伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【伊勢の寺社】 猿田彦神社 (伊勢市宇治浦田)

 

河崎でお店をはじめてちょっと経った頃のこと、

「ねぇ、猿田彦神社って知ってる?」

とややテンション高めのトーンで東京の母から電話があった。

「M1をとった○○さんがね、大会の前にお参りしたってテレビで言ってたわよ!」と。

 

神社好きならば誰もが知ってる「みちびらきの神・サルタヒコさん」。

一般人にはあまり知られていないのだな~と思ったときでした。

 

地元伊勢っ子的には「結婚式」というイメージが強いもよう。

東京で言うならば、明治神宮のような感覚でしょうか。
名古屋なら熱田のような?

 

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みちびらきのサルタヒコさんには、10年以上前に独立を決心した時にお参りに来ました。

河崎に出店を決めたときも、河崎を出るときにも…。

 

猿田彦大神がみちびらきの神とされるのは、

天孫・ニニギ命が降臨する際に天の八衢(アマノヤチマタ。いくつもの道の分岐点)で

高天原から葦原中国までを照らしてお迎えしたという逸話からです。

 

猿田彦神社のHPには

猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり

 万事最も善い方へ“おみちびき”になる大神で、

 古事記日本書紀などにも

 「国初のみぎり天孫をこの国土に

 御啓行(みちひらき)になられた」

 と伝えられています。」

 とあります。

 

創建は詳らかではありませんが、

天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、

 高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、

 天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と御一緒に

 本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、

 この地を始め全国の開拓にあたられました。」

と同HPには記載があり、古くから祀られていたことが伺えます。

 

倭姫命猿田彦大神の裔・大田命がお迎えし、

五十鈴川上の霊地を献じ、鎮祭に尽くされたという逸話から

少なくともその時代(垂神天皇朝)には

神社の礎となるような祭祀はあったのかと推測できます。

 

この大田命は猿田彦大神と共に祀られています。

 

大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、

神宮に玉串大内人として代々奉職するようになります。

宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っており、

明治時代に神官の世襲が廃止されるに際して

屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社であるとされています。

猿田彦神社 - Wikipedia

 

また、ほぼ同様ですが

「 往古来宇治土公家は祖神まつりを行い、

 建久年間(1190~1199)までは

 現在地に近い中村町興玉の森で祭られたと伝えられる。  

 その後も神宮の大内人を勤めつつ、邸内の祭祀を続け、

 時代と共に一層増加する参詣衆のため、

 宇治土公定彦神主の代の延宝5年(1677)12月、現在地に祀られた」

三重県神社庁教化委員会 » 猿田彦神社

という話もあります。

 

興玉…といえば、

内宮の正宮内に鎮座する興玉神

猿田彦大神であるという説もあります。

【125社めぐり】 内宮 所管社 興玉神 ・ 宮比神 ・ 屋乃波比伎神 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

また、二見興玉神の由緒書によれば

境内の海中に位置する興玉神

天孫降臨の際に猿田彦が降り立たれた神跡であるとも

猿田彦大神の化身であるとも伝えられています。

サルタヒコ - Wikipedia

興玉神石 - Wikipedia

 

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さて、サルタヒコさんの本殿に目を向けてみましょう。

内宮の御膝元にも関わらず、神明造とは違った造りが目をひきます。

これは、「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造で、

欄干や鳥居には八角形の柱が使用されているのが特徴です。

 

また、拝殿正面に昔の神殿跡を印した「方位石」という八角の石柱があります。
 この石は「大神の「みちひらき」の御神徳を表す八角形の石」と

猿田彦神社HPにありますので

八角天の八衢に因んだものでしょう。

 

八角形は方位除けを表しますので、

こういったことからサルタヒコさんの御利益のひとつが

「方位除け」なのかと思います。

(若干ニワトリタマゴではありますが)

 

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境内には他にも「子宝池」(写真↑)や

「たから石」(写真↓)、

隣接した御神田などの見所が多いのですが、

やはり特筆すべきは佐瑠女神社でしょう。

 

佐瑠女神社アマノウズメを祀っています。

アマノウズメといえば、アマテラス大神が岩戸に篭られた時に

舞を舞った説話があまりにも有名ですが、

ですが、天孫降臨にも登場しています。

前述したサルタヒコがニニギ命をお迎えしようとした際に、

その容貌があまりにも奇異であったため、

アマテラス大神がアマノウズメにその正体を確かめに行かせるのです。

 

そのご縁があって、後々アマノウズメはサルタヒコの妻となり

猿女君と呼ばれるようになります。

 

舞の上手のアマノウズメにあやかって、

諸芸上達の御利益で有名です。

 

こうして夫婦神が祀られているので

結婚式を挙げるのには縁起が良さそうですよね。

 

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猿田彦神社の特徴的な祭礼としては、

5月5日に行われる「御田祭」があります。

 

「御田祭は、御祭神が産業をみちひらき給う事と、

 神宮創建にあたり御刀代田を献られた事に由来するという。

 本殿祭に引き続き、神田で御田植行事が行われるが、

 桃山時代の風俗による植方、楽師の他、

 八乙女という八人の童女奉仕により斎行される。

 また団扇相撲、豊年踊りが行われ、

 県無形文化財に指定されている。」

三重県神社庁教化委員会 » 猿田彦神社

 

また、佐留女神社でも8月に例祭が行われ、

提灯に彩られ華やかな雰囲気に包まれます。

 

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いつも観光客や地元の参拝客で賑わうサルタヒコさん。

実は裏口(?)は静かです(写真↑)。

こちらには車の御祓所や本居宣長の碑や休憩所があります。

 

また、関連施設としては伊藤小坡美術館も(少し離れたところに)あり、

美しい日本画の世界に身をひたすことも出来ます。

 

本殿を参拝後、こちらから出て

道沿いに坂を上ると、月読宮へと辿りつけますので

たくさん歩きたい方は、こちら↓のコースに組み込んでみてはいかがでしょうか?

【伊勢神宮の歩き方】 内宮周辺から宇治山田方面へ 【125社めぐり】 - 伊勢河崎ときどき古民家

 

 

 

みちひらきの大神 猿田彦神社 HP

 


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