伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

御師のお話⑥暮らし編~丸岡宗大夫に見る御師のお仕事ルーティーン

前回まで、御師の歴史に総体的に迫ってみました。

明治4年に御師制度は廃止され、現在は御師の名残はなくなりつつあります。

 

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伊勢に唯一現存する御師邸、丸岡宗大夫邸。
住宅街の中にその貴重な佇まいを見せてくれています。

 

普段は未公開の丸岡邸ですが、幸運なことにお邪魔させていただける機会を頂戴した際に、
丸岡家後当主から御師丸岡宗大夫について解説していただいきました。

今日はそのお話から一御師の暮らしや日々の仕事に迫ってみたいと思います。

 

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 御師丸岡宗太夫

この名は世襲です。

 

↑の文言から丸岡宗大夫が前回お話しました、ランクでいう4番「町年寄を兼ねた御師」だったとわかります。

当代丸岡さんのお話では、丸岡家は外宮の物忌みもしていたそうなので、

他のランク4の御師以上に神宮との繋がりも濃かったお家柄だと推察いたします。

 

丸岡宗大夫の檀家は8000人ほどで、中程度の御師だったそうです。

8000人ってすごい檀那数だと思うのですが、大きな御師はなんと35000人もの檀那を持っていたとか。

 

御師は担当地域が決まっているお話も前回までにいたしましたが、

丸岡宗大夫の場合は
大阪の梅田、堂島、福島辺り、

長野の松本、飯田、伊那辺り、

神奈川の三崎辺り、
東京の深川辺りに檀那を持っていたそうです。

今の感覚では、良いエリアばっかり!
さてはなかなかのやり手御師だったのでは?と思ってしまいます。

 

現在では365日ALL OKのお伊勢参りですが、御師華やかかりし頃は

「雪解けから田植えまで」と参宮の季節が決められていたそうです。

「お伊勢参り」は春の季語だって御存知でしたか?(私は知りませんでした)

 

ですので、丸岡宗太夫の手代たちはその季節以外に地方行脚をしていたのですね。

そして参宮のシーズンは勿論全員が邸に詰めて大忙しで、

高向の農家のおかみさんなどにパートに来てもらったりもしていたそうです。

 

この季節限定システムは上手く出来ているなぁと思ってしまいます。

農家はヒマな季節ですので、参宮する農家さんたちは勿論、

パートに来るおかみさんたちにも働き口があって助かりますよね。

やはり御師は地元になくてはならないカンパニーでもあったわけです。

 

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さて。

一生に一度は行きたやお伊勢さん♪

と伊勢に来る檀那さんたちを歓待するお仕事の季節がやってきます。

伊勢に向かう最終宿泊宿を出ますと、「○○さんもうすぐ着きますよ」とお知らせが来て

お迎えに上がるところからがスタートです。

出迎え先は神宮の西を流れる「宮川の渡し」です。

 

今でも名前が残っていますが、宮川には「柳の渡し」と「桜の渡し」がありました。

関西からのお客様は柳の渡し、関東からのお客様は桜の渡しと決まっていました。

が、

参宮のお客様はものすごい人です。

渡しでは、800の御師が茶屋(それぞれ専属契約住み)でお客を待ったと言われています。

 

そこで、大きな杉木の看板を立てて、目印にしていました。

 

イメージとしては、

空港到着出口で旅行会社さんがプレートを掲げて待っててくれる…あれですね。

 

 

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こちらが、今もきちんと残されているその看板です。

かなりの大きさ!
これを持ってお迎えに上がるのですから、軽い杉が使われてるのですね。

 

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こうして、無事に丸岡邸に着いた檀那御一行様。
門をくぐり、最初に目にするのがこちら↑です。

自分の御師の立派な邸に、きっと更に心が高まったことと思われます。

 

檀那さんのご一行様も大人数から小人数まであったそうです。

丸岡宗大夫の豪華な檀那さんとしては、

 

江戸・深川の大店御隠居さんと奥様ご一行様

17人 5泊6日 で 60両(約600万円)

 

という記録が残っているそうです。

 

お一人様35万円!1日6万円くらい。

これは、6日間の飲食は勿論、
茶屋や二見詣での旅館代、古市での歓楽、伊雑宮詣での代金などなどが
全てセットになったコミコミプラン代金となっているそうです。

 

そう考えると、そんなに超高額でもないような?
大人数様なので団体割引もあったのかな?なんて思ってしまいます(笑)。

 

ちなみに、当時の古市は遊郭だけではなく、
歌舞伎や伊勢音頭など女性の楽しめるショーもあった謂わばラスベガスのような場所だったそうです。

夜になりますと女性陣は帰らせて、男性陣だけでのお楽しみも勿論あったそうですけどね…♪

その全ての手はずを整えるのも御師のお仕事でした。

これは、ラスベガスでショーチケットの手配もしたりするツアコンのようでもありますが、
もっと深くウィンウィンな関係が成り立っていたのでは?と思われます。

(そういえば、新宿の歌舞伎町も今は夜の町ですが、昔はその名の通りで、古市のようだったのでしょうね。
 コマ劇場や映画館はその名残だったのかもしれません。)

 

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さて、今も昔も楽しみなのは、旅先のご飯ですよね。
この深川の御隠居様ご一行のような豪華な檀那様たちは

御師邸でも朱塗りのお膳で豪華なお食事をされたそうです↑

 

このお膳と器は、どれも江戸時代の実際に使われていたものだそう!
なんてモダンで美しい。
これは嬉しなりますね!

丸岡さんが仰ったことがとても印象的でした。

「だってうち、明治以降皿買い足したことないから」。

このお言葉からも、どれだけの人数に対応出来る食器がったのだろうと、唸ってしまいました。


調理場では4辺から使える大きなまな板も出てきたとか!
(↑の写真のお膳の手前の板です。単独の写真がなかったです。失念)
板前さんも4人以上いたってことですから、ひたすらすごいです。

 

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そして、御師の最大のお仕事は神楽を上げること。
以前にも載せましたので、省かせていただきますが↑の写真は丸岡邸に現存するものです。

 

さて。
このように御師に歓待されて、神楽も上げ、身も心も満たされた檀那ご一行様は家路に…。

伊勢への旅は、
現在のラスベガスツアーやエイジプトツアー以上のエキサイティングな一大イベントだったのです。

中には、140日行程で

西国33ヶ所詣で

宮島詣で

善光寺詣で

などもセットにして一大生国旅行とした檀那衆もいたとか!
これは世界一周クルーズツアーくらいの豪華さです!!

ともあれ、御師の最後のお仕事はまた渡しまでお見送りすることだそうです。

やれやれ、これで一仕事終えた。

皆様、帰路(もしくは次の旅路?)も御無事で…

と思ったのに!
なんと帰って来てしまう檀那がたまにいたとか。。。

そこまで伊勢を気に入ってくれたのね、と思いきや、

古市でアツイ夜を過ごした後に御師経由で届けられる遊女からのラブレター。

「楽しかったわ。また伊勢にお越しになったらいらしてね」とか

「もう会えないなんて寂しいわ」とか

そういった今で言うキャバ嬢さんからの営業メールです。
でも、それを本気にしちゃう男性は今も昔も変わりなく…

時々こっそり渡しから引き返しちゃう御仁があったとか!

御師もびっくりだったでしょうね。
それとも「またか~」だったのかも?

 

とにもかくにも御師のお仕事はこのように流れていたようです。

 

貴重な丸岡邸の古民家としてのお話もまた後日したいと思います。

*丸岡さんに心からの感謝を…。
 そして丸岡邸の末永い保存を祈ります。