御師のお話⑤お金編~銀行マンとしての御師の顔
今日は再び「御師はツアコンではない」という話になります。
御師は神官であり、神宮の営業マンであり、大会社の社長であったという話をして来ましたが、
ただの社長ではありません。銀行マンであり証券マンでもあったのです。
前回、御師の格付け表を上げましたが、もう一度それを見て行きましょう。
2.神宮家(荒木田・度会の正禰宜《神宮の神官のトップ》)
3.会合年寄家(宇治) 三方年寄家(山田)
4.町年寄家(山田)・宮司役人・羽書役人(山田)
5.平師職(2・3の家来格←商いをする人もいた)
6.殿原(御師手代←職人・商人の苗字のある人)
7.仲間(職人・商人・農夫の苗字のないもの)
6と7は前回御説明しました。
1はそのままですね。世襲の御師ファミリー。ゴッドファザーの一家です。
2は神宮の神官のトップです。
3と4の年寄り家は宇治(内宮門前町)山田(外宮門前町)のそれぞれの町の元締めです。
5は、2・3の家来格、2・3という御師会社の社員です。
では、4に出てくる「羽書役人」とは何でしょう?
羽書とは、紙幣の一種です。
「山田羽書」とも呼ばれるこの伊勢の紙幣制度は古く、中世頃からあります。
(こちらについてはまた後日詳しく…)
その紙幣を統括していたのが「葉書役人」です。
逆に、この葉書は御師や手代が発行していたものなのです。
地方銀行頭取のようなものに匹敵しますよね。
葉書は元来、山田に米等を納め、それを銭ではなく葉書で払ってもらっていたものです。
これは約束手形のようなものですね。
ちゃんと為替のように、米何匁でいくら、という相場もありました。
つまり、恩師が為替の動きを監督していたのです。
これはもうミニ東証です。プチ・ダウです。
また、不動産を担保に、この葉書(紙幣・お金)を借り入れる人もいました。
それほどにこの山田の羽書に信用性があり、流通していたということですね。
前回お話しましたが、御師には質屋を営む者がいたのも
こういった流れを組んだものだと推察されます。
御師は葉書の他にも為替手形のようなものを発行していました。
それは、檀那から伊勢到着後に必要な旅費を予め預かっていたものです。
伊勢までの旅費はあまりかからないという話は有名ですよね。
ですが、大金持ちの檀那衆は伊勢到着後に大神楽の初穂料はもちろん、
宿泊費、遊戯代等等沢山のお金を使います。
それを持ち歩くのはあまりにも危険ですし、何より重い!(当時は銭と小判ですから)
そこで、御師は初穂料と共にお預かりして、その証文を渡していたようです。
トラベラーズチェック(懐かしい!)のようなものだと考えても良いかと思います。
御師は元々初穂料の徴収係りでもありましたし、村落専属の信用もありましたから
こういったことが出来たのだと思います。
また逆に、御師の中には
「質物に上総之御道者市原之部七ケ村御入れ」
と、自分の持つ檀那の権利を羽書役人に質入れする者もいました。
檀那が不動産と同じくらいの財産的価値があったことが伺えますし、
羽書がそれだけ浸透していた証でもあります。
そして、その羽書相場を担っていたのですから、
御師の山田や宇治での権限たるや…言うに及ばず、ですよね。
御師たちはこうして、神宮という信仰面だけではなく
参拝客の懐も、門前町の利権も、そして商工人の掌握もし、
一大権力を手中に収めていたのです。
ただ、御師はきちんと町の発展にも治安にも一役も二役も買っていたからこそ
町人もこの御師システムに順応し協力していたのだと思います。
やはり「三方よし」でないと商売は成り立ちませんから…。
今の利権だけ私欲だけで動く企業人や政治化に見習って欲しい!
さて、そんなウハウハの恩師たちにも時代の波がやってきます。
明治4年に御師の制度が廃止されるのです。
次回は、個人としての御師にスポットを当てていきたいと思います。
*歴史的な考証としては嶋田兼次著『伊勢商人』を参考にさせていただきましたが
私独自の考察も多々含まれますことを御了承くださいませ。