【伊勢の寺社】 須原大社 (伊勢市一之木)
外宮の北、
神路通りを抜け、
月夜見さんへ…
その境内の西向かいに建つ神社です。
正面から見た大きな鳥居が、立派な門構えの大きな神社です。
以前ご紹介しました、こちらのコースで立ち寄れます。
【伊勢神宮の歩き方】 外宮 北方面 散策 【125社めぐり】 - 伊勢河崎ときどき古民家
「すはらのおおやしろ」と読みます。
自然に成立した産土神だと言われ、山田村八社のひとつです。
「須原」は土地の古名で、
「沼木郷山田字須原」と古文書などに見られ、山田村の一地区とされてきました。
古くは沼木郷全体の護りとして「大社」とだけ呼ばれていたそうです。
昔はこの一帯は宮川の支流で、その河原の洲原にあったと伝えられています。
山田産土八社の特色として、
こちらでも「御頭神事」が行われます。
「お頭舞神事(獅子舞)は 2月11日祭儀の後 社を出発
氏子地区を終日かけて巡回 夕闇迫る頃 社に戻り
神前に於いて 剣の舞を得て終了する。
この舞の歴史は 凡そ五百年前に遡り
氏子により引き継がれてきましたが、
戦後は一時舞い方を他町に依頼していましたが、
昭和50年より再び氏子青年により奉仕されることになり今日まで続けられている。」
御祭神は正哉吾勝勝速日天之忍穂耳尊ら八王子
と、御由緒書きには記されています。
八王子は、オシホミミ尊と
天之穂日尊 天津日子根尊 活津日子根尊 熊野久須日尊
多岐理比賣命 市木島比賣命 多紀津比賣命
をまとめて呼び示し、広くスサノオの子と言われます。
ほかに
不詳一座
となっています。
社殿は鳥居をくぐり左手に数段高く坐されていて、
社が3つ並ぶスタイルです。
一番奥は須原稲荷神社、
真ん中には石神社とも呼ばれる中社があります。
「古老説によると、往年近辺、民家の井戸より
一つの石を掘り出して路傍に置いていたところ、
この所を通行する人々で怪我をするものが多かったので、
この石の祟りとして南世古の組合連中が協議し
石神社として奉祀してから異変はやんだとのことです。
今でも中社前にこの石が祀ってあります。」
オシホミミ尊は「天忍穂耳」とも表されますが、
「雨忍穂耳尊」と書かれたサイトを見ました。
雨が多いと宮川はよく氾濫をしました。
この付近もそうです。
ですので、「天」に「雨」からお守り下さいという気持ちもあったのかもしれませんね。
近くの清野井庭神社の御祭神の草野姫命は鎮座地近隣の灌漑用水の神ですが、
「清野」は鎮座地周辺の原野を指し、「井庭」は井堰を意味するといいます。
堰がもうけられ、長い年月をかけて氾濫が減った宮川は
今もこのような神々に守られているのですね。
今年も雨が多い年となっています。
どうか、多くなりすぎませんよう、
でも農作物や植物に必要なだけは降らせてくれますよう、
あまり暑さもひどくなりませんよう、
お祈りしたいです。