伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【125社めぐり】 外宮 摂社 河原淵神社 & 船江上社

 外宮 摂社 河原淵神社 (かわらぶちじんじゃ)

御祭神 澤姫命  (さわひめのみこと)

 所在地;三重県伊勢市船江 1丁目10-140

 

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私がいた河崎のおお店からも近く、

何度通ったかわからない神社です。

 

境内は船江上社と繋がっていて、

「朧が池」と呼ばれる池の湖畔に建ちます。

とても美しい大好きな摂社のひとつです。

 

国道からすぐにあり、拝観しやすいロケーションで

お客様や東京からの友人もよくご紹介しました。

外宮、内宮以外の伊勢の信仰に触れられる神社だと思います。

 

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船江上社の鳥居をくぐり、一番手前の右手に鎮座します。

船江上社は奥に広い境内で、合祀された神様たちが多く坐します。

 

「船江」の地名は、昔ここに船着場があったのが由来で、

その郷が上下に分けられていたので「船江上社」と言います。

 

今は途絶えいますが、元々は勢田川と宮川をつなぐ分流があり、

朧が池はその名残だと伝わります。

 

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祭神の澤姫命は「水の神」と

神宮会館HPでは紹介されています。

 

『神宮典略』では「鳴澤女」の誤りかという指摘がなされているようです。

 

鳴澤女はイザナミの死を悲しんだイザナギの涙から生まれた神で、

「水神」とも「人命を祈る神」とも言われます。

古代は「泣き女」という号泣することで死者の霊を慰める巫女がいて

それとの繋がりもよく示される神です。

 

興味深いのは、

鳴澤女を祭神とする奈良の橿原市の畝尾都多本神社に

「泣沢」という井戸があり、

その井戸が御神体として祀られている事から、

ナキサワメは大和三山の一つである香具山の麓の畝傍から湧き出る井戸の神様という説があることです。

 

井戸の神様と神宮には度々繋がりが出て来ます。

(真名井など)

そして、船江上社には橿原神社の遥拝所があるのです。

これはどうやらここから起草していそう発想でもありますね。

 

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昨日も触れましたが、

河原淵神社は、河原神社・毛理神社と共に「三ッ社」と称されたそうで、

戦国時代に摂末社が荒廃し、江戸初期に再興されるまでには

この三社はどれも所在がわからなくなり、ごっちゃにされていた感があります。


]。『二宮管社沿革考』では現在の伊勢市小木町の曾禰社周辺が「フヂガウ」、すなわち「淵河」と呼ばれていることから、河原淵神社を曾禰社に比定しだと記している[6]。[15]。

 

河原淵神社再興時(寛文3年(1663年)大宮司の河邊精長による)に

船江の檜尻川沿いに建つ檜尻社河原淵神社社地に比定されました。

ですが、どうやら檜尻社河原神社だったとする説が有力です。

 

復興間もない頃、『両宮摂社参詣記』においては

祭神不詳の船江上社が淵のそばに建ち、

「淵の祭」を催行していることから河原淵神社の旧社地であるとし、

檜尻社河原神社の旧社地だとし、

 

『二宮管社沿革考』では

伊勢市小木町の曾禰社周辺が

「フヂガウ」=「淵河」と呼ばれていることから、

河原淵神社曾禰社に比定し、

 

『神宮典略』では

『神名秘書』に「字鹽坪向也。」と記述されていることから、

焼塩を作っていた現在の伊勢市下野町が旧社地とする…
河原淵神社 - Wikipedia

 

などなど、諸説乱立の模様です。

 

河原淵神社の遷座を記した『神宮要綱』には

檜尻社への再興について

「固より正確なる根據ありてのことにあらず」とやはり否定的です。

 

1878年明治11年)12月、

檜尻社の鎮座地が洪水のおそれがあるとして、

船江上社の東隣に河原淵神社遷座し、現在に至ったようです。

檜尻社も現在は船江上社に鎮座します。

 

船江上社河原淵神社」で落着した様子ですね。

 

 

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この船江上社河原淵神社の旧社地であることに因み、

船江神社の祭神河原淵神社の祭神と同じ澤姫命をとしたのが

大正2年とごく最近です。

 

古くは「八幡神」が祀られていたといいます。

現在は諸社が合祀した結果、以下の神を祀っています。

 

箕曲氏社 (天牟羅雲命 )(明治九年天神より遷座
志賀井社末社 毛理神社?)
檜尻社   (摂社 河原神社?)
菅原社  (天路より遷座
小社二宇 綿津見神 神功皇后  ( 1882年志賀井社へ合祀)
秋葉社( 秋葉神  )


志賀井社 は御薗町新開の地にあったといい、
不詳1座が従来の祭神とされ、
川神 宇迦之御魂神 秋葉神 菅原道真
同境内から 1922年に合祀 されたとあります。

檜尻社 は元々は祭神が不明でしたが、
河原神社の旧社地に鎮座していたことを受けて、
河原神社の祭神・川神 を祀るとされました。
(船江町檜尻から上記のように遷座されています。)
 
河原神社の祭神が川の神とされたならば、
志賀井神社不詳一座毛理神社木の神とされる祭神でしょうか?
 
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他にも境内には、吉王稲荷神社、浅間神社などの神社や社が数多く祀られています。
 
滝姫命社 秋葉神社 菅公御袖石 大石神…など
いわば、見所満載です。
 
中でも注目は、「招福楠」。
河原淵神社再興の年にご神木とされたといい、
樹齢は700年といわれます。
 
戦国時代の衰退も江戸の復興も明治の遷座
全てを見守ってきたのですね。
 

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もうひとつの注目は、龍姫命

こちらは朧が池の神様とされています。

 

龍神=水の神=澤姫命

その繋がりもあるかと思います。

 

また、泣澤女との繋がりも感じるのです。

朧が池は、

どれだけ日照りになっても池の水は枯れたことがないとされるのですが、

外宮の井戸も枯ることのない謂れがあります。

(正確には天変地異のない限り枯れないとされ、今まで枯れたことがないといいます)

 

泣澤女は井戸の神とも。

そして泣澤女=澤姫命ならば、=龍姫ではないでしょうか?

 

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さて、色々と考察してみましたが、

頭を使ったあとは、やはり五感を潤すのが人間とても大事ですよね。

朧ヶ池は春夏秋冬、晴れ雨曇り雪、いくつもの表情を見せてくれ

心を豊かにしてくれます。

 

少しだけですが、その様子をお楽しみください。

 

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秋の晴れた日の手水舎。

 

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社殿前からの風景、初秋。

 

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桜の季節。

 

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蓮の季節。

 

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曇り空の大晦日

 

是非ご参拝の折には河崎の町歩きもお楽しみくださいね。

 

(写真撮影;2018.11月、12月、2019.4月、6月)


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