【熊野詣】⑨花の窟神社を参拝して…
昨日までの記事では、
熊野詣について文献等のデータベースから学んでご紹介してきましたが、
本日からはいよいよ「実際に行ってみた編」です!
私が熊野を訪れたのは昨年の8月23日。
(まだ伊勢河崎でお店をしていた頃です)
当時の私の煮詰まった気持ちを表すかのような超曇天・時々雨降りでした(笑)
熊野古道(伊勢路)も少し歩きたかったのですが天候不良で断念し、
車で巡る旅となりました。
最初に訪れたのは、花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)です。
イザナミは火の神であるカグツチを産んだ際に陰部(というか産道全てですよね)をその火で焼かれ絶命してしまいます。
(この下り、女性としては猛烈に痛みを伴う生々しさを感じさせられますよね。涙)
その時に葬られたのがこの花の窟であるといわれています。
またカグツチも、イザナミを失い悲しみ怒ったイザナギに斬り殺されてしまいます。
(日本初の実子殺害事件です。(蛭子神を流したのを度返しすれば))
それ故に、カグツチもこの花の窟神社に祀られ(葬られ)ています。
「花の窟神社は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており…」
と公式HPに記されていますが、
どうやら神社として祀られたのは明治以降で
それまでは御祭神の墓所のような存在だったようです。
『日本書記』には
「 一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり) ましぬ
故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる
土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る
又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」
とあります。
この雰囲気、平安時代以降によく見られる
「祟り神を封じるために崇め奉る祭り」と雰囲気が似て感じます。
美しい花で飾り、歌舞で慰め、その御魂を慰めたのだと思います。
さて、境内に目を移してみましょう。
立派な鳥居と石柱の立つ入口を抜けると、参道があります。
社殿のような建物が見えて来ますが、こちらは社殿ではありません。
門邸のような造りで、この建物を突っ切ります。
中は、お守りやお札の授与所になってます。
、そして入口の鳥居から見て真っ直ぐ全てを抜けた先にあるのは…
どーん!!!!!!!
と、超巨大な磐座です。
さすがは「日本最古の神社」と豪語なさるだけのことはあって
原始自然崇拝色に満ちた空間がそこにはありました。
言葉を尽くしても足りず、お届け不可能であろう度迫力です。
そして、神社側(とあえて言いましょう)から異空間に投げ出されたかのような、
自分が突然ちっぽけになってしまったような感覚に陥ります。
私たちがこの場に立ったときには
他に参拝の方がいらっしゃらなかったので、
余計にこの「突然異空間に投げ出された迷子感」がすごかったのだと思います。
それほどにこの磐がもう、巨大。
岩山ですね、これは。
写真に納まりませんが、↓人物(174cm)との比較をどうぞ。
先ほど「自然崇拝」といいましたが、
この磐座を神として元々は祀っていたのだとは思うのですが、
そこにイザナミを葬り、墓とした…というイメージです。
こちらはカグツチのお墓。
この雰囲気はもう、どちらかというと仏教的要素が強いようにも感じられますよね。
神道と仏教がほどよく融合していたという、その時代の名残なのかもしれません。
神社名の「花の」の由来は、
「増基さんという法師が花を飾り祭ったことから」
と公式HPに記述がありましたので、その流れかもしれません。
この増基法師は平安時代中頃の人で、中古三十六歌仙のひとりです。
紀行文『いぬほし(増基法師家集)』で
京都から中辺路を経て本宮に参詣し、本宮から新宮を経て
伊勢路を歩き、花の窟を経て京都に帰る熊野詣の道程が書かれています。
どうやら「花の窟」の初見はこの紀行文のようで、
そういった意味でも花の窟に縁の深い方だったといえますね。
頭上を見上げると…圧巻の光景!
(恐ろしく曇天ですが)
この高く高くに張られた縄から下がるのが、上述のお祭りの「幡」です。
『日本書紀』にあるように花を飾って舞を捧げるお祭り
「お綱掛け神事」が毎年2月2日と10月2日に行われています。
「御縄掛け神事は、有馬の氏子が中心となり、
およそ10メ-トルの三旒の幡形、
下部に種々の季節の花々や扇子等を結びつけたものを、
日本一長いともいわれる約170メートルの大綱に吊し、
大綱の一端を岩窟上45メートル程の高さの御神体に、
もう一端を境内南隅の松の御神木にわたす神事でございます。」
海辺で縄で二つの磐に渡す…といえば二見の夫婦磐もそうですよね。
二見の夫婦磐の縄掛け神事は見たことがありますが、
こちらはまた違った大迫力のことでしょう!
この似た要素をもつこの二社の神事…どこかに繋がりがあるのかも???
さて、この花の窟神社ですが、
もうひとつ見所があります。
それが写真↑の道標です。
伊勢路を行く人々への道案内となる道標で、
伊勢市内でも時々みかけるのですが
(神宮への道標含めて)
これは他とはちょっと違って
すごいなぁ、とじぃんとしていまいました。
↑の説明文を読んでいただければわかるのですが、
この先、風光明媚で平坦で楽そうだからと、海辺の道を行くと高波が危険ですよと
熊野への参拝者を慮って立てられているのです。
実際この先の道を車で通ってみると「なるほどね」という感じでした。
熊野への道は神仏だけでなく、地元の人情にも支えられていたという
日本人の誇る日本らしさを感じさせてくれますね。