河崎には2つあり、はたまた8つある~向河崎と字のお話~
「河崎には大きく分けて2つあります。」
と言いますと何のことやら?と思われますよね。
しかも「正確には8つあるのです」と言うと混乱されるかと思います。
ですが「河崎は8つあるのです」というお話を今日はしていきます。
そもそも河崎ってどこからどこまでなの?
という疑問もお持ちかと思います。
この疑問にはGOOGLE先生に答えてもらいましょう。
MAPで「伊勢市河崎」と検索しますと、
現在の河崎がどこからどこまでかが一目瞭然です。
この地図上で勢田川とほぼ平行に走るのが八間道路でして、
観光感覚での河崎は、この八間道路から東側の領域といった感じになっています。
まず「2つの河崎」と言いますのは、勢田川を境に東と西です。
西側(左岸)が勢田川の水流を利用して栄えた元々の商家が多く、
「河崎」と言いますと、この左岸地域を指すことが多いです。
対して右岸は「向河崎(むこうかわさき)」と呼ばれています。
今でも河崎と向河崎には隔たりを感じることもあります。
橋が少なかった昔は、もっとそうだったことでしょう。
では、更に8つとは、何でしょう?
それは、「字」です。
(地図出典;「河崎―歴史と文化」)
河崎には8つの字があり(昔は9つだったそうです)、
神宮祭祀の「お木曳き」の際には各字から山車を出したそうです。
今でもこの字は残り、町内会もこの字に沿っています。
このエリアで8つも町内会があることに、まず驚いたのですが、
それだけ河崎が栄えていた証でもあると思います。
(細かく仕切らないと管理出来なかったのでしょう)
お木曳きの山車は今は一つになっていまして、そろそろその練習も始まりつつあるのですが、
この字の意識は今もかなり強いなぁ、と感じています。
私は町の友人との間で「結界」と呼んで、ちょっと面白がったりもしているのですが、
この字を境界に情報が入って来なかったりするのですよ。
例えば、私もお世話になったお向かいの御主人が他界された時のこと。
旧いと志やは「里中」になるのですが、ほんの数件先の南町の友人は数ヶ月知らなかったそうで…。
また、お店をしていても「私も河崎だけど知らなかったわ」って仰る方は
大概北里中以北の方だったりするのでやはり情報が行き交わない「結界」を感じるのです。
自分自身も違う字の皆様のことをなかなか知る機会がなく、
それもやはり「結界」のなせる技のような気がしています。
この「字」の感覚、歴史の浅い東京人としては歴史を感じさせてくれて大変興味深いです。
ただ、この「結界」は河崎が商店街ではなく問屋街であることにも関係していると思われますが…。
長くなりましたので、このお話はまた後日。
向河崎のお話もまた後日じっくりと…と思います。
今日はざっくりと、河崎の町の字の御紹介でした。