伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【伊勢の寺社】 世木神社 (伊勢市吹上)

 

世木神社は「山田産土八社」と呼ばれる、伊勢の神社の中では

最もポピュラーなのではないでしょうか?

 

電車で伊勢神宮に参拝にいらした方は

ほぼ皆さん、目にしたことのある神社さんのはず…なのです。

 

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伊勢市駅に到着して、多分真っ先に目に飛び込むのは駅舎を出て正面の鳥居。
ですが、少々目を左に向けてみてください。

↓写真の「令和」の提灯のあたりの森…

それが、世木神社です。

 

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伊勢市駅のある辺りは「伊勢市吹上」という名の町です。

吹上」とは、風や水が高くふき上がる様を言います。

この地で吹き上がるのは、です。

 

河崎の古書店ぽらんさんに

「伊勢の地名で水関連のところは川の水害によく遭ってきたところ。

 吹上はその代表格」と教えていただいたことがあります。

 

世木神社は「せぎじんじゃ」と読みます。

せぎ」とは「せき」、すなわち「」のことです。

 

世木神社は古くは「世木社」という名で、

宮川の分流の豊川の沿岸にあったそうです。

その上流と下流とにを設け、その間を関川と称していたといい、

その付近に河原村、世木村等の村邑が散在していたようです。

そこに外宮祠官度会神主の一族が移住し、家号を世木とし、

下の堰辺に祖神を奉祀して「世木社」と称したものと考えられています。

三重県神社庁教化委員会 » 世木神社

 

ですから、元々は宮川の水害を堰き止める神を祀っていたところに

外宮の祭祀が入ってきたのでしょう。

 

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主祭神は、天牟羅雲命御玉(あめのむらくものみことのみたま)です。

船江上社でも祀られている神で、

天忍石長井之水をもたらした神です。

 

外宮の上御井神社の伝説とも関連のある神で、

【125社めぐり】 外宮 所管社 上御井神社 - 伊勢河崎ときどき古民家

渡会氏の遠祖とも伝わります。

 

また、合祀された神として

天牟羅雲命

度会春彦

菅原道真

宇迦御魂神

大国主神

もこちらに祀られています。

 

天牟羅雲命が祭神の度会郡宮本村藤里鎮座の度会氏神

度会春彦神が祭神の岩渕町鎮座の松木

明治41年に合祀しました。
(この年はあちこちの産土の神社が方々で合祀されています)

この時に社号を世木坐度会氏神と改称したといいます。

 

大正9年に境内社菅原社菅原道真公・宇迦御魂命大国主命)を合祠し、現在に至っているようです。

 

今の社号「世木神社」になったのは戦後のことだそうです。

 

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創建は未詳ですが、

 「往古世木村と申す一村、只今吹上町下之切と申辺に有之、

  世木を名字に唱へ候權禰宜の大家も御座候処、

  嘉吉年中に絶家仕候由。

  右村々氏神社にて候故、即世木社と称へ申候

  世木氏は700年前より居住の様に相見え候得ば、

  其神の祖神を祭祀する社にて可有之候、但鎮祭始め年月は不詳。」

と明治12年の神社明細帳に記されていることと、

その他種々の考證から、

天福・建長(1233~1256)以前であろうと推定されているそうです。

 

嘉吉年間(1441~1444)に世木家一族がこの地を去り、

現在のような村の産土の神として祀られるようになったと考えられています。

 

式年造替は明治維新まで行われていたそうで

度会氏の宗家松木氏がその奉遷使として奉仕するのが慣例とされていたと伝わっていることから

度会氏=外宮の祭祀色が明治の寺社に関する改革前までは色濃く残っていたのだと思われます。

 

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伊勢神宮参拝で立ち寄る方の多い伊勢市駅

ついつい参道へと足早に進みたくなりますが、

ちょっと一息。

この地の産土・世木神社に参拝してみてはいかがでしょうか?

 

世木神社 (せぎじんじゃ)HP

 


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