伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【熊野詣】寄り道・入鹿八幡宮

丸山千枚田のほど近くに

「入鹿八幡宮」なる立派な石柱が目に入りました。

 

入鹿!??蘇我入鹿???
伊勢市の外れには平家の落人の里もあるし…

まさか入鹿がここに落ち延びた伝説があったり!??

と妄想を膨らませ、参拝することに。

 

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境内に入り、御由緒書きなどを見ますと…

「入鹿」は地名でした。

勿論蘇我氏とは関係はありません!

 

永享4(1432)年、入鹿某が豊前(大分県)の宇佐から勧請し、

小栗須の岡原山に祀ったとされており、近郷では特に有名な神社であるそうです。

入鹿八幡宮|観光スポット|観光三重

 

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御由緒書には以下のようにあります。

 

入鹿八幡宮の由来

八幡宮とは、応神天皇を主神としその父、

仲哀天皇と母、神功皇后の三柱を祀り、

源氏の氏神として深く信仰された。

入鹿八幡宮の勧請について、

明治十五年に編纂した「紀伊の国南牟婁郡小栗須村地誌」に

入鹿某が大分県宇佐より勧請し岡原山に祀ったと記している、

このあとは本殿内に収蔵されている延徳三年(1491)の棟札を最古とし、

明治まで20枚残っていることにより考証される。

八幡宮は源氏の信仰があつく棟札に山本義家とか、

入鹿村総領一族などの文言があることから

源氏の一統山本氏が氏神である八幡宮を勧請し崇拝したのものと考えられる、

なお現在、応神天皇以下10柱を祭神としているがこれは、

明治三十九年の一村一柱令により丸山(丸山神社)、板屋(矢倉神社)、

矢ノ川(矢倉神社)、大河内(大河内神社)、小川口(楠森神社)、

木津呂(天石神社)、島津(池森神社)、

湯ノ口(杉野神社)玉置(牛頭神社)の各神社を合祀したためである。

入鹿八幡宮 – 神宮巡々

 

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入鹿何某さんは、入鹿村の○○さんという感じでしょうか。

その方が源氏の流れを組む山本氏の系統の方で、

宇佐から八幡宮を勧請したのですね。

 

ちなみに、私の地元「世田谷八幡宮」も「八幡太郎」義家が創始と言われ、

鎌倉への道すがら源の誰かが立ち寄ったという伝説も聞いたことがあります。

(私の母校が八幡様の敷地に建っていまして、小学生の頃先生からさらっと聞いた記憶があるんですが、うろ覚えです。義仲だったような???)

 

鶴岡しかり…やはり当時、源氏といえば八幡宮、ですものね。

 

伊勢には平家落人里があり、知盛の終焉の地ともされています。

(真偽不明)

伊勢と熊野に源平入り混じり…これは紀伊半島の立地の成せる技のような感じがします。

 

 

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ところで、入鹿村といえば、ある方を思い出しませんか?
そうです、伊勢神宮復興に努めた熊野比丘尼清順さんです!

【熊野詣】⑧伊勢神宮を救済した熊野比丘尼とは? - 伊勢河崎ときどき古民家

 

調べてみましたら、やはりこの入鹿八幡宮にも縁がありました。

八幡宮の隣に清順上人の碑があり、

そちらでは顕彰祭が行われるそうです。

3/15 入鹿八幡宮大祭・清順上人顕彰祭:2 - くまどこ

 

無意識ながらも、そして石碑は見逃したものの

まさか清順さんの生まれた村に立ち寄っていたとは…

今更ながらに驚きです。

 

またの機会には、清順さんにも思いを馳せて参拝したいです。

 

 

(2019.8.23.参拝)