「古襖の下から古文書」実体験談
「ぅっわーーー!??」
真夏の夜半過ぎに古民家の二階から突如の悲鳴。
「何だこれ!?ベローんって、べろーんって、、、!」
配偶者の慌てる声に、妖怪でも出たのかと急ぎ参じると、、、
「襖紙が剥がれた」
何だ、そんなことか!っと内心溜息をつきつつ確認すると
「なんだこりゃ!??」
私も思わず叫んだのでした。
これ、剥がれて来た襖紙を剥がしたところです。
古い襖が熱波と湿度で剥がれて下から下貼りの雑紙が出てきたのです。
一応国文学科卒なので、知識として「古襖の下から古文書」というのは耳にしたことはあったのですが
実際に目にすると、けっこう圧巻です。
私の学生時代の専攻は上代文学(主に古事記と万葉集)でしたが、
副専攻が近世文学(江戸時代)でしたので、一応変体仮名は読めたのです、が、
そうそれはもう過去の遺産…。今となってはほぼ読めません。
知人の伝手で、河崎に精通しているC氏M氏二人の巨匠にお出でいただきました。
襖を覗き込む両巨匠。
すらすらと読み解くC氏。
そしてさらっとおっしゃるには、
「これ、江戸時代ですよ」と。
江戸!?
あれ?ここN邸は明治35年生まれでは?と聞くと
江戸末から明治末なんてほんの40年足らず。
当時貴重だった紙は捨てられずに残っていることは普通に有り得ると。
そういえばうちの父(1945年生まれ。東京生まれ東京育ち)も
「子供の頃、近所のおばあちゃんたちが上野の鉄砲隊の話をしてたから、江戸なんて最近だ」
とよく言っていました。(注;まだ存命)
本当に江戸は案外身近です。(実感)
この下紙にされていたのは、いわば納品書や領収書のような問屋の記録でした。
そこに、M氏が見つけた名前が「九田右伸」さん。
M氏とC氏の脳内データベースに刻み込まれていたこのお名前は、
河崎の古地図に載っているものだったのです!
すごい!どんどん裏付けられていく展開は、生ドキュメンタリー番組のよう!
ドキドキします!!
久田さんは江戸末頃に、現在の蔵珈琲さん(N邸の3軒ほど先)に住んでいたお医者さんだそうです。
そのお医者さんがどんな注文をしたのかが150年以上の時を経て明るみに出てしまうとは、
襖の下紙、恐ろしいコ!(月影先生)
そもそも、久田さんがお医者さんだとわかっていることもすごいですよね。
河崎では、七種神社さんで開催の古文書の会がありまして、C氏Y氏両巨匠も勿論メンバー。
この古地図も七種神社さんから出てきたそうなんです。
河崎は伊勢でも稀な、戦争での火災や爆撃を逃れた町なのでこのような歴史が残っているのですね。
河崎では古襖の保存を目的に襖の解体ショーを有志で行っています。
名付けて「河崎襖解体団」。
関東や関西その他の地域にお住まいの方も、古襖を捨ててしまう前に「ちょっと待った!」です。
そこには、今となっては貴重な史料が眠っているかもしれませんよ。
*襖の解体の仕方についてなどは、また後ほど。。。