倭姫考察⑧巡幸地と川の関係
倭姫の足跡とその伝承地のいくつかを見て来ました。
そこで、ちょっと気付いたことがあります。
倭姫&アマテラス大神の巡幸地や伝承地には、川が必ず近くにあるのです。
今日はその視点で倭姫の足跡を見つめ直してみようか思います。
久具都姫神社のお話をした際に、御祭神である大水上神御子と、大水神社のお話をしました。
(倭姫考察⑤倭姫伝説の地へ行ってみた~久具都姫神社編 - 伊勢河崎ときどき古民家)
そして、大水という名のつく神宮関連の神社に「田上大水神社」があります。
こちらは神宮神官家の祖先と言われていますが、元は水の神であったとも言われています。
水と田の関係は、稲作を思い浮かべると容易かと思います。
田んぼに水を引くことは稲作の要ですよね。
「水分(みまくり)」という名のつく神社が全国にあるのもそれ故だと思います。
そしてその水を分ける=水脈を握るのは、その地の権力者です。
大水神社の祭神が山の神であるのは、水の上流にある山を祀るだけではなく、
その権力を握っていたのが山を治める人でもあったからかもしれません。
この観点から、自身で巡幸地の比推地をMAPにしてみました↓。
1.大神神社
3.御杖神社 ←名張川沿い
4.猪田神社 ←矢田川左岸
5.都美恵神社←倉部川支流域
8.野志里神社←長良川支流肱江川流域(長良川と木曽川の交わるあたり)
9.忍山神社←鈴鹿川沿い
10.加良比乃神社←相川流域
11.滝野神社(水屋神社)←櫛田川
12.竹佐々夫江神社←笹笛川
13.磯神社(相可上神社)←宮川と外城田川の間
14.田上大水神社←朝川
と、見事なまでに川のすぐ近くなのです。
最終的な鎮座地も「五十鈴川のほとり」ですからね。
アマテラス大神の川への執着がかなり感じられます。
そして、伊賀、亀山、津など現在も大きな街と近い所も多いのです。
これはそこに有力氏族がいて当時から大きな集落があったからではないでしょうか。
そして「皇大神宮儀式帳」によると、
アマテラス大神は巡幸の地でその地を統べる氏族から田を奉納されています。
そう、「水―田」の関係がここにもあるのです。
つまりは水脈の安寧と神宮領の田を制定しているのではないでしょうか。
宮川や櫛田川沿いや、川が二股になっていたり川と川の間の地などが多いのは、
河川が氾濫しやすい土地の神を鎮めるためでもあったと推察します。
また、川は境界でもありました。
今でも川を堺に市区町村や都道府県が分かれている場所は多いですよね。
そう考えて↑の地図を見ていただくと、
当時の国の境界をなぞっているかのようなラインに見えませんか?
今の県境に近い場所もありますよね。
つまりは、国の境界を決める旅でもあったと考えることも出来ます。
そう、水屋神社さんにもあった「国分け」です。
この度は水を分け、国を分ける旅だったのではないでしょうか?
倭姫 「ここはどうでしょう?」
アマテラス大神 「ちょっと違うわぁ~。北に行こうよ!」
倭姫 「では、ここなら?」
アマテラス大神 「もっと海が良くない~?」
倭姫 (いい加減に妥協してくれないかなぁ(泣))
とアマテラス大神の自由気ままに思える旅には、
やはり壮大な意図が隠されていたのだと私は考えます。
では、この意図に沿って旅をした倭姫とは?
そして誰の意図だったのか?
謎の堂々巡りっぷりがまさしく巡幸の旅のようになってきましたが、
もう少々、倭姫編にお付き合いいただけたら嬉しいです。