伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

河崎の歴史②~神宮と河崎~

スピリチャルブームだったり、御朱印ブームだったり、令和ブームだったり…

今日も沢山の人で賑わう伊勢神宮

わんこだってお参りしますよ。
宇治橋前の衛士さんが預かってくれます)

 

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伊勢の神宮への参拝が一大イベントだったのは、今も昔も変わりなく…

集団でのお伊勢参りは中世に始まったようですが
江戸時代には一大お伊勢さんブーム「お陰参り」が何度も起こり、
京都や江戸、九州などの遠方からも神宮を目指して人々が集まって来ました。

 

(そこには「御師」の活躍もあるのですが、それまた後日)

 

宝永2年(1705年)のお陰参りは本格的なお陰参りの最初とも言われ、
4月上旬から1日に2~3千人が松阪を通り、最高で1日23万人だったと

本居宣長が随筆「玉勝間」の中で述べていまして、

2ヶ月間に330万~370万人が伊勢神宮に参詣したと言われています。

 

文政13年~天保元年(1830年)のお陰参りになりますと

参詣者は427万6500人にものぼるというデータもあります。

さて、
ここまで大勢の人が参拝に訪れるとなると、困る物は何でしょう?

 

そうです、食べる物です。

 

文政のお陰参りの頃からひしゃくを手に参拝…が始まったとも言われていますが
松阪の豪商小津家では、伊勢街道を行く参拝客にふるまうために
毎日巨大な竈(おくどさん)でご飯を炊いていたそうです。

(そのおくどさんは現存していて見学も出来ます)

 

では、伊勢ではどうだったかと言いますと…そこで登場するのが我らが河崎です。

 

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河崎は勢田川の水流を運河として栄えた街ですが、この江戸時代から更に栄えたようです。
その理由はまさしく「お陰参り」。

参拝客のお腹を満たすには、伊勢近隣の農産物ではとてもとても足りません。

そこで、河崎は地の利を生かして遠方から食料を運び込ませて行きます。

 

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広域の地図で見ますと、三河がこんなに近いのです。
勿論、志摩方面からは魚介が集まって来ます。

 

勢田川の由来は「千駄川」とも言われています。
どれほどの荷物が運ばれて来たのかはその名に表れていると思います。

そして、河崎に蔵を持つ「河崎商人」たちどれほどの富を蓄えたかも…想像出来ますよね。

平安時代には、山田(外宮門前町)とは既に違う集落として形成された河辺の里が、
勢田川の水運を利用し、室町頃には環濠(お堀)を作る程に栄え、
江戸時代にはお陰参りの恩恵を得て更に繁栄して絶頂期を迎えたのです。

そして、その江戸期の蔵や建物が戦火を逃れ現存しているところにまたロマンを感じますね。
河崎にお越しの際には華やかな江戸の河崎の賑わいに思いを馳せてみてくださいませ。

そうそう。
わんこと神宮と言えば「犬が病身の御主人の代わりに柄杓を咥えて伊勢参り」有名ですが、
伊勢に移ってから友人に話すと

「そんなわけあるかぁ~。犬は神宮に入れへん!」と一蹴されましたが
あれは伊勢以外で発祥した都市伝説的な何かなのでしょうかね???
(外宮参道にそれらしきモチーフのモニュメントがありますけれど。あと内宮のおかげ犬とか)