伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

HOW TO GO伊勢~昔のお伊勢参り~①伊勢講編

昨日までは、御師のシステムについて考察してきましたが、

今度は檀那側から見たお伊勢参りについて考えて行きましょう。

 

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御師や、伊勢に参った檀那衆から話を聞いたりして

「一度は行きたいお伊勢さん♪」となった人々。

御師の檀那の中には、以前お話しました、江戸深川の大店の御隠居のような大商人や

幕府の大名など、名立たる大金持ちが沢山おりました。

そもそも御師は神宮経営のために初穂料を納めてもらいたいのですから、大物に営業をかけるのは当然ですよね。
そういった方々は「そうだ、京都行こう」程気楽ではないものの、伊勢に行くのは容易だったと思います。

路銭はたっぷりありますからね。

(深川の御隠居ご一行17名様が御師へ支払ったのが600万円でしたね。神宮の御神徳を得るためもあるとはいえ太っ腹です!)

 

では、庶民はどうしたでしょう?

一人でそんな大金はなかなか工面出来ません。

そこで村落ごとに「講」を組んだのです。

 

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「伊勢講」という言葉を耳にしたことのある方も多いと思います。

伊勢に魅せられて信仰を持った人々の集団、というようなことが書かれている辞書もあります。

この「講」のメンバーで会合を開き、全員で「お伊勢参り積立貯金」をするのです。

そしてそのお金が貯まると、くじや順番で決められた人が皆の代表としてお伊勢参りに向かいます。

 

「あれ?自分の知ってる伊勢講とは違う?」

と思われた方もいらっしゃるかと思います。

この「伊勢講」は今はお祭として残っている地方もあるのです。

 

例えば鹿児島県では…

 

戸時代、全国的に伊勢神宮への参詣が流行しました。今でも笠沙から伊勢神宮までに行くには、相当なお金がかかります。そこで、参詣のための積み立てと、伊勢神社の勧請のために講(集まり)を開くようになりました。これがお伊勢講の始まりです。現在は、片浦集落などで毎年2月11日に神幸行列をおこなう形で行事が残っています。
また、「二才入り(にせいり)」と呼ばれる、大人の仲間入りを果たす儀式もかねて、青年たちが神事の後に仮面や着物で仮装して行列をつくります。「オイヤナ」のかけ声とともに集落を練り歩く派手な行列は、冬空の下の笠沙を沸き立たせます。

鹿児島県/お伊勢講

 

伊勢路に旅立つ人を見送った時のお祭りや、

伊勢へ行く列を見立てたものが残っているのかな?と思われますね。

家々を巡って「これから行ってくるよ」と声を掛けてから出かけたのかもしれません。

そんな想像をしてみるのもロマン溢れて楽しいです。

 

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こうして伊勢へと向かうのですが、

九州や東北など、特に遠方からの道中はどんな様子だったのでしょうか?

 

次回は伊勢までの道中について見て行きたいと思います。