伊勢河崎ときどき古民家

伊勢と河崎の町と神社と古民家と好きなものに囲まれた日々のコラムです

【125社めぐり】 摂社 棒原神社

内宮 摂社 棒原神社 (すぎはらじんじゃ)

御祭神 天須婆留女命御魂 (あめのすばるめのみことのみたま)
      御前神 (みまえのかみ)

所在地;三重県度会郡玉城町上田辺 字朝久田2466

 

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参宮線・外城田駅から徒歩圏内、

住宅地に面した山(丘?)の上に立つ神社です。

 

延喜式』に記載がある小社であるものの、

皇大神宮儀式帳』の倭姫の定めた社の中にその名はありません。

玉城町内に数多く鎮座する摂末社の中では最も歴史の浅い神社で

荒木田氏が周辺を開拓した後の奈良時代に創建されたと言います。

(金子延夫『玉城町史 第3巻―南伊勢の歴史と伝承―』三重県郷土資料叢書第92集)

 

地元ではこの丘のことを「杉の森」と呼び、

境内の杉の木が象徴的ですが、

「すぎはら」と読むのは至難ですよね。

この字を当てた理由は?

 

「棒は誤 にて榛原といふべく、波比とも波理とも訓べきなり」

と『式内社調査報告』にあるようで、

昔の写本あるあるで、書き写し間違いのようです。

皇大神宮摂社 棒原神社

 

元々はこの杉原のあった森を守る神の社だったのはないでしょうか?

 

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御祭神の天須婆留女命御魂は星の出具合いによって農耕を占うと伝えられている神です。

 (神宮会館HPより)

 

須婆留女命は昴を司る星の女神だと思われます。

 昴の出具合を見て播種する風習が古来からあり、農村で信仰されていたと言います。

 

二見の江神社の御祭神の長口女命

玉城町内の狭田国生神社速川比古命速川比女命

天須婆留女命御魂の子とされています。

 

【125社めぐり】 摂社 江神社 - 伊勢河崎ときどき古民家 でも触れましたが

外宮と北斗星に信仰上での繋がりがあるという説があります。

 

昴が農耕の占いの神(指針)であるならば、

星の信仰と神宮の信仰にはやはり繋がりがあるのだと思います。

 

日本で星の観測を初めて行った天皇は、天武天皇です。

伊勢神宮を整備したのも、天武ですね。

棒原神社が創建された奈良時代は、天武の皇子・王(孫)が活躍した時代。

この頃には天体観測は国の政務の一環とされていたのでは?と思われます。

この高台にあった社を星を見るのに最適なことから、神宮(朝廷)の社に組み込み

星の女神を祭神としたのではないでしょうか?

御神体は昴を指すのか「形無し」とされます。

 

また、『式内社調査報告』には以下のような記述も見られます。

 「此神社は奈良朝廷御世定祝、とあり。

 此奈良朝は元正・聖武孝謙光仁天皇など皆奈 良の都になせば、

 いづれの御代と定めがたけれども、 其中に専ら聖武天皇御代をさしてならと云り。
 此御代には伊勢に勅使参向の事あり。」

 

これは、楢原神社=奈良波良神社が奈良の都と関係があるという話にも通じますね。

(真偽はさておき)

奈良時代の朝廷とこの玉城界隈には深い繋がりがあった証でもあるかと思います。

奈良波良神社同様にこの棒原神社にも古墳群がありますから

この辺りを古代に開拓した荒木田と大和朝廷の関連も深いとも言えるでしょう。

 

祭神の天須婆留女命については

天孫降臨の際、供奉した32神のうちの一人」

とする話もあります。( 神社めぐり| 玉城町 )

国つ神(荒木田氏)が天孫(奈良朝・神宮)に仕えることとなったこと、

また水田を奉献したことを暗喩しているともとれますね。

 

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近世に復興されるまでは、社殿は2つ、

棒原神社の前に御前神社が建てられていたとされています。

 

この御前神については
「称天須婆留女御玉、形無 此神の事は上、(江神社)にい へり。

 正殿二区は此御兒の長口女命を祭るか、前の社(棒原神社) か定めがたし。」

という記述が『式内社調査報告』にあります。

つまり、長口女命が2つめの社の祭神である可能性を指摘しているのです。

長口女命は弁財天と同一視されていて、更にスサノオ命との繋がりを「江神社」で考察しました。

 

スサノオ天武天皇には似たイメージがつきまといます(超絶私見です)。

そして、天武といえば星見…くるくると話が繋がりますね。

 

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さて、この棒原神社は写真1枚目の長い石段の天辺に建ちますが、

他にも道があり、細い獣道から上がることも出来、そこにもきちんと「神宮」の標があります。

…実は最初、わからなくてここから入りました。

 

前述しましたが、この神社のある丘は古墳群になっていまして、

このように他の道があるのはその名残かと想像します。

 

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伊勢志摩きらり千選 棒原(すぎはら)神社の古墳群 より↑

 

地図で見ると、神社を包むように古墳があります。

いえ、逆にこの社はこ杉の森の守護神だった所以と言えるでしょう。

やはり荒木田氏はこの地と社を神宮に捧げたのだと思います。

 

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棒原神社からの眺めです。

伊勢三山も見えると言われる絶景です。

 

これは、星だけではなく、国見にも最適な立地ですね。

古代の荒木田氏も(古墳は4~5世紀)

その後、ここを管轄した神宮の神官も

領地を安堵するためにここから国見をしたのではないかと想像してしまいます。

(国見は施政者が言祝ぎをして領地を安堵し豊穣祈願などもすることです)

 

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棒原神社さんは、電車でも行けますので

神宮参拝の折に訪れていただきたいです。

お天気のいい日にこの石段を上れば美しい伊勢の山と田を堪能出来ます。

 

ちなみに、正面の石段は88段だそうです。

これは米に掛けたのか?

8は末広がり。上ると縁起が良さそうな?

 

(2019.10.23.参拝)

 


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