【熊野詣】⑩熊野速玉大社に参拝【熊野三山】
真夏の雨の日の熊野参拝は続いて
熊野速玉大社へ。
この頃には雨も上がりましたが、曇天。
「空青し、山青し、海青し、日はかがやかに…」と
佐藤春夫は詠ったと熊野速玉大社のHPでいっていますが…。
曇天。
神倉山の磐座であるゴトビキ岩(天の磐盾)に
熊野速玉大神と熊野夫須美大神、家津美御子大神
の熊野三神が降り立ち、そこに祀られていましたが、
景行天皇58年に現在地に神殿を建てたと伝わります。
神倉山は神倉神社となり「元宮」と呼ばれ、
熊野速玉神社は「新宮」と呼ばれています。
この二柱は夫婦神といわれ、
(*熊野本宮大社では熊野速玉大神は
同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男とされています。)
この新宮では熊野十二所権現と称されるように
十二柱の神+元宮の高倉下神が祀られています。
↑御由緒には、原始自然崇拝の色が濃いことを主に書かれていますが、
その名残が今も境内に色濃く感じられます。
入口の鳥居も、神仏混淆の神社に多く見られる両部鳥居ですよね。
熊野が自然信仰から神仏習合に移行したのは平安時代以降だと思われます。
家津美御子を勧請し、
熊野三所権現として三山共通に3柱の神を祀るようになり、
熊野信仰の流布とともにさらに諸神を祀るようになったという説もあります。
そこに、当時の流行であった本地垂迹説を導入し、
神道の神々が仏教の仏の化身であるとして
熊野の神々に仏の名を充てていったところ、大ブレイク!
(*どの神がどの仏かについては後述しいます)
上皇の熊野詣ブームも起こり、
仏のご利益が得られる神境の地として貴族や庶民にも人気を博します。
参考→【熊野詣】⑦熊野参詣曼荼羅と熊野比丘尼 - 伊勢河崎ときどき古民家
江戸時代に入ると、紀州藩の宗教政策のもと
熊野山伏や念仏聖、熊野比丘尼たちの活動は抑圧され、
その結果、熊野信仰は衰微していきます。
更に明治期の廃仏毀釈により、仏教の要素は廃絶されていきます。
さて、境内の参道を歩き進むと、神門前に出ます。
けっこうな迫力があります!
これは左右の書にも因るところが大きいとは思いますが…。
神門というよりお寺の山門のような造りです。
そして「大社」の名の故か…
出雲大社を彷彿とさせる大きな注連縄にも目がいきます。
門をくぐると、広々とした空間に社殿が真横に真っ直ぐ並びます。
写真↑の、門を出て正面にあるのは、上三殿と呼ばれる社殿です。
詳しくは速玉神社のHPにありますが、
↓にまとめてみました。
(写真はgoogle mapから拝借しています)
注;構成上曲がっていますが、横一列社殿は並んでいます
当初は主祭神の二柱は同じ社殿に祀られていたともいわれますが、
現在は速玉宮と結宮、それぞれの社殿に祀られています。
それぞれ以下のようになっています。
第一殿 結宮
熊野夫須美大神(熊野結大神) 千手観音
第四殿
若宮
天照大神 十一面観音
神倉宮
高倉下命 (本地仏なし)
中四社
第六殿 聖宮
瓊々杵尊 龍樹菩薩
下四社
第九殿
第十殿 勧請宮
泥土煮尊 釈迦如来
第十一殿 飛行宮
大戸道尊 不動明王
第十二殿 米持宮
面足尊 多聞天
神社が伝える国宝として、
結、速玉、家津美御子、国常立像、皇大神、伊邪那美、伊邪那岐、の神像七躯がありますが、
写真からは仏像的な雰囲気も感じられます。
(神社の神宝は一部は神宝館で見られるそうです。
時間の関係で入館しておらず、現在後悔中です。)
神宝館正面には梛(なぎ)のご神木が立ってます。
平重盛(清盛の嫡男)が熊野三山造営奉行を務めた際に手植えしたと伝えられ、
推定樹齢は1000年です。
(以前紹介した熊野参詣曼荼羅に重盛が描かれていましたね。
【熊野詣】⑦熊野参詣曼荼羅と熊野比丘尼 - 伊勢河崎ときどき古民家)
梛としては日本最大で、国の天然記念物にも指定されています。
以前、志摩一の宮伊射波神社で教えていただいたのですが、
ナギの葉は裂くことが出来ないことから魔除けの葉とされてきたそうです。
ナギは一般的な広葉樹のように見えますが、
実は針葉樹の仲間で真ん中に葉脈がないのです。
この葉の丈夫さからナギにはコゾウナカセ、チカラシバなどの別名があり、
丈夫さにあやかって男女の縁が切れないようにと女性が葉を鏡の裏に入れる習俗もあったそうです。
また、「ナギの葉みくじ」なるものもありました。
可愛くてひいてみたのですが…
ちょうど落ち込んでた時期だったのを更に追い討ちをかけるような辛口の「吉」が出ました(泣笑)。
更に境内には天然記念物のオガタマノキも立ちます。
↑の説明にありますが、
オガタマの名は、この木を神殿に供えて神の霊を招く習わし(招霊)からきているといい、、
古くから神木として神社の境内に植えられているそうです。
この木は、樹高21m・目通り幹周り1.65mで、樹齢は1100年。
この地方にも珍しい大木だそうです。
参道入口すぐにには、伊勢でもおなじみの手力男神を祀った手力男神社、
神武天皇を道案内したというヤタカラスの化身・建角見命を祀った八咫烏神社も
建ちます。
ヤタガラスは熊野のシンボルのようになっていますが、
建角見命は賀茂建角身命と同一神ともされていて、
賀茂氏→125社の変り種の鴨神社とも関係がありそうですよね。
以上、現レポも兼ねてご案内しましたが、
速玉大社、いかがでしたか?
個人的な感想としては、
伊勢の神々とのつながりと、
更に出雲とも共通項の感じられ、、、
壮大ながらも正体が不明!??という印象でした。
次回はもっと観察したいですし、
元宮にも参拝したいです。