河崎と向河崎
前々回「河崎には2つある」というお話をしましたが、
(参考;河崎には2つあり、はたまた8つある~向河崎と字のお話~ - 伊勢河崎ときどき古民家)
今日はその続きのお話をしたいと思います。
旧いと志や(N邸)1階からの眺めです。
勢田川の向こうに見えますのが「向河崎(むこうかわさき)」と呼ばれる地域です。
「川向こう」なんて呼び方をしたりもします。
元々、勢田川の水流を運河として栄えたこの河崎の町ですが、
その運送先は主に「山田」と呼ばれる神宮外宮の鳥居前町でした。
↓地図をご覧いただけるとおわかりになりやすいかと思いますが
山田へ荷貨を運ぶとなると、断然左岸(西側)が優位になります。
以前、(河崎橋物語 - 伊勢河崎ときどき古民家にて)
河崎に架かる橋についてお話しましたが、
河崎に江戸期には大きな橋は中橋しかなかったと推察されます。
ですので、左岸の問屋ほど優位だったのは言うまでもなく、
まず河崎は左岸から栄えていったと考察出来るのです。
ですが現在は右岸・向河崎にこそ立派な造りのお宅が現存しています。
こちらは、お店に遊びに来てくださったご縁で仲良くなった向河崎のお宅です。
お醤油などの蔵元をされていたそうで、広い邸内には
男衆さんと女衆さんの住み込み用の建物(今で言う寮ですね)も別々に建っていたそうです。
現在はリフォームしてお住まいになっていますが、玄関からお邪魔しますと
往時をしのぶ広いたたき(土間)が広がっていて
そこから一段上がると住まいのお部屋(和室)となる造りになっています。
このようにとても立派な広いお宅を何軒も向河崎を散策していると目にします。
向河崎もまた、かなり繁栄していたことがわかりますよね。
↑こちらは北新橋を左岸から右岸に見た姿です。
蔵の佇まいがとても美しいですよね。
今でこそ、このように橋で簡単に往来出来ますが、前述しました通り
昔は橋も少なく隔たっていた河崎と向河崎。
今も端々にその隔たりを感じることがあり、
同じ河崎なのに他の町のように感じることもあります。
例えば、町や人の情報だったりするソフト面もですし、
川を越えるとまだ下水が整備されてなかったりですとか、
古民家移住のお世話をして下さる窓口となっている町づくり衆さんも
向河崎の物件には手が及んでいなかったり…。
私もなるべく向河崎のことも知りたいと思い、
アンテナを張っているつもりでしたが、まだまだまだまだ未知です。
そして、この魅力的な向河崎の古民家が今、着々と姿を消しつつあります。
これが、本当に悲しくて…。
前にもお話いましたが、古民家をただ残すというのはとても大変なことで
それを持ち主さんに強いるのは、古民家好きのただのエゴだと思っています。
ですがもし、家主さんにも残したいお気持ちがあるのであれば、
何とかして残していける方法を模索し、諦めないで済むようにしていきたいと思うのです。
この美しい瓦屋根の光景を後世に1軒でも多く残して伝えて行きたいですよね。
古民家移住についてもし御興味がおありでしたら、窓口お繋ぎしますので
御一報いただければな…と思います。