伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【熊野詣】⑬熊野本宮大社に参拝

熊野参詣道のメインルート紀伊路・中辺路を行くと、

最初にたどり着くのが熊野本宮大社です。

 

明治までは、現在「大斎原」と呼ばれる3つの川の交わる中州に建ちましたが、

現在はその500mほど先の高台に鎮座します。

 

近くには、和歌山県世界遺産センターや観光センター、

茶房やお土産物屋サンの入った建物などの

モダンな建物も並びます。


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古くは「熊野坐(くまのにます)神社」という名で呼ばれ

熊野三山の中心で、新宮・那智とともに全国に3000社以上ある熊野神社総本宮です。

 

家都美御子神・牟須美神・速玉之神の3神を

本宮・新宮・那智熊野三山は共通に祀っていますが、

それぞれの主神は異なっています。

熊野牟須美神那智の主神で、

御子速玉之神速玉の主神

家都美御子神がこの本宮の主神です。

 

熊野権現垂迹縁起」によると、

家都美御子大神(熊野坐大神)唐の天台山から飛来したとされています。

熊野坐大神須佐之男とされるが、その素性は不明と言われ、

太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、

中洲に鎮座していたことから水神とする説

または木の神とする説などがある。

家都美御子大神については他にも五十猛神伊邪那美神とする説があり、

菊理媛神とも関係するとの説もあるが、やはりその素性は不詳とされます。

熊野本宮大社 - Wikipedia

 

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大社の創始については、以下のように伝わっています。


天火明命(あめのほあかりのみこと)は古代、

 熊野の地を治めた熊野国造家の祖神です。

 天火明命の息子である高倉下(たかくらじ)は神武東征に際し、

 熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂(ふつのみたま)」 を献じてお迎えしました。


 時を併せて高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は

 天より八咫烏やたがらすを遣わし、

 神武天皇を大和の橿原まで導かれました。


 第十代崇神天皇の御代、

 旧社地大斎原の櫟いちいの巨木に、三体の月が降臨しました。

 天火明命の孫に当たる熊野連(くまののむらじ)は、これを不思議に思い

 「天高くにあるはずの月が、どうして

  このような低いところに降りてこられたのですか」

  と尋ねました。

 すると真ん中にある月が

 「我は證誠大権現家都美御子大神素戔嗚尊)であり、 

  両側の月は両所権現熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。

  社殿を創って齋き祀れ」とお答えになりました。

 この神勅により、熊野本宮大社の社殿が

 大斎原に創建されたと云われています。

熊野本宮大社について - 熊野本宮大社 | 公式サイト

 

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↑写真の境内の御由緒書きにも、主祭神は「スサノオ命」だと書かれています。

伊勢市内で多く見られるスサノオ信仰はもしかするとこの熊野を起源とするのでは?

と想像してしまいます。

 

スサノオ命が木を植えて木の国(紀の国)を創ったという神話や、

オオクニヌシ命が八十神にいじめられ、スサノオの導きで木の股を越えて逃げた神話などとも重なりますね。

 

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 主祭神・家都美御子大神はまた、 

造船術を伝えられたことから船玉大明神とも称せられ、

古くから船頭・水主たちの篤い崇敬を受けていたともいいます

これは上記の「水の神説」とも繋がりますね。

また、スサノオは「海を治めよ」とイザナギ命じられていますから

その神話とのリンクも感じられます。

 

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さて、境内を歩いて行きましょう!

鳥居を越えると、奉納幡がいくつもはためく階段があります。

本殿へと続く158段の石段です。

 

川がまた氾濫しても、この高さがあれば安心だと思われますね。

(もう大きな氾濫はしてほしくないですけども)

 

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生憎のお天気で、時刻も夕方近かったのですが境内には沢山の参拝客が!

さすがは熊野三山の中でもメインとされる本宮だなぁと感心させられます。

現在は駐車場も広くすぐそばにあるので、観光地としての利便性がいいためもあるでしょう。

 

そして、神門には新宮と同じく太い注連縄がかかります。

また書も掲げられていますが…

「神を父、仏を母」

神仏習合真っ只中の熊野らしい文言ですよね。

 

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神門をくぐると、真一列に桧皮葺の拝殿が並びます。

 

中央の社殿に主神の家津美御子大神。

向かって左に夫須美大神・速玉大神。

右に天照大神

と3つの社殿に祀られています。

 

詳しくは↓のようになっています。

(写真はgoogle mapから拝借しました。

 編集上曲がっていますが、実際は横一列です。)

 

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この第一殿から第四殿までを上四社といいます。

この上四社は明治の遷座の際に大斎宮から移されました。

 

第五殿から第八殿までの中四社、

第九殿から第十二殿までを下四社は

明治の水害で流され、今は社殿はなく、

大斎原に立つ石祠に祀られています。

 

上四社の正式な参拝順は、

第三殿(本宮の主神)→第二殿(新宮の主神)→第一殿(那智の主神)→第四殿

となっており、神門の手前にその旨が書かれた立て札がありました。

これは、院政期の熊野御幸の参拝順にちなんだものとなっているそうです。

熊野本宮大社:熊野の観光名所

 

その立て札のそばには可愛いヤタガラスのポストもあり、

ここから手紙を投函することも出来るそうです。

 

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本宮は明治24年にこの地に遷座したものの、

熊野の信仰の篤さと、現代的な信仰の感覚と

両方を兼ね備えた雰囲気でした。

 

熊野を味わうには、熊野にしっかり1泊はして、

近隣の縁の神社や王子社を巡ったりするべきだと思います。

 

私も次回は古道を歩いてみたり、あちこち寄り道をしながら参拝したいです…雨ではない日に。