【熊野詣】おまけ・ヤタガラスとは?~熊野と賀茂のヤタガラス~
熊野詣のイメージキャラクター的な存在となり、
今ならば熊野の人気ゆるきゃら的な立場ともいえるのが
ヤタガラス。
熊野詣をすると、あちこちで見かけますが、
ヤタガラスって何だかご存知ですか?
「三本足のカラス」
「何やら導きの神らしい」
「日本サッカー協会のシンボルマーク」
というのは割合と皆様ご存知かな?と思われます。
でも、結局のところ、ヤタガラスって何なんでしょう???
ヤタガラス―八咫烏と書きますね。
咫とは、長さを表す単位で「あた」と読みます。
手を開いたときの中指の先から親指の先までの長さのことで、
これは尺と同じ定義です。
日本書紀では「咫」と記しているものを、古事記では「尺」の字を当てているものもあり、
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も、「尺」の字が宛てられているが本来は「あた」であるといいます。
(つまり「あた」は「さか」とも言うのですね。)
私見ですが、咫の略字が尺であったか、写し間違いから定着したのかと思われます。
八はご存知かと思いますが、八百万と同様に「たくさん」を意味します。
八咫とは「大きい」という意味になります。
つまり、ヤタガラスとは大烏という意味なのです。
英語ではカラスを「クロウ(CROW)」と言いますが、
大烏のことを「レイヴン(RAVEN) 」と呼び区別しています。
(また「BLACK BIRD」=クロウタドリという小さな黒い鳥もいます)
ハシブトカラスやハシボソカラスはCROWに分類され、
ヤタガラスはまさしくRAVENで、ワタリガラスのように渡り鳥的な性質としたかったのではないでしょうか?
(注;ワタリカラスは日本では北海道の最北端にしか渡来しませんが)
そしてヤタガラスの特徴と言えば、三本足です。
熊野本宮大社のHPでは、以下のように説明しています。
「八咫烏は太陽の化身で三本の足があります。
この三本の足はそれぞれ天・地・人をあらわす、といわれています。
天とは天神地祇、すなわち神様のことです。
地とは大地のことで我々の住む自然環境を指します。
つまり太陽の下に神様と自然と人が血を分けた兄弟であるということを、二千年前に示されていたのです。」
ですが、ヤタガラスが3本足であるという記述は、日本書紀にも古事記にもありません。
その初見は平安時代中期に源順の編纂した「倭名類聚抄」であると言われます。
この頃には熊野に神仏習合が入っていたと推測できますし、
同じくヤガラスをシンボルとする京都の賀茂神社も力をつけています。
神仏習合という観点からすると、
中国で太陽に住むといわれる霊鳥・三足烏や金烏の影響と思われます。
日本でも古来、太陽を表す数が三とされ、
宇佐神宮など太陽神に仕える日女(姫)神を祭る神社(ヒメコソ神社)の神紋が、
三つ巴であることと同じ意味を持っているとする説もあります。
宇佐神宮も神仏習合系ですので、結局のところは中国伝来の思想が反映していそうですね。
余談ですが、中国で三本足といえば、金運ご利益がある三本足の蛙・青蛙神がいますね。
太陽に関係が?と思いきやこちらは月に住むと言われているそうです。
…三本足の謎が深まります…。
もうひとつ余談ですが、宇佐八幡宮の近くには相撲発祥の地があります。
そして、私の育った世田谷の世田谷八幡宮には相撲の歴史があります。
上賀茂神社にもヤタガラスに因んだ奉納相撲があるそうです。
こう考えると、賀茂と宇佐に関連がなくもないような気がして、
三つ巴説が生まれた所以もありそうな気がします。
ユニークな所作が見物!上賀茂神社の「重陽神事・烏相撲」 | 京都観光情報 京都ツウ読本
さて、そもそもこのヤタガラスはなぜ導きの神とされるのでしょう?
一般的に、神武東征の際、
高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、
『日本書紀』ではその功が労われ、ヤタガラスの子孫は
葛野主殿縣主(かづののとのもりのあがたぬし)となったとされています。
一方熊野本宮大社は
「八咫烏とは、当社の主祭神である家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えです。
日本を統一した神武天皇を、大和の橿原まで先導したという
神武東征の故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。」
とあります。
つまり、天(高天原)の使いではなく、熊野の神の使いである、と言っているわけです。
那智大社でも
霊験あらたかな烏牛王神符(からすごおうしんぷ)を
牛王神璽(ごおうしんじ)とも呼び、
牛頭大王(スサノオ命)縁の潔斎を経たものとしています。
また、那智大社においてヤタガラスは
「当社では拝殿左手の御縣彦社(みあがたひこしゃ)にてお祀りされ、
導きの神様・交通安全の神様と崇敬を集めている。
無事、大和までの道案内を務めた八咫烏は熊野の地に戻り、
石に姿をかえて休んでいるといわれる「烏石」が境内に存在する。」
としています。
(拝観料1000円(4人まで)~で参拝できるようです)
やはり「ヤタガラスは熊野がオリジナルだから」と
こちらでも言っているわけですね。
では、なぜ京都の上賀茂神社でもヤタガラスが祀られているのでしょう?
その賀茂氏の系図において、賀茂氏の祖である鴨建角身命の別名を八咫烏鴨武角身命としているのです。
(神武天皇との世代の関係から考えて、
記紀に登場する八咫烏は鴨建角身命の孫・生玉兄日子命だと言われます)
『日本書紀』を見てみると、同じ神武東征の場面で、
金鵄が神武天皇を助けたとされる逸話もあるのですが、
(天日鷲神は天の岩戸で登場します。
関東の方には「お酉さん」の神様と言うと親しみがあるかもしれません。
その名と性質から金鵄と同一視されているようです。)
個人的にはこの説にはちょっとマユツバです。
このヤタガラスの件といい、
権威や伝統のあるものを取り入れて、自身の格を高めているきらいが見られるように感じるのです。
もっと言いますと、多分伊勢の「皇祖を祀る」という権威を自社のものにしたかったのではないかと思います。
賀茂社は奈良時代には皇族の崇拝を得て既に強大な勢力を誇っていてといい、
平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成にも深く関わってきたそうです。
逆にこれは、伊勢神宮を皇祖を祀るものとしてつくりあげた天武系統から、
平安遷都をした桓武系(元は天智系)への皇族の氏神の鞍替えを、天皇が謀っていたのではないでしょうか?
奈良時代に賀茂神社を崇拝した皇族ももしかすると天智系の皇族だったとしたら…?
辻褄があいますよね。
天智系の天皇主導での祖神の入れ替えに賀茂氏が助力していたのではないでしょうか?
(主導はもしかすると賀茂氏の方かもしれません)
そして、初代天皇を導いたヤタガラスに賀茂氏は自らを重ねたのではないでしょうか?
ヤタガラスに助けられた東征において神武は苦難の戦を強いられています。
賀茂氏はそこにも擬えて、奈良時代の苦しい状況下の天智系皇族を助けた…としたかったのではないでしょうか?
桓武の父で、天武系から天皇位を我が物にした光仁天皇の后は元伊勢斎宮の井上内親王です。
それもまた、意味深ですよね。