伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【禁殺生石の謎】 和歌山城下の巨大禁殺生石!

 

紀州藩目線で禁殺生石について何かないものか…

(このご時世ですので)ひたすらネットで調べ物をしていましたら…

こんなの見つけちゃいました!!!

 

巨大禁殺生石

 

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和歌山城の近く、

無量光寺という、首だけの大仏さんで有名なお寺にありました。

左右に同じ形の石碑があり、もう片方には

「禁葷酒肉」の文字があります。

「葷」とは、ネギ、ラッキョウ、ニンニク、タマネギ、ニラなど

臭いの強い野菜類をいいます。

 

どちらも仏教の教えで、寺院内で守るべきこと、

僧が守るべきことのひとつですね。

 

そうなんです。
寺院由来の言葉のイメージなんですよね、「禁殺生」、。

道教でも守るべきとされていたりしますし、

明治までは日本では寺社が習合していたので

その流れかな?とは想像しているのですが…。

 

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それにしても大きい!

度迫力です!

 

無量光寺は、文政12年(1829年)、

紀州藩10代藩主徳川治宝の命により、

和歌山県日高郡出身の大行者徳本を開山、

本辨を開基として京都の法然院を模して創建されたそうで、

治宝は当寺を念仏道場として定め、堂塔を建立するなどして庇護したといいます。

無量光寺 (和歌山市) - Wikipedia

 

建立が享保より後の時代なんですね。

 

ただ、こちらの大仏様は二代目だそうで、

初代の大仏(座像、高さ約5m)は大福寺に江戸時代享保年間に建立されたといいます。

初代大仏火災焼失後直に初代像の銅を使用して制作されたものの、

費用面から首から上しかつくることが出来なかったとか…。

 

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お話を戻しますが、この禁殺生石

右面に寺名が入っていて、享保の禁殺生石と同じスタイルですね。

この石碑は古くても文政12年に作られたはずですので

これは、紀州藩の伝統スタイルなのか…?

字体はかなり違っていますが。

 

ネットで調べるのは限界で、

この禁殺生石碑については、これ以上の情報は見つけられませんでした。

現地に行くしか…!?

もう、どこに向かって調べてるのか、まさに暗中模索モード突入ですが

コロナ禍が去ったら、和歌山城下にも行かねばという流れですね。

 


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