【熊野詣】寄り道・赤木城
近年話題の「天空の城」竹田城に次ぎ、
ミニ天空の城とも呼ばれる城跡が熊野市内にあります。
それがここ、赤木城です。
曇天の夕方訪れましたが、山々から雲が湧き上がっていて、
なるほど雲や霧に包まれたらさぞかし…という雰囲気です。
そして、天空の城・ラピュタもかくやという城壁跡。
石の色がやや赤味を帯びていて、まわりの緑に映えています。
ロボット兵が見回りをして、キツネリスが戯れている幻が見れそうな…!??
秀吉の命で造られたそうです。
高虎といえば、築城の名手として名高いですよね。
この赤木城も特徴的な虎口や高く積まれた石垣などに、
その素晴らしさが垣間見られます。
美しい赤木城ですが、実は歴史は実にエグいです。
熊野牢人衆による天正の北山一揆に対抗するために造られたとされています。
秀吉の弟・秀長により制圧されますが、このときに拠点として造られたのが赤木城です。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣の隙をついてまた一揆が起こります。
総勢およそ3000人が新宮城に侵攻しようとしたものの壊滅し、363人が処刑されたそうです。
ところがその残党が翌年、高虎が修築を終えた赤木城の落成披露の際に捕らえられ、
赤木城の西・約1キロメートルにある田平子峠(たびらことうげ)で斬首されたと伝わります。
その数は、160人余りとも363人とも言われています。
その後、赤木城は元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となったそうです。
まさに戦国時代の城ともいうべき、戦いのためだけに造られた城なのですね。
地元や伊勢の友人の中には、その歴史的背景から行くのを憚る人もいます。
ですが、高虎の築城したこの美しい姿が城壁だけでも残っているのは、
ただ悲しい記憶だけではなく、当時の築城技術や美的なセンスも伝えてくれています。
今は「天空の城」としても名所になりつつあるのは、
ら高虎はもちろん、秀吉兄弟も鼻が高いのではないでしょうか?
そして、一揆で捉えたれた人々の思いも踏みにじらないよう、
この土地をこの国をより良くしていくことを考えなければなりません。
北山一揆のきっかけは、秀吉や紀伊藩主浅野氏による検地や統治に異論があったからのようです。
自らの土地を守りたい思いは、古今変りませんが、それがまた諍いの発となるのも普遍的なもの…。
それでも戦のない時代を築く努力は忘れてはいけませんね。