勢田川の護岸整備~水害と生きられる街?
豪雨がまだまだ心配ですね。
不安な夜をお過ごしの方も多いかと思います。
河崎にいる時に台風が来て、ずっとアラートが鳴る…
という経験が私にもあります。
勢田川は護岸整備をしていますし、
私のお借りしていたN邸は町の中でも少し高い位置にありましたので
垂直避難をして様子を見ていました。
もっと危なくなったら…?
近所の高い建物に避難!と思っていました。
そもそも指定避難先より当店の方が高い位置にありますし。
ちなみに河崎界隈は八間道路に向かって水は流れ込むようになっていて
数年前には宇治山田駅方面の道が冠水、スーパーに浸水…
という話を御近所に住むお客様方からもよく聞いていました。
中には間一髪体験の方もいました。
車で無理矢理帰宅しようとして、危うく冠水地帯に行きかけたとか…。
とにかく低い位置に無理矢理近付かないこと!これが大事だと思いました。
さて、護岸整備を経て現在は↑のような姿となった勢田川沿いですが、
かつては、↓のような姿で、船がそのまま蔵につけられるようになっていました。
イメージとしては、ベネチアの運河ですね。
船やゴンドラでホテルの裏口に行けるところがありますよね。
あの感じだと、私は理解しています。
この姿、さぞかし昔に感じますが、なんと撮影は戦後です。
川の護岸整備がなされて40年ほどしか経っていないのです。
昨日もお話しましたが
河崎を流れる勢田川の護岸整備のきっかけは、
昭和49年(1974年)七夕豪雨による大被害でした。
「昭和51年より直轄河川激甚災害対策特別緊急事業が実施され、
浚渫や引提、護岸整備などを行い、
昭和55年には勢田川防潮水門・排水機場が完成しました」
とのことです。
国土交通省中部地方整備局 三重河川国道事務所:宮川水系 [日本一の清流]
それまでの河崎の地図がこちらです↓
この護岸整備のために、民家が一列なくなりました。
昨日の記事の動画で、古民家が壊される姿は
その時のものです。
(よろしければ昨日の記事からご覧くださいませ)
一列なくなるってどういうこと?
と言いますと、↓のような感じです。
里中地区とその川向かいにクローズアップすると
オレンジの地帯がなくなった古民家です。
以前、古地図などを片手に、とぎやさんの御主人に教えていただきました。
とぎやさんの建物は昔は川に面してなかったのですね。
それにしても、かなり思い切った整備だと思います。
こういったことが氾濫しそうな河川全てで出来るかというと難しいと思いますし、
想定外の豪雨では、それでも洪水に合うと思います。
数年前の台風でも、当店の地下室までは水は来たといいますし…。
(前オーナー談)
それを聞いていましたので、私も地下室の処遇に迷いました。
とても魅力的なので何かにしたかったのですが
万が一の時のことを考えると、お客様の安全面に「?」がつくのです。
お店をやるうえでは、お客様の安全第一です。
実はこの信念は、オリエンタルランド仕込みです。
ですから311の時にもキャストは気転を効かせて
お客さまを守る対応が出来て賞賛されたのです。
(元キャストなんです。311より以前ですが。)
今まで出店させていただいてきた様々な百貨店の防災訓練も経験して
まさかの時にどうやってお客さまを安全に誘導する導線を置くか
も考えるようになりました。
何かあったときにはお客さまの安全もどう保全するか?
そのシミュレーションを各店オーナーはしておかねばならないと思っています。
自然災害は怖いです。
ですが、何とか知恵を絞って共存しなければなりません。
それでも難しい場合は、
住環境を抜本的に変えることも必要な世の中になってしまっていると思います。
自然災害と一口にいっても
今回のように環境破壊による温暖化で海水温が上昇とか、
山の斜面の木を伐採してソーラーパネル畑にしたら地滑りとか(これは今回は聞きませんね)、
人間に起因する部分も多々あります。
自然をそれだけいじめておいて、自分は今と同じ環境に暮らしたい、変りたくない、
というのは人間側の我儘で、もう難しいことなのではないかと思ってしまうのです。
やはり自然に優しくしてもらえるように
自然環境を破壊しない、自然を大事にする生活もまた大事だと思います。