り越え
現在にも「うろこ久」の家紋を伝えています。

現在にも学ぶところが多い名家だと思います。

御興味が生まれた方は是非訪れてみてくださいね。

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さて、見習うべきことが多すぎるこの小津家ですが、展示方法も素晴らしい。
↑これ、何だかわかりますか?
そう、以前御紹介した襖の下貼りなんです。
私もいと志やでこうやって襖紙の展示をしたかった…。

*詳しく丁寧に、「普段は御紹介しないけど」と河崎と竹添乗のお話をしてくだり、
そして、記憶が曖昧な点を確認したくてお電話させていただいたところ御丁寧御対応くださり
小津家の学芸員さんや皆様ありがとうございました。

*小津家、並びに松阪について
こちらのブログがとても親切で見やすく丁寧です。
御参考までに…。

https://matsusaka-2shin.com/gosho-matsusakasyounin/